(著者)トシツグ


沖合を見やれば、今日は波が穏やかで。
あぁ、どうやら雲も浮かんでいない。
何とも、良い日和になりそうだ。
舟を出すなら、こんな日がいい。

魚籠(びく)と箱眼鏡、それに、銛(もり)。舟に乗せられるものには限りがある。
まぁ、舟、と言ってもただの盥(たらい)に相違ない。
もとは洗濯桶だとか、聞いたことがある。
そんな突拍子もない発想さえ、趣深さを感じる。
私は出来が悪かったから、何度も海に転げ落ちたものだ。
今は、もうそんなことないけれど。
「今日も、頑張ろうな」
杉の木の手触りを確かめて、舟に乗り込み、櫂(かい)で岸を押す。
ぐらりと足場が揺れ、身体が浮くのを感じながら。
水面の浮き沈みを読み、ゆっくりと漕ぎ出した。

朝凪の静けさが、私は好きだ。
先ほどまで賑やかだった潮騒も、風と共に鳴りを潜めている。
水天一碧。海と空とが溶けて混じって、一片の曇りもない。
見渡す限り、透き通るような碧(あお)。
何度でも、何度でも。
この景色を焼きつけたくなるのだ。
境目が柔らかく浮き上がって、白波が立ち始める。
擽るように風も動きを取り戻す。
さぁ、舵を取りやすいうちに、漁場に向かうとしよう。

岩にぶつかって白く爆ぜる波。
その合間にちらちらと魚の鱗が光った。
小木の一帯は岩礁と小さな入り江が多い。
小回りの利く盥舟でなければ、きっと思うようには動けない。
細かい波間に箱眼鏡を覗かせれば、眼前に広がる、光の帯の数々。
風も、波の声も耳に届く。それなのに、私は海の中にいるようだ。
今日も、綺麗だ。
ずっと眺めていられる。そう思う。

岩場に張り付いているのは鮑か。
ケイカギを伸ばし、殻に引っ掛ける。
手首をくくと返し、より深くに潜らせる。
こうすれば少しばかり楽に、獲れるものだ。
タモに潜らせ、引き上げれば、少々小ぶりではあるものの、立派な出で立ちだ。
良い値で売れておくれな。
魚籠に放り入れると、次の獲物を探す。
これの繰り返しだ。

磯ねぎ漁、見(み)衝(つ)き漁。こういった生業の人も、随分少なくなった。
それも、良いのだと私は思う。
移ろいゆく時代の中で、私が選んだ生き方。
選んだ者にしか分からないことも、見えないことも、ある。
それがどんな生き方だとしても。
それはきっと、当たり前なことで。
でも、特別なものだ。
海から出るときに私は毎日のように思う。
漁をし、たまに人を乗せ、この盥舟で過ごす時間。
そこで見せつけられる、美しい世界の、小さな片鱗。
この先、何年だって、私はこのためだけに生きることができる。

夕刻に、また来るよ。
漁火の用意でもして、見衝きをしよう。
私の一日は、こんな感じだ。