会えますチケット

(著者)せとやまゆう

 夕方の長岡駅。レストランフロアから、いい香りが漂ってくる。和食、洋食、中華・・・。何でも揃っている。改札の前では、たくさんの人が行き交う。若いカップルは、立ち止まったまま見つめ合っている。なかなか、つないだ手を離せない。そこへ、タキシード姿の男が声をかけた。
「どうぞ、これをお使いください」
「何ですか?それは」
「特別なチケット、二人分です。枕元に置いて寝れば、夢の中で会えますよ」
「でも、高いのでしょう?」
「いいえ、無料で差しあげます。その代わり、感想を聞かせてください。明日も、ここに来ますから」

 タキシード男はチケットを渡すと、足早に消えていった。その夜、二人はそれを使ってみた。すると、本当に夢の中で会えるのだった。しかし、会話することもなく、同じ空間に存在しているだけだった。

 次の日、若い男は言った。
「夢で会えたけど、全く楽しくなかったです。話すことさえ、できなかった」
「それなら、このチケットはいかがでしょう。夢の中でも、思い通りに行動できますよ。ただし、これは有料となりますが・・・」

地球になじんだ頃

(著者)せとやまゆう

 今日は子どもの誕生日。今は夕食の時間。食卓にはのっぺ、しょうゆおこわ、番屋汁、バースデーケーキが並んでいる。子どもはプレゼントのおもちゃを持って、はしゃいでいる。それを見ながら、夫婦は微笑みを浮かべた。家族で過ごす、幸せなひととき。
 
 しょうゆおこわを口に運んだ時だった。急に、父親は思い出した。スパイとして、地球に送り込まれていたことを・・・。慌てて食事を切り上げ、自分の部屋にこもった。その直後、故郷の惑星から連絡がきた。《地球の情報をよこせ》と言っている。そんなことをしたら、地球は侵略されてしまうだろう。大切な妻と子どもを守りたい。惑星からの催促は続いている。何か言わなければ・・・。
「うわー、殺される。助けてくれー!」
 苦しまぎれに、父親は言った。

 その後も、惑星からはスパイが送り込まれたが、みんな連絡が途絶えてしまう。地球は物騒なところだという噂が広まり、侵略計画は中止された。

 スパイには催眠がかけられていた。地球になじんだ頃、任務を思い出すように・・・。しかし、任務を遂行する者は一人もいなかった。

二年後に気づく

(著者)せとやまゆう

 急に、男は気づいた。その女のことが好きだと・・・。まるで魔法にかかったかのような、不思議な感覚。彼女とは、会えなくなって二年たつ。以前勤めていた、会社の同僚だった。たまたま、同じタイミングで転職。それぞれ、違う町に移住し、再出発した。別に、仲が良かったわけではない。言葉を交わすことはあまりなかったし、連絡先も知らなかった。しかし、男にとっては気になる存在。まず、気持ちの良いあいさつをする人だった。そして、どんなに仕事が忙しくても、笑顔を絶やさない姿。とても輝いて見えた。

 それにしても、なぜ今なのだろう。離れたからこそ、気づく恋心。それなら、会えなくなってすぐのタイミングでも、いいはずだが・・・。これまで、新しい環境に慣れるのに精一杯だったのかもしれない。あるいは、二年という時間のなかで、脳が彼女のイメージを美化し続けていたのかもしれない。まあ、一時的なものだろう。そう思って、男はあまり気にしなかった。

 しかし、気持ちが消えることはなかった。一週間たっても、一ヵ月たっても、三ヵ月たっても・・・。むしろ、気持ちは高まるばかり。連絡先を知らないから、連絡をとることができない。住んでいる町の名は聞いていたが、土地勘がない。そもそも、探して訪ねて行ったところで、迷惑がられるだけだろう。どうすることもできない。彼女とつながる手段が、一つもないのだ。
「俺のことなんて、どうせ覚えていないだろうな。興味なさそうだったし」
 恋人がいて、楽しく過ごしていることだろう。
「俺も彼女つくるか。まず、好きな人を見つけないと・・・」
 
 ちょうど、その頃。その女が乗った電車が、越後湯沢駅に到着した。唎き酒マシーンの前には、今日もたくさんの人が集まっている。

流れのままに在った日々

(著者)レバンタール

 その人が新潟と聞いてまず思い浮かべるのは、「長岡まつり大花火大会」でもなければ「マリンピア日本海」でもなく、方々を畑に囲まれた一軒の家だ。その人は、その家の正確な住所もアクセス方法も知らない。身を委ね、運ばれて、長く短い期間をそこで過ごしたことがある。身を委ね、運ばれて?一体どんな体験だ、と思う人も多いだろう。しかしざっくばらんにいうとその表現が正しく、当の本人は何が起きているかわからないまま、夢の中にいたような日々の記憶なのだ。

