トルコ村奇譚

(著者)石原おこ

 僕は浜辺に打ち上げられていた。
 いや、他になんて表現したらいいのだろう?
 砂浜に寝転がっていた。目を開いてみたら浜辺にいた。
 確かに、気がついたら浜辺に大の字になって横たわっていたのだが、この体の疲れ、節々の痛みは単純に浜辺で寝そべっていたわけではなく、日本海の荒波にもまれて、ようやく浜にたどり着いたような感じがする。そんなけだるさが全身に残っていた。
 まどろみの中、記憶をたどってみる。
 そして、このけだるさの原因は何だろうかと思いを巡らせてみる。
 ふと頭に浮かんだのは、彫りの深い顔の、蒼い髪を風に揺らしている女性の姿。そして、片言の日本語。
「コノムラヲタスケテ」
 この言葉が、頭の片隅にこびりついていた。
「この村を助けて」
 僕は勇者にでもなって、ドラゴンとでも戦っていたのだろうか?体の痛みを思えば、あながちそれも嘘ではないような気がする。

 鯨波海岸まで車を走らせてきた。でも決して海水浴が目的ではない。
水着も持っていないし、今は海水浴を楽しむような時期でもない。ましてや僕は泳げない。そう言えばこの時期はクロダイがよく釣れると、愛好家の友人が言っていた。でも残念ながら、僕には釣りをたしなむような趣味はない。となると、ただただこの渚からの景色を眺めるために僕はやって来たのだろうか?
 もう一度、頭の中にあの言葉がこだまする。
「コノムラヲタスケテ」
 そうなんだ、僕はきっと、この『ムラ』を救うためにこの地に降り立ったのだ。

 イスラム教の礼拝所、モスクを思わせるような円形のドームを見上げていた。ドームの四辺に立っている円柱は潮風にさらされて錆つき、すでに廃墟を思わせるようなたたずまいだった。
「ソータ!こっちよ!」
アラナイがそう叫んだ。
振り向くと、視界の先には何本もの円柱が立っていた。柱の先端はクルクルとパーマをまいたような彫刻が施してあり、ギリシャの神殿に立つ円柱のようにも見える。何本も並ぶ柱の一つ、その陰にアラナイの姿があった。
「アラナイ!」
僕は叫びながら走り出す。
 アラナイは琥珀色をした長いスカートをはいていて、頭にはトルコ石をあしらったティアラのような髪飾りを載せていた。その姿はアニメのアラジンに出てくるヒロイン、ジャスミンの姿を思わせた。
「ソータ、この村を守って。もう敵がそこまで来ているの。ムスタファを助けなきゃ。」
柱の陰でアラナイがそう告げる。アラナイも走ってここまでやって来たのか、息が上がっていた。
「ムスタファはどこに?」
「円形劇場よ!トロイの木馬に潜んでいた敵が出てきて、今一人で戦っている。」
「一人で!なんて無謀な!」
僕は円形劇場の方へと向かった。後ろからアラナイもついてくる。
遠くから怒号が響いている。そしてその声は徐々に大きくなっていった。

 円形劇場にたどり着くと、すぐにムスタファの姿が目に飛び込んできた。観覧席のその先、舞台の上でムスタファは十人近くの敵と対峙している。
ムスタファもすぐに僕の姿を見つけたようで、
「ソータ!」
と低い声を響かせた。応戦しなければとムスタファのいる舞台へと向かったが、すぐに三、四人の敵に囲まれてしまった。
残念なことに、僕はこれといった武器を手にしていなかった。相手の剣を振りかざすその隙に、みぞおちのあたりにこぶしを入れるのが精いっぱいだったが、それでも運よくクリーンヒットし、敵の何人かは腹を抑えながらその場にうずくまった。
 丸腰のまま何人かの敵を蹴散らしながらムスタファの方へと駆け寄っていくと、ムスタファは腕や足に刀傷を負っていて、すでに立っていることもままならないような状態だった。それでも僕が近づくとホッとしたのか、白い歯を見せて笑ってみせた。
「ソータ、すまない。この村はまもなく滅びる。」
「ムスタファ将軍、何を弱気なこと言っているんです。あなたが支えてきた村じゃないですか!」
「ソータ。それでも時の流れには逆らえない。私はこの村で、多くの人が笑い、楽しみ、そして若い男女が結ばれ、皆がそれを祝う、そんな理想を描いていたのだ。ソータと…この村の姫であるアラナイの二人の結婚も…」
「結婚…」
そう呟きながら、ふと後ろを向くと、僕の後をつけてきたアラナイが頬を染めている。
 その瞬間、敵の剣の一振りが僕の背中を走った。しかし、刃先がほんの少し触れただけで、深手と言えるような傷でもなさそうだった。
 僕はムスタファの手にしていた剣を奪い、ふり返って敵と向き合った。
「アラナイ!ムスタファを連れて海へ!海へ逃げるんだ!」
応戦する僕の後ろを懸命についてきたアラナイは、僕の顔を見上げ一つうなずくと、ムスタファの手を取り、舞台の袖の方へと駆けていった。
 僕は手にしたムスタファの剣で中段の構えをとり、左のわき腹にぐっと力を込めた。そして力強く叫んだ。
「この柏崎トルコ村は、僕が守る!」

 オレンジ色の夕日の光が目を刺した。
ゆっくりと起き上がり、服に着いた砂を叩き落とす。とにかく、駐車場まで行くことが最優先だと思った。でもどこに車を停めたのかもよく覚えていなかった。
「僕は、トルコ村を守ったのだろうか?」
夢を見ていたのだと思う。だけど、体の節々に感じる痛みは、一連の出来事を現実のもののように感じさせる。
砂浜の砂に足を取られながらなんとか歩みを進めていくと、砂にまぎれてキラリと光る何かを見つけた。
近づいてみると、パチンコ玉くらいの大きさのトルコ石だった。
 いや、本物のトルコ石かどうかはよくわからない。でも、淡い水色の小さな丸い石は、アラナイ姫が頭につけていたもののように思えた。