見合い話

(著者)月の砂漠

 越後線の車内は閑散としていた。この様子だと、吉田駅を出たあたりで乗客は私だけになりそうだ。帰省のシーズンでもないし、終電間際のこんな時間だから、別におかしいことでもない。ただ何となく、私は寂しさのようなものを感じていた。
「ふぅ」
 私は、今朝から何度目かの溜息をついた。
「お嬢さん、さっきから元気がないようですね。何かお悩みですか?」
 ふいに、通路を挟んだ横の席に座っていた老人に声を掛けられた。私は、その老人がいつからそこに座っていたのか、思い出せなかった。何だか突然現れたようにも思えた。
「いえ……すみません、大丈夫です」
 私は会釈して、老人から目をそらした。
田舎特有のお節介といったところか。人の悪そうな老人ではなかったが、だからと言って、見ず知らずの人に、今の自分の悩みを打ち明けようとは思わない。
「まぁまぁ、そう言わずに。誰かに喋ってしまえば、気が楽になることもありますよ」
 気が付くと、老人は私の目の前の席に座っていた。いつ移動したのだろう。全然気が付かなかった。
 私はチラリと老人を見た。年寄りの割にはずいぶんとスタイリッシュな服装をしていた。地元の住人ではなく、私と同じで、都会から故郷へ戻る途中なのかも知れない。
「お国は新潟ですか?」
 老人が尋ねて来た。私は、はいと頷き、故郷の町の名を告げた。老人は、私もそこなんですよと嬉しそうに応じた。
「良い町ですよねぇ。自然は豊かだし、魚も美味しいし」
 老人は独り言のようにつぶやいている。
「退屈で平凡な町ですが、やっぱり好きですねぇ。我が自慢の故郷ですよ」
 老人がにっこりと私に笑い掛けた。私は、なぜか、その笑顔をとても好ましく思った。
「私、実はこれからお見合いなんです」
 私は老人に言った。言ってから、自分に驚いた。どうしてこんなプライベートなことを初対面の老人に話す気になったのだろう。自分でもよくわからなかった。
「ほう。お見合いですか」
「でも……悩んでいるんです。悪いお話じゃないとわかっているんです。むしろ、とても良いお話だと。でも、このまま、受けてしまっていいものか、ためらいもあって……」
 結婚ということになれば、私は東京の独り暮らしのアパートを引き払い、正式に故郷へ戻ることになる。そして、故郷で静かに暮らしていくのだ。おそらく、一生。
 年を取って来た両親の顔。職場でひそかに恋をしていた先輩の顔。将来生まれるかも知れない赤ちゃんの顔。趣味仲間たちの酔っぱらってはしゃぐ顔。
 様々な顔たちが、私の頭の中で入れ替わり立ち替わり巡っていた。自分にとって、一番大切なものは何か。考えるたびに、出て来る答えは違っていた。
「なるほど。そうでしたか。あなたはこんなに色々と悩んでいたわけですか」
 老人は、難しい顔をしてしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「私に言えるのは一つだけです。きっと、これからあなたとお見合いをする相手の男性は、心の底からあなたを愛し、生涯をかけてあなたを守るはずです。それだけは必ずお約束します」
 老人は穏やかに言った。お約束します、という言い方が面白くて、私はちょっと吹き出した。それじゃあ、まるでこの老人が当事者みたいじゃないか。
 老人は優しく微笑んで、言葉を続けた。
「悩んで、悩み抜いて、私を選んでくれてありがとう。結婚してから六十年。ずっと一緒に居られて、私は毎日幸せだった。本当にありがとう、サオリ」
 突然、老人が私の名前をつぶやいた。
 えっ、どうして私の名前を知っているの?
 そう思った瞬間、老人の姿は消えていた。後には、淡い光がぼんやりと残っていた。
 私は不思議な思いに包まれた。今のは、白昼夢だったのだろうか?
 車内アナウンスが、目的地への到着を告げた。私は鞄を手に取り、立ち上がった。
どうしてだかはわからないけれど、私は、今回の見合い話を、受けようという気持ちになっていた。
【了】