只見線

(著者)楽市びゅう

 東京が嫌になり宛てもなく列車の旅を続けていたある冬の話。

 その日私は夕刻の会津若松にいた。今日のうちに新潟県へ入りたい、さてどんな風に向かおうかと考えていた。
 駅にある路線図を見ると、新潟市内を目指す磐越西線と魚沼の辺りまで西進する只見線があることを知った。飛び込みで宿を探すことを考えると前者の方が妥当だろうかとも考えたが、それではつまらない。旅情に駆られ行動も大胆になっていた私は、この先訪れる機会が少なかろう方を選んだ。
 後になってその評判も聞いたが、只見線は車窓から見える雪景色が見事だった。東京では到底お目にかかれない、豪雪の中をガシガシ列車が進んで行く様子は爽快だった。
 やがて日は沈み、白銀は暗闇に消えた。黒と暗い白だけの風景、ゴーゴーという気動車の轟音と振動、それに只見線内にやたらと続く「会津◯◯駅」という駅名に私は次第にぼんやりし始め、気付けば深いまどろみに入っていた。

 どこをどう巡ったのかわからない。しかし、私は終電と思しき列車でさらに魚沼のさらに西、直江津に放り出された。
 携えた時刻表を辿れば一応辻褄は合うが、全く記憶がない。
 私は身震いしたが、頬を叩いて現実に戻った。とにかくこの直江津で今夜の宿を探さねば、真冬に知らぬ土地で野宿では身震いどころでは済まなくなる。
 しかし宿探しは案外にあっさりと解決した。駅前にビジネスホテルがあったのだ。期待を込めてエントランスを入る。
「本日、部屋に空きはありますか」
 フロントにいる男性に発した言葉に、自分で驚いた。寒さにやられたのか、声が枯れている。久しぶりに声を出したから気付かなかった。
「ええ、空いてございます。それにしてもこんな夜遅くに、大変だったでしょう」
 身を案じてくれる男性の言葉にほっとする。
「東京から来られたのですか。これは寒い中を、よくぞお越しいただきました」
 私が宿泊者名簿に記帳した住所を見て、男性が驚く。
「少し理由あって、列車の旅をしてましてね」
「お一人で旅とは、お若いですね」
 四〇くらいの男性から見れば、社会に出てまだ三年の私はやはり若いのだろうか。
「ごゆっくりなさってください」
 うやうやしい男性の接客に喜びながら、鍵を受け取ってエレベーターに入った。瞬間、私の眼前に映る鏡の中の自分の姿に叫んだ。
「ぎゃあっ」

 そこにはまるで冬空の雪を被ったように髪も髭も真っ白の、皺くちゃな老人の男性がいた。二重に驚いたことには、それは紛れもなく私であった。
 私は延々と続く只見線のまどろみの中で、幾年もの年月を過ごしてしまっていた。

 只見線は現在豪雨災害によって寸断されている。いつか復旧により繋がれば、私はあの時とは逆方向に乗車してみたいと思っている。それもまた冬がいい。きっと気動車にまどろんで、会津若松に到着する頃にはまた若返っているだろう。

カレン

(著者)圭琴子


 彼女は春の嵐の夜、山中の雑多な研究室内でひっそりとこの世に産まれ落ちた。
 はじめのひと息がほうっと平坦な胸を膨らませ、ゆっくりと大きな目がしばたたく。白いノースリーブワンピースを着た幼い彼女が身を起こすと、長い黒髪がシーツを滑ってしゃらりと音を立てた。
 傍らに立つ男性をぼんやり見上げ、彼女はまず初めての質問を口にする。
「あなたは……誰? あたしは……誰?」
「僕は、関戸慎司(せきどしんじ)。君は、カレン」
 関戸は、カレンが目覚めてすぐに、人間らしい好奇心を示したことに満足して笑顔を見せる。それにつられるようにして、カレンも桜色の頬に笑みを浮かべた。
「初めまして、カレン。喉は渇いてない? お腹は? 何でも僕に教えて」
「お水が飲みたい」
「ああ。これ、ミネラルウォーターだよ。冷えてる」
 隅の冷蔵庫から五百ミリのペットボトルを取り出し、カレンに手渡す。彼女は美味しそうに、三分の一ほどをひと息に飲み干した。
 関戸は、ナガオカ・テクノロジーユニバーシティの、機械創造工学課程・博士(はくし)課程を修了し、大学院で研究を続ける博士(はくし)だった。
 彼の研究は、限りなく人間に近いヒューマノイドの創造だ。その研究が実を結んだのが、カレンだった。
 カレンは、三歳程度の子ども特有の丸まっちい指を握り、瞼をこする。やがて仔猫のように、天を仰ぎ大口を開けて欠伸(あくび)をした。
「……カレン、眠い」
「ああ、そうか。毛布を持ってくるから、今日はもう眠りなさい」
「うん」
 再度、カレンは欠伸をした。目尻に生理的な涙が結晶する。そのひとつひとつを余さず観察して、関戸は興奮を抑えられなかった。
 『夜になる』『眠い』『欠伸が出る』『涙が滲む』
 人間がごく自然に行う営みだが、それをカレンも的確になぞっている。
 この研究は、成功だ。そう確信して、カレンにおやすみを言って寝かしつけたあと、関戸も仮眠室のベッドに入った。
 ――夢を見た。カレンが成長し、美しい娘になる夢を。それを夢だと自覚しながら、関戸は彼女に「綺麗だ」と賛辞を送るのだった。