 その人はその年、東日本大震災を福島の仕事場で迎えた。新卒入社2年目で、ようやく仕事場の環境に身体も心も慣れた頃だった。まさかそのまま、職場とも自宅ともお別れになるとは想像もし得ないうちに、翌日職場の上司の的確な判断と指示のもと、相乗りして避難をした。トランクルームに荷物のように座るのは、あれが最初で最後になるだろう。グループ会社のある新潟で、普段住まいしていない持ち家を提供してくれた人がいて、希望者はそちらで仮住まいさせてもらえることになった。19歳から60代までの15人ほどでの突然のシェアハウス生活。

 その人は、ただ、そこに居た。地域の人が野菜やお米、お下がりで良かったらと衣類も提供してくれた。恰幅の良い同僚のおじさんがそこから選んだのは、たぶん中学生サイズのトレーナーで、ピタッとさせて着こなしていた。その人は心の中でクスクスと笑えていた。お料理上手な同僚の奥さんが、その人の自炊ではお目にかかれない、バランスのとれた食事を毎食作ってくれ、お腹一杯食べた。白米があまりに美味しかったので、魚沼産のコシヒカリだったのかもしれない。胃がギュウギュウになった後は、2部屋分に敷き詰められた布団の一つで眠った。時に大勢でいることのストレスを感じ、時に大勢でいることの楽しさを知りながら、生かされていた日々だった。

 あれほどまでに、何をせずとも与えてもらえるのはまるで赤ん坊のようで、だからその人は、あの時、生まれ変わったのかもしれないと今になって思う。そして、どんどん歳を重ね出来ることが増えるうち、自分で生きているつもりになっているけれど、口にするもの手にするもの、全て誰かや何かを介して届けられている。与えられ、生かされていることには変わりないのだ、とも気づくのだった。

 そして驚くことに、その人があの生活中に1番嬉しかった差し入れは、何度思い返しても「化粧水」だった。こういう物も欲しいかなと思って、と持参してくれた女性に、抱きつきたいほど心が動いた。衣食住、生きるための必需品が満たされると、それ以外が欲しくなっていった。プライベートな空間、美容品、自由に出歩けること。こうした欲求をもてることは、土台に安心して生きられる環境があってこそ。そして、欲求がありそれを満たそうとすることが人間を人間らしくしているのかもしれないと、その人は思った。その人の欲求が、その人の人間性を創っている、と。

 突然のシェアハウス生活を終えて後、その人は北海道のグループ会社へ出向となり、そのままその地で生活している。出向先には、3月11日生まれの同僚がいて、仕事を教わるうちに仲良くなった。彼女は毎年その日を迎えると、その人を気遣ってくれた。心中は複雑だっただろう。大きな悲しみを背負ったその日は、彼女や誰かにとっては喜びの日でもあるのだった。

 その人は毎年彼女に、心を込めて「おめでとう」を伝えている。

朧灯(おぼろび)の幻影

(著者)石原おこ

 部活を終えて家に帰る道すがら、神社の石灯籠に灯りがともっているのに気がついた。
西の空がだいぶ暗くなっていた時間で、「灯籠に灯りがともるなんてことあったっけ?」とふと考えてみた。
「何かやってんのかな?夏祭りの時期でもないし…」
自転車を置き鳥居をくぐり、小さな拝殿の中をのぞいて見たけれども、建物の中は暗く、何も見えなかった。
 昔はこのあたりのほとんどが田んぼで、民家と呼べるところは少なかった。この土地の守り神として古くからこの神社があり、申しわけ程度の遊具、ところどころ錆びの浮いたブランコと小さなシーソーが置かれてある。
 いつの間にか住宅が立ち並び、田んぼの数は減ってしまった。それでも田植えの時期になると、どこからともなくカエルの鳴き声が聞こえてくる。今もところどころでカエルが鳴いていた。

