著者) 大野美波
百合子と知り合ったのは大学時代だ。同じサークルで仲良くなり、俺の方から告白した。俺達は付き合い、就職して2年目に結婚した。そしてなんと子どもを授かったのだ。俺はこれ以上ないくらい喜んだが、百合子の表情がぱっとしない。妊娠からくるフォルモンの乱れで気分が落ち込んだり体調が乱れたりすると聞いたことがある。心配していると突然新潟に行こうと言われた。あまりにも強い瞳で言われたので俺は即休暇をとった。
そして、二人で新潟の海を見ている。
「赤ちゃんね、堕ろそうと思うの」
「え?」
俺は驚いた。百合子がそんなことを考えていたなんて。
「あのね、私おばあちゃんが新潟の人なの」
「うん」
「新潟水俣病って知ってる?工場から出たメチル水銀に汚染された川の魚を食べた人が、手足のしびれを訴えたの」
「四大公害事件って社会でやった気がする」
百合子はうなずいた。
「ひいおばあちゃんが被害者でその時おばあちゃんがお腹にいたの」
しばらく沈黙があった。
「幸い赤ちゃんのおばあちゃんに障がいは出なかったし、遺伝する病気じゃないらしいんだけど、それまで私達の家は医者の家系だったの。そうでなくなったのは新潟水俣病のせいだっておばあちゃんもお母さんも言われて育って来たのを私知ってるの」
『だから、産むのが怖いの。私はそんなこと思うような母親になりたくない』
百合子は言った。俺は手を伸ばして百合子の涙をぬぐった。
「俺は科学者じゃないから、科学的なことはわからない。けど、百合子とこの子と生きていきたい。それに…」
俺は続けた。
「また公害を起こしてはいけないという決意が自分のルーツなんて、すごく大事なことじゃないか?それに見ろよ。この景色を」
夕日が海に沈んでいく。それは美しいの一言だった。
「俺、百合子とこの子を守る」
「たかし…そうね。産むわ」
俺達はしばらく手を握りあい夕日を見ていた。