 それから、二十年が経つ。二〇七二年においては、もはや人間に近いヒューマノイドは珍しくない。それは、関戸の研究成果によるところが大きかった。
 この世に三歳の身体で生を受けたカレンは、一年ごとに関戸が成長したボディを与え、今年二十三歳相当になる。彼はカレンのボディを、これ以上成長させないと決めていた。
「せっきー、ただいま!」
 今年四十九(しじゅうく)になる関戸をニックネームでそう呼ぶのは、もはやカレンだけだった。結婚もせずカレンのアップデートに人生を捧げ、年齢的にも、彼女は関戸の娘も同然だった。
「ただいま戻りました」
 あとから凜々しい青年が、続いて研究室に入ってくる。
「カレン、ジョージ、おかえり」
 青年は名をジョージといった。カレン同様、人間そのものだが、昨夜関戸が二十五歳相当のボディで誕生させたばかりのヒューマノイドだった。
「で、どうだった? 楽しかったか?」
 デスクに着いている関戸に飛び付かんばかりの勢いで、カレンは語る。
「うん、お山の公園に行ってきたの。お城が綺麗だったし、神社でお参りしてきたし、動物園でクジャクを見たわ! クジャクって、オスが求愛するときに飾り羽を開くのよね? 飼育員さんに必死にアピールしてるのが可愛くって、久しぶりに大笑いしちゃった」
「そうか。良かった」
「せっきーっていつもくたびれた格好してるけど、クジャクを見習った方が良いと思うわ。無精髭を剃るだけで、見違えると思うのに」
 カレンは饒舌(じょうぜつ)に、コロコロとよく笑う。
 親の心子知らずか、と関戸は小さく吐息した。
「見せる相手が居ないからな、良いんだよ。……で? ジョージはどうだった?」
「はい。楽しかったです。カレンに、関戸博士のことを、沢山教えて貰いました」
「どうもクシャミが出ると思ったら、カレンか」
 冗談めかしてぼやき、関戸はふたりに向き直って胸の前で指を組んだ。
「君たちには、新居を用意してある。そこで、今日からふたりで暮らして欲しい」
 年頃になったカレンにパートナーを与えるのが、ジョージを作った目的だった。いずれは赤ん坊も作り、ふたりに養育させる計画だ。
 ヒューマノイドが人口の半数まで増えた二〇七二年において、ヒューマノイドとの恋愛・結婚・疑似出産が可能かどうかの実験だった。

 だがその実験は、残念ながら失敗した。いや――広義で言えば、成功したのかもしれない。
 お山の公園――悠久山公園(ゆうきゅうざんこうえん)で、二千五百本ある満開の桜の下、ベンチに並んで座る老夫婦は、ほっくりと日向ぼっこを楽しんでいた。
「……なあ、お前。考え直してはくれないか?」
「いいえ、あなた。私も一緒に」
「そうか……」
「父さん、母さん、飲み物買ってきたよ」
 ふたりを「父」「母」と呼んだが、共白髪のふたりには似つかわしくない、二十代半ばの青年だった。
「ありがとう、ジョージ」
「ジョージ、カレンの考えは変わらない。教えてある手順で、私が死んだら、カレンも眠らせてやって欲しい」
「分かりました。安心してカレン。ちゃんと、関戸博士と一緒に天国に行けるようにしてあげる」
「ありがとう、ジョージ」
 カレンはもう一度繰り返して、しわ深い面(おもて)で破顔した。ヒューマノイドには宿らないはずの、魂(こころ)からの幸せを映した笑みだった。

タイムトラベル

(著者)竹之内まつ子


 バスから降りた停留所は八木前。少し先
に有名な八木ヶ鼻の勇姿がみえる。

 私たちは高校に入って初めての夏休みに
クラスのみんなでキャンプファイヤーをし
ようということになった。目的地は下田の
小学校が閉校した跡地、校舎を宿泊施設と
して利用できる山荘だ。
 
 東三条駅からバスに揺られること40分。
五十嵐川沿いをバスはくねくね曲がりなが
ら走っていく。1日に数本しかない路線バ
スには他の乗客の方も多く乗っていた。
 
 迷惑にならないように、小さな声で
おしゃべりをしたりしている子もいたけど、
私は話に入らず耳を傾けながら外の景色を
眺めていた。川沿いの道は山の緑も濃く
流れる川もゆるやかでほっとする風景だ。
 
バスから降りたら徒歩で山荘へと向かう。

「ねぇ」
と、長野さん。彼女はラジカセを持参して
いた。 
「一緒に歌おうよ!」
彼女はアニメ好きで、アニメの曲のカセット
テープをかけてくれた。私も含めてアニメ好
きの子たちが合唱を始める。
 しばらく雨の降らない砂利道はほこりっぽ
かった。歌声に負けんばかりにセミの鳴き声
も四方八方から降り注ぐ。

「暑いなぁ~まだ~」
暑さと疲れから誰かが言った。その脇を1台の
セダンが追い越していった。
「あ~松井先生、ずる~い」
それは担任の松井先生だ。

 1時間も経っただろうか、汗だくになってやっ
と山荘に着いた。それぞれの部屋に荷物を置い
て山荘の方が用意してくれた夕飯のカレーを頂
いたら、お楽しみのキャンプファイヤー。
 初めての体験。パチパチと木のはぜる音に炎
の明りがみんなの顔を照らしている。草むらで
鳴く虫たちの声。

「あ~いいね~」
民家もなく木々の切れ間からは
キラキラした星がよく見える。
いつの間にか、仲のいいグループに分かれて
山の夜を楽しんでいた。

あれから34年。私たちは60才になる。秋には
クラス会が決まっている。別々の道を歩んでき
て、また一緒にすごせる時間。

そう、私たちはあの夏の日に…一緒にすごした
夏の夜にタイムスリップするのだ。