 幼い頃、祖母に手を引かれてこの神社に遊びに来ていた。家から一番近く、公園と呼ぶには随分と規模の小さなものだったが、よくブランコやシーソーに乗って遊んでいた。
僕が遊具に夢中になっているとき、祖母は拝殿に向かって手を合わせていたのを覚えている。そして祖母は決まって、拝殿の横にある大きな石碑にも手を合わせていた。
 そんな祖母との記憶を思い出しながらふと石碑に目を向けると、石碑を見上げる人影が目についた。はじめは幽霊か何かと思ってびっくりしたけれども、相手も僕の姿を見つけると、
「こんばんは」
と、はっきりとした口調であいさつした。
「あ、こんばんは。」
年齢は僕と同じくらいか、それともちょっと年上か。細身の体をした二十歳前後と思われる男性だった。
「この辺の子?」
「あ、はい。そこの先の、角のところの…」
「中学生?」
「いえ、高校生です」
そんな会話を交わしていたけれども、表情は夕暮れの陰になってよくわからない。男性はまた石碑に目をやると、
「これはなんの石碑?」
と指さして僕に尋ねた。
あたりが暗くなっていたので、石碑に刻まれた文字を読み取ることはできなかった。
そう言えば昔、祖母から、戦争で亡くなった方々を祀る慰霊碑だと聞いたことがある。
「このあたりに住んでいた人で、戦争に行って死んじゃった人の慰霊碑だって聞いたことがあります。」
そう答えたけれども、男性の耳に届いているのか。石碑を見上げたままじっと立ちすくんでいた。
「戦争か」
男性がそう呟くと、
「このあたりは無事だったのか?」
と聞いてきた。
 僕の方を振り向いた瞬間、灯籠の灯りにともされて男性の顔がぼんやり見えた。少し悲しそうな表情をしたその顔を見たとき、なぜか祖母も同じような表情を浮かべていたことを思い出した。
「このあたりのことはよく知らないですけど、長岡で空襲があったことは学校で習いました。」
「長岡で…」
 大学生なのだろう。戦争のことについて研究している大学生が、調査のためにいろいろ歩いてこの石碑にたどり着いたのかもしれない。でもようやく石碑にたどり着いたとしても、あたりがこんなに暗くては、石碑に何が刻まれているのか読み取ることもできない。

 長岡の空襲については小学生の頃、地元の歴史を学ぶ授業で知った。
 昭和二十年の八月一日、B29戦闘機が長岡市の上空から焼夷弾を投下。多くの犠牲者が出て、長岡の街のほとんどを焼き尽くしてしまったという。

「この村は、大丈夫だったのか?」
『村』と言う言い方にちょっとしたひっかかりを覚えたけれども、よそから来た人にとってみればこのあたりの風景は『町』とは言い難い。
「長岡に向かう飛行機が、飛んで行ったみたいですけどね」
そんな話も、九十歳になる近所のばあちゃんから聞いたことがある。
「この村に、私の妻が住んでいるんだ」
———『妻がいる』と言うことは、ひょっとしたら大学生じゃないのかもしれない。妻がこのあたりに住んでいると言うことは、別居状態か?単身赴任中で有給休暇を使って会いにきたとか?
「早く会いに行ったほうがいいんじゃないですか?もう日も暮れましたし」
僕がそう言うと、男はまた少し悲しそうな表情を浮かべて、
「うん、会いたいよ」
とつぶやいた。

 それからしばらく沈黙の時間が続いた。見上げていた石碑ももう暗闇の中に溶け込んでしまっている。住宅街に灯る街灯のあかりに虫たちが集まってきていて、心なしか、灯籠の灯りも小さくなっているようだった。
 僕が家へ帰ろうと、自転車の置いてある場所へ足を向けたとき、
「子供が生まれるんだ」
と、さっきよりも明るい口調で男性はそう言ってきた。僕は振り返って、
「そうなんですね、おめでとうございます。男の子ですか?女の子ですか?」
と質問した。この質問の答えを最後に、僕はもう家に帰ろうと決めていた。
「わからない。でも女の子だといいな。名前はもう決めているんだ」
なるほど、出産のために奥さんは里帰りをしているのか。それとも、出産の準備で病院にいるのかもしれない。その奥さんに会いに来たのだけども、なかなか会えないでいる。奥さんに会えないでいる時間、例えば、安産祈願でこの神社に来たとか。
「幸子って名前にしたんだ。幸せになってほしいから」
男性は『幸子』という名前をかみしめるように口にした。
『幸子』という名前を聞いたとき『今どきの名前じゃないな』と言うのが素直な感想だった。でもそれを口にするのは失礼だ。
「いい名前ですね。幸子ちゃん」
そう声をかけたとき、男の姿が霞んでいるように見えた。灯籠のあかりも乏しく、街灯の灯りもおぼつかない。なぜか、男性の姿が消えていってしまうような、そんな錯覚を覚えた。
「いい名前だろう。田嶋幸子。幸子には何にもおびえることのない、静かで穏やかな暮らしをさせたいもんだよ」
『タジマサチコ』その名前を聞いた瞬間、僕の背筋に冷たいものが走った。と同時に、この男性の浮かべた悲しそうな表情と、幼い頃、石碑に向かって祖母が浮かべていた表情とが重なり合った。
「田嶋幸子って、オレのばあちゃん……」

