8月1日 

(著者)月の砂漠

 平日朝の通勤ラッシュ時には、立錐の余地もないほど大混雑する信越本線だが、さすがに日曜の終電間際ともなると、乗客の数はさほど多くない。
 俺は四人掛けのボックス席に座り、背もたれに深く体を預けていた。今日は休日だというのに、仕事に駆り出されてしまった。日中は猛暑だったこともあり、すっかり疲労困憊の有り様だ。
 俺は見るともなしに窓の外を眺めていた。山と田畑ばかりの緑一色から、徐々に建物が増えてくる。俺の家がある長岡駅まで、あともう少しだ。俺は、帰宅後すぐに浸かる予定の熱い風呂を想像していた。
 その時だった。
 突然、車内の電気が消えた。あたりが漆黒に包まれる。電車は速度を落としながら停止した。
「送電線の異常が確認されましたので、一時停車します」
 車内アナウンスを聞いて、俺は溜息をついた。長岡駅まであと数分で到着だったのに、ついていない。
 何気なく、車両内をぐるりと見回す。暗くてよく見えないが、いつの間にか、乗客は俺一人になっていた。闇の中に一人という状況は、決して気持ちの良いものでもない。そわそわしながら復旧を待っていると、ふと、窓越しに声が聞こえてきた。
「助けてぇ、助けてぇ!」
 俺は慌てて窓の外を見た。だが、人の姿はない。気のせいかと思ったが、すぐに、また違う音が聞こえてきた。
「ゴォォォ……ゴォォォ……」
 それは、飛行機の音だった。何機もの飛行機が頭上を飛び回っているような音だ。
 こんな夜に、なぜ飛行機が?
 戸惑っていると、音がさらに重なった。今度は、耳をつんざくような轟音だった。
「ドォォォン……ドォォォン!」
 それは、爆発音だとしか思えないような激しい音だった。
 俺は再度、周囲を見回した。そして、思わず悲鳴を上げてしまった。
 車内に、たくさんの人が倒れていたのだ。
 そんな馬鹿な。ついさっきまで、この車両には俺一人しかいなかった。この倒れている人たちは、どこから現れたのか。
 俺は恐怖を懸命にこらえながら、一番近くに倒れていた人に近寄った。
 その人の顔は、黒焦げだった。
 俺は息を飲んだ。とても生きているようには見えなかった。苦痛に歪んだ表情で、じっと虚空をにらんでいた。
 俺は倒れている人々を次から次へと調べていった。
 全員、死んでいた。全員、黒焦げだった。
 パニック状態に陥った俺の耳に、人間の声がまた流れ込んできた。
「死にたくない、助けて、お父ちゃーん!」
「逃げて、早く逃げてー!」
 それは、聞こえるというより、直接、頭の中に突き刺さってくるような声だった。
次の瞬間。俺の目の前に何かが落下した。俺はまばゆい閃光に包まれながら、全身がバラバラに弾け飛んでいた。
「次は、長岡駅。長岡駅です」
 穏やかな車内アナウンスで、ハッと我に還った。心臓が早鐘を打ったように鳴り響いている。汗びっしょりだった。だが、俺は生きている。体は砕け散っていないし、車内に黒焦げの死体など一つもない。いつもどおりの信越本線の車内だった。
 夢だったのか。疲れて、悪夢にうなされていただけなのか。それにしては、あまりにもリアルな夢だった。
 帰宅してからも、先程の悪夢のことが頭から離れなかった。俺はスマートフォンを片手に、ネットであれこれと検索してみた。
「新潟」「長岡」「爆弾」「空襲」「焼死体」
 そんな言葉を検索エンジンに入力していたら、やがて、あるサイトに辿り着いた。
 そのサイトは、太平洋戦争末期、長岡市で大規模な空襲があり、千人以上の死者が出たという不幸な歴史を伝えていた。
 その空襲の日は、8月1日。
 今日と同じ日付だった。
 俺は確信した。俺が先程見たのは、夢ではない。過去だ。昭和20年8月1日の夜の、地獄のような現実の光景だ。
 俺はスマートフォンを机に置き、目を閉じて、そっと祈りを捧げた。
 名前も知らない、たくさんの戦没者たちの冥福を、ただただ、祈り続けていた。

【了】