 石灯籠の灯りは消えていた。男性ももうそこにはいなかった。
 カエルの鳴き声がよりいっそう大きくなったように感じた。

トルコ村奇譚

(著者)石原おこ

 僕は浜辺に打ち上げられていた。
 いや、他になんて表現したらいいのだろう?
 砂浜に寝転がっていた。目を開いてみたら浜辺にいた。
 確かに、気がついたら浜辺に大の字になって横たわっていたのだが、この体の疲れ、節々の痛みは単純に浜辺で寝そべっていたわけではなく、日本海の荒波にもまれて、ようやく浜にたどり着いたような感じがする。そんなけだるさが全身に残っていた。
 まどろみの中、記憶をたどってみる。
 そして、このけだるさの原因は何だろうかと思いを巡らせてみる。
 ふと頭に浮かんだのは、彫りの深い顔の、蒼い髪を風に揺らしている女性の姿。そして、片言の日本語。
「コノムラヲタスケテ」
 この言葉が、頭の片隅にこびりついていた。
「この村を助けて」
 僕は勇者にでもなって、ドラゴンとでも戦っていたのだろうか?体の痛みを思えば、あながちそれも嘘ではないような気がする。

 鯨波海岸まで車を走らせてきた。でも決して海水浴が目的ではない。
水着も持っていないし、今は海水浴を楽しむような時期でもない。ましてや僕は泳げない。そう言えばこの時期はクロダイがよく釣れると、愛好家の友人が言っていた。でも残念ながら、僕には釣りをたしなむような趣味はない。となると、ただただこの渚からの景色を眺めるために僕はやって来たのだろうか?
 もう一度、頭の中にあの言葉がこだまする。
「コノムラヲタスケテ」
 そうなんだ、僕はきっと、この『ムラ』を救うためにこの地に降り立ったのだ。

 イスラム教の礼拝所、モスクを思わせるような円形のドームを見上げていた。ドームの四辺に立っている円柱は潮風にさらされて錆つき、すでに廃墟を思わせるようなたたずまいだった。
「ソータ!こっちよ!」
アラナイがそう叫んだ。
振り向くと、視界の先には何本もの円柱が立っていた。柱の先端はクルクルとパーマをまいたような彫刻が施してあり、ギリシャの神殿に立つ円柱のようにも見える。何本も並ぶ柱の一つ、その陰にアラナイの姿があった。
「アラナイ!」
僕は叫びながら走り出す。
 アラナイは琥珀色をした長いスカートをはいていて、頭にはトルコ石をあしらったティアラのような髪飾りを載せていた。その姿はアニメのアラジンに出てくるヒロイン、ジャスミンの姿を思わせた。
「ソータ、この村を守って。もう敵がそこまで来ているの。ムスタファを助けなきゃ。」
柱の陰でアラナイがそう告げる。アラナイも走ってここまでやって来たのか、息が上がっていた。
「ムスタファはどこに?」
「円形劇場よ!トロイの木馬に潜んでいた敵が出てきて、今一人で戦っている。」
「一人で!なんて無謀な!」
僕は円形劇場の方へと向かった。後ろからアラナイもついてくる。
遠くから怒号が響いている。そしてその声は徐々に大きくなっていった。

 円形劇場にたどり着くと、すぐにムスタファの姿が目に飛び込んできた。観覧席のその先、舞台の上でムスタファは十人近くの敵と対峙している。
ムスタファもすぐに僕の姿を見つけたようで、
「ソータ!」
と低い声を響かせた。応戦しなければとムスタファのいる舞台へと向かったが、すぐに三、四人の敵に囲まれてしまった。
残念なことに、僕はこれといった武器を手にしていなかった。相手の剣を振りかざすその隙に、みぞおちのあたりにこぶしを入れるのが精いっぱいだったが、それでも運よくクリーンヒットし、敵の何人かは腹を抑えながらその場にうずくまった。
 丸腰のまま何人かの敵を蹴散らしながらムスタファの方へと駆け寄っていくと、ムスタファは腕や足に刀傷を負っていて、すでに立っていることもままならないような状態だった。それでも僕が近づくとホッとしたのか、白い歯を見せて笑ってみせた。
「ソータ、すまない。この村はまもなく滅びる。」
「ムスタファ将軍、何を弱気なこと言っているんです。あなたが支えてきた村じゃないですか!」
「ソータ。それでも時の流れには逆らえない。私はこの村で、多くの人が笑い、楽しみ、そして若い男女が結ばれ、皆がそれを祝う、そんな理想を描いていたのだ。ソータと…この村の姫であるアラナイの二人の結婚も…」
「結婚…」
そう呟きながら、ふと後ろを向くと、僕の後をつけてきたアラナイが頬を染めている。
 その瞬間、敵の剣の一振りが僕の背中を走った。しかし、刃先がほんの少し触れただけで、深手と言えるような傷でもなさそうだった。
 僕はムスタファの手にしていた剣を奪い、ふり返って敵と向き合った。
「アラナイ!ムスタファを連れて海へ!海へ逃げるんだ!」
応戦する僕の後ろを懸命についてきたアラナイは、僕の顔を見上げ一つうなずくと、ムスタファの手を取り、舞台の袖の方へと駆けていった。
 僕は手にしたムスタファの剣で中段の構えをとり、左のわき腹にぐっと力を込めた。そして力強く叫んだ。
「この柏崎トルコ村は、僕が守る!」

 オレンジ色の夕日の光が目を刺した。
ゆっくりと起き上がり、服に着いた砂を叩き落とす。とにかく、駐車場まで行くことが最優先だと思った。でもどこに車を停めたのかもよく覚えていなかった。
「僕は、トルコ村を守ったのだろうか?」
夢を見ていたのだと思う。だけど、体の節々に感じる痛みは、一連の出来事を現実のもののように感じさせる。
砂浜の砂に足を取られながらなんとか歩みを進めていくと、砂にまぎれてキラリと光る何かを見つけた。
近づいてみると、パチンコ玉くらいの大きさのトルコ石だった。
 いや、本物のトルコ石かどうかはよくわからない。でも、淡い水色の小さな丸い石は、アラナイ姫が頭につけていたもののように思えた。

思い出せない名前、別れを告げたあの橋で。

(著者)ramune

 生きていれば癖が付く。
 例えば、朝食にトーストが無いと嫌とか、嘘を吐く時目を逸らしてしまうとか。
 きっと人間、皆癖が付いている。
 それは日本人に留まらず、世界中の人間に共通する事。
 それと同じように、俺は今日もあの橋へ向かう。

「新潟県」

 そう言われて思い付くのはやっぱり「米」。
 その他はたぶん、ほとんどの人が思いつかないと思う。
 知ってる人なら「神社や寺の数が日本一」とか言うだろうか。
 でも、俺は「新潟県」と言われて一番に思い浮かぶのは「万代橋」だ。

 俺がまだ高校生で、輝く青春を走っていた頃。
 どれだけ仲の良い友達や、可愛い彼女が居ても、俺が一緒に帰るのは幼馴染のあいつだった。
 幼稚園から小学校、中学校とずっと一緒に居た幼馴染のあいつ。
 高校は、あいつの方が頭は良かったから別々になったけど毎日二人で帰っていた。
 俺はあいつと高校が別になった事をあまり気にしていない。
 なんせ俺はあいつが嫌いだ。
 だから今でも名前を思い出せずに、俺は幼馴染を「あいつ」と呼ぶ。
 学校帰り、夏なんかよく百円くらいの棒アイスを食べながらダラダラと歩いていたもんだ。
 同じではない学校の、全く知らない教師の愚痴や「授業分かんねーよな」とか言う、
 誰もができるくだらない話。
 その頃はその瞬間が一番楽しかった。

 俺達はその頃まで一回も喧嘩をした事が無かった。
 まず喧嘩のやり方とかいうのが分からなかった。
 俺達は、将来を約束していた。

『必ず新潟に残って、二人でここの魅力を世界に広める』

終わらない街

(著者)槇麻里

 朝から鼻水が止まらない。目を瞑ると、じんわり涙も出てくる。季節は秋間近のきわめて夏の終わり。花粉症ではない。確か、同じ症状を二年前に経験した。あの日は大好きな、いやちがう。自分の生活の一部のような、これもちがう。自分の相棒のようなラジオが無くなってしまった日だ。朝の「おはようございます」の挨拶は、車内から聴こえてくる女性パーソナリティに。昼までやったるぞとエンジンをかけ始めた午前のティータイムには、爽やかな男性パーソナリティと共にひといき。終業までは穏やかな気持ちで心地のいいサウンドと女性パーソナリティの声に癒され過ごす。夜にかけては、一日頑張った自分にご褒美の極上時間。学生時代から聴き続けるディスクジョッキーと共に帰路に着く。当たり前の、かつ、なくてはならない日常がプツンと終わってしまった。停波した翌日も朝からラジオを流してみたが、ザーッと砂嵐がきこえてくるだけだった。それから数日、鼻水が止まらなかった。
 また、私の一部が消えてしまう。古町で働く私の原点は、やはり古町だ。幼いころ父が働いていた古町のデパートを目指し、週末は母と兄と越後線に揺られた。中学生で父のデパートが倒産し、二十年後に別の老舗デパートが倒産したときにも鼻水が出た。
 そして、仕事帰りに寄っていた小さな書店が閉店する今日ももれなく鼻水が止まらない。会社を休みたい。こんな状態で仕事しても失敗ばかりで客先に迷惑をかけることは間違いありません、と上司に言ったらクビだろうか。私の代わりはいくらでもいる。しかし、あの書店の代わりになる場所はどこにもない。目を瞑ると、涙が出てきた。
 本日は休業。本日は閉店する書店で、自分のために本を買う。愛する街で、消えゆく店と、減りゆく自分を激励するための本を買うのだ。また明日からこの街で戦っていけるように。本日は休業。私も古町も、まだまだ負けられない。
曇り空のさきに、一筋の光明が差す。鼻水をすすって、猛スピードで私は進む。

旅立ちの娘

(著者)四季彩々

「私、東京の大学を受験するから」
 
 娘からそう言われて、動揺する私。
 昔と違って一緒に外食する機会も減ってしまった。久々に二人だけで外食をしたいと言われて連れてきたのだが…。
「私立の大学じゃないよ、国立だから」
 言葉の出ない私は、娘の顔を暫くジッと見つめた。
 日頃から、パパの給料じゃあ私立は無理だからと、国立である新潟大学への進学を娘に促してきた。給料が少ないのは事実だが、その発言は本意ではない。実家から通学してくれるのであれば、どこの学校でも良かったのだから。
「仕送り厳しければ、自分でバイトして稼ぐよ」と言う彼女に、「お金の問題じゃない」と返す。
「ママは知っているのか?」
「知っているよ」
「なんて言ってる?」
「勉強頑張りなさいって」
 馬鹿な、と口には出さなかったが、私の顔は曇る。
 古町にあるホテルイタリア軒のレストランで、彼女はパフェを口に運ぶ。東京であれがしたい、これもしたいと、パフェに向かいながら、半年後の未来に向けて 淡々と私に報告をする。
 新潟から東京まで、上越新幹線で約2時間。嫁ぐわけでもない、と言われればそうなのだが、寂しいものは寂しい。私は自分の半身が引き剥がされそうな想いで、彼女の報告を聞いていた。
 ワインを飲みたくなったが、ぐっとこらえる。娘は妻と一緒で、お酒を飲む私をあまり好きではなかった。
 この店を出たら一人で飲みに行くか…。
 彼女が私に顔を向けることはなかった。

          *

 私は一人寂しく古町商店街を歩いていた。
 静かなものだ。
 昔は路上で日夜、ギターを片手に愛を叫んでいた若者たちが多かった。
 ふと、ミュージシャンではない、路上脇で段ボールに座る青年を見つけた。
 青年は立て札と白い箱が置かれた横で、色紙とペンを2本握りしめている。
 《言葉のキャッチボール。五百円。》
 少し高い気もするが、私は近付き興味本位で横の箱にお金を入れてみる。
 すると青年はボソボソと「今の気持ちを色紙に一言」とつぶやき、ペンと色紙を私に手渡す。受け取った私は、
 《娘が上京。悲しい。》と色紙の右端に記載した。
 色紙を青年に返すと、青年は私の書いた文字の左横に、すぐさまペンを走らせる。
 《微笑ましい想い出。笑顔の種は今日も蒔かれている。》
 ………。
 お世辞にもセンスのある言葉とは言えなかったが、私の胸を何かが打つ。娘が小さかった頃の記憶が脳裏をよぎる。
 オバケ嫌いの娘が夜中に突然怖くなったのか、私の布団に飛び込んできた。
「パパあっち行って」と言いながらも、本当に遠くへ行こうとすると、娘は不安になって駆け寄り、私にギュッとしてきた。
 当時の些細な記憶で、目頭が少し熱くなる。
 私はペンを持ち直し、
 《これからの自分。》と先ほどの色紙に記載する。
 続けて青年がペンを走らせる。
 《想い出は一つじゃない。大切な人も一人じゃない。》
 ………。
 ふと、妻と出会った頃のことを思い出した。
 結婚してからも娘が産まれるまでは、よく二人で外食をしていたし、旅行も頻繁に行っていた気がする。特に語り合った内容は覚えていないが、共有した食事や風景は、今思い返しても尊い記憶である。
 ここ何年も二人きりで街を歩いた記憶がない。
 《大切な人も一人じゃない。》
 私は、青年にお礼を言い、過去を振り返りながら、ゆっくりと家路に向かった。

           *

 その夜、寝室にて。
 布団に入る私の横で、パタパタと化粧液を付けている妻。
 特にキッカケもなく、「なあ」と呼びかけると「ん」と返事が返ってきた。
「あいつの進学の話、聞いている?」
「聞いているよ」と、パタパタする手を止めることなく答える。
「受かるかな?」
「受かるでしょ、まじめだもん」
「そうか」と呟き、少し間を空ける。
 やると決めたらやるのが、うちの娘だ。彼女は自分の夢に向かって、しっかりと走り続けていくだろう。親元を離れてどこまでも。

「あいつの東京行き、笑って見送ってやるか」私は、ぼそりと口にする。
 続けて妻に聞こえないほど小声で「久々に二人で温泉旅行にでも行こうか」と口にする。すると、

「私も東京についていくよ」

 妻からそう言われて、動揺する私。
 彼女が私に顔を向けることはなかった。

空に落ちる人魚

(著者)コバルトブルー

 島に向かうフェリーは、果物の薄皮を剝くように海面を滑らかに裂いていく。
 夏休みに入りたての七月下旬。中学三年生にとっては貴重な二日間を、生徒会行事という名目で小旅行に捧げていいことになった。
 船内で、みんなとはしゃぐ大地がこっそりスマホを出すのを見ると、つい最近友達に言われたことを思い出す。
『ヒロちゃんって覚えてる?あの子、大地と付き合ったらしいよ』

 五月。新潟県北部にあるうちの中学校で、他校の生徒との交流学習が行われた。
 相手側は同じ郡に属する村の中学校だが、日本海に浮かぶ、県全体でみたら粟粒のように小さい島にあり、全校生徒は二十人に満たない。
 三年生は男女二人だけで、そのうちの一人がヒロちゃんだった。
「好きなことは海水浴です」
 人懐っこい笑みでそう自己紹介したのを覚えている。
 三日間の滞在ですっかりクラスに馴染んだ彼らは、こっそりスマホでクラスメートの何人かと連絡先を交換しており、交流学習後もやり取りを続けているらしかった。
 
 二か月後、今度はこちらから島を訪れることになった。
 島の中学では学校行事だった交流学習も、少子高齢化の村とはいえ、各学年二クラスあるうちの中学ではそうはいかない。
 なので生徒会書記局の数名と先生二人で行くことになっていた。
 夏休みを利用して行われる島での交流学習の内容は観光やレジャーで、「楽しみにしていたのに何が悲しくてデート気分の同級生を見なきゃいけないんだろう」と思っていたが、意外にもヒロちゃんは大地に近づかなかった。
 それどころかサイクリングの時も乗馬をする時も、ずっと私のそばにいてあれこれ話しかけてくれた。
「遠距離の彼氏がいるのに行かないの?」と聞こうとも思ったが、別に何でもいいか、と私は気にせずにいた。

 夕方、海岸でバーベキューが行われた。
 海を見ながら食事をしていると、隣に座るヒロちゃんが「空に落ちたいな」と呟いた。
「ヒロさんそれよく言いますよね」「どういう意味ですか」と近くに座っていた二年生達が口々に聞いたが、彼女はえへへと笑うだけだった。
 私が「なんか分かるかも」というと、ヒロちゃんは「ほんと?」と目を輝かせた。
「私、空を飛びたいって思う時あるの。うちは山に囲まれた田舎で、どこに行くのも時間かかるから、行きたい場所に真っ直ぐ飛んで行きたいって思う」
 的外れかもしれない。そう思った時、「それな!」と嬉しそうな声が飛んできた。
「私もね、空に落ちて空を泳いで行きたいなって思うの。地上って邪魔なものが多すぎるから」
 泳ぐのが好きと言っていた彼女らしい答えに心が緩む。するとつい本音が漏れた。
「…後は、一人になりたいって意味もあるかな」
「一人?」とヒロちゃんが首をかしげる。二年生達は私の話に興味がないのか、おかわりに行った。
「私スマホ持ってなくてさ」
 ちらりと、離れた席で盛り上がるうちの中学のメンバー達を見る。
「うちのクラス、スマホ持ってる子多くてみんなSNSでやり取りするんだよね。そうするとさ、やっぱどうしても微妙な距離ができちゃって」
 別にハブられてるわけじゃない。ただ、親しいと思ってた人間関係に、さらにもう一段親密度の高い世界があったのだと気づいた時、急に人との間に薄い膜が張った。
 教室の中に沢山の管が張り巡らされていて、いろんな話が飛び交っているはずなのに、私はそのどれも得ることが出来ない。どの管にも繋がれていないから。
「みんなでいるのに孤独だって思うと、いっそ広い場所で一人になりたくなる。それなら孤独じゃなくて自由だと思えるから」
 同じ学校に通う私がどうしても入れない輪に、他校の子が入ることが出来ているのも正直羨ましかった。
「ここに来るのも、ヒロちゃんと連絡取り合ってる子が、来たほうが良かったんだろうなって思ってた」
 私でごめん。と言うと、ヒロちゃんは首を振った。
「そんなことないよ。私は翠ちゃんに来てもらえて嬉しい」
 理解してくれた人も初めてだし。と言う声は、さざ波のようだった。

 翌日は昼から海水浴だった。
 
 ヒロちゃんの泳ぎはやっぱり上手かった。黒いラッシュガードにつるりと光が滑り、糸が布を縫うように海を泳ぐ姿は、一瞬海の動物かと思う程だった。
 ただその様子は、体にまとわりつく何かを波で拭っているようにも見えた。

 休憩時間。私とヒロちゃんは砂浜の後ろで芝生を背に座った。
 海の奥に見える本土はギザギザの山が連なり、まるで地平線のすぐ上で空が破られたようだった。
 男子達が休憩せずに波打ち際で騒いでいる。大地はやはりリーダー気質なのか、ここでもみんなの中心だ。
 その様子を眺めていたヒロちゃんが、譫言のように呟いた。
「私ね、大地くんに写真送っちゃったの、下着の」
「え?」と思わず声を上げた。慌てて近くに人がいないことを確認する。
「私、大地くんと付き合ってて。初めてで嬉しかったの。最初は顔写真とかだったんだけど、だんだんそういうのも要求されるようになって」
 大地のはしゃぐ声が聞こえてきて、反射的に鳥肌が立つ。
「あの子も大地くんの彼女だってね」
 そういってヒロちゃんが指したのは、うちのメンバーの女子。
 知らない。だってそれは管を通して伝わる情報のはずだから。
「問い詰めたら、誰にも言わないでね。俺は写真持ってるんだよ?って言われて」
 ぎゅっと膝を抱えて小さくなった姿を見て、彼女を覆っていたのは後悔だったのだと気づく。
「大地くんのスマホにある写真、消せないかな」
 こんなこと誰にも言えなくて。と力無く零れたその言葉は、私の中の乾いてしまった部分に染み込む。
 張り巡らされたどの管も通らず目の前で落とされたそれを、砂浜で蒸発してしまわないうちに私は受け取った。

 休憩の後、私は隙を見て大地のスマホを鞄から抜き取り、海に水没させた。

***

 バレるかもしれない。
 スマホが発見されて騒ぎになる様子を、二人で遠巻きに見ながら思った。
 そもそもスマホは校則違反だろ。と叱る先生の声が聞こえる。
 「ちゃんと壊れたみたいだね」
その言葉の僅かな安心感に縋ろうとした時、一人の生徒が恐る恐るといった感じに手を挙げたのが見えた。何を言っているのかは聞こえないが、次の瞬間みんなが一斉にこちらを向いた。
 心臓が跳ねる。
 やばい。と掠れた声が漏れた時、後ろでヒロちゃんがそっと私の手を握った。
「天地がひっくり返って、みんな空に落ちて溺れればいいのに」
 炭酸のペットボトルを開けたみたいに、一瞬、軽く頭に血が上った。実行犯は私なんだ。そう思い、つい言ってしまった。
「ヒロちゃんは泳げるけど、私はみんなと溺れちゃう」
 翠ちゃんは私が助けるよ。と、凛とした声が聞こえた。 
「悪用されるかもしれなかった写真は翠ちゃんが消してくれた。でもされた事の証拠はある。だから事実は消えない。私が隠さなければ」
 先生達がこっちに来る。
 「やれって言われたって言ってね」
 そっと微笑んで言うと、握っていた手を離した。
 その瞬間、ヒロちゃんはシーグラスのような青空に飛び込んだのだと思った。

 天地を、ひっくり返すために。