朱鷺の舞

芦沢シン(著者)

ひらっ、ひらっ。
白い羽根を、きらびやかに羽ばたかせている。
あれは……朱鷺?
まさか、ね。頼人(らいと)はかぶりを振る。しかし、目の前に広がる神秘的な光景は変わらない。
新潟県新潟市にある、万代シテイバスセンター。周辺に商業施設が立ち並ぶ中にあって交通拠点となっているこの地は、老若男女の人たちがそれぞれの目的に向かって行き交っている。その2Fのイベントスペースに、頼人はいる。四方八方が背の高い建物で囲まれているイベントスペースでは、アーティストのライブやテレビ番組のイベントなどで利用されている。
頼人は、朱鷺が立っているステージを見つめている。
暑さもほんの少しだが和らぎ、雲一つない青空が広がっている今日の新潟市。田んぼには、黄金色をした稲穂が一面に広がっているのを、ここに向かうまでに見た。とはいっても、ここは田んぼではない。こんな人工的な造りの場所に降り立つわけがない。これは、一体何だろう?夢でも見ているのだろうか?

ひらっ、ひらっ。
一目散に駆けだして、リュックを慌ただしく羽ばたかせている。
「ごめん!今日、用事があるから昼飯一緒に食えないわ」
土曜の午前にある大学のゼミの授業。最近、昂太(こうた)はこんな感じで抜け出すことが多くなった。大学で同じゼミに通っている昂太とは、とりわけ気が合い何かと行動を共にしている。授業がある日の昼は食堂に集合するのが、いつの間にかお決まりのようになっていた。
用事って何だろう?バイトならバイトって言うだろうし、何か秘密でも隠しているのだろうか?ある日のゼミが始まる前に頼人は一度聞いてみたことがあるが、「まあ、用事は用事だから」とはぐらかされてしまった。
今日は、同じゼミの人たちもバイトで帰ってしまった。頼人は手持ち無沙汰になったが、ちょうど欲しい文房具もあり、LOFTに寄るついでに久しぶりに万代で何か食べようと、その道すがらバスセンターを通ったところだった。

ひらっ、ひらっ、バサッ!
ゆったり舞うように、かと思えば時に激しく羽ばたかせている。
流れる曲に合わせて、リズムよく朱鷺たちは舞っている。遠目で見ると朱鷺たちは同じように見えるが、じっくり観察してみると、背の高さや舞い方が微妙に違うのがわかる。
ステージの前は、大勢の人で埋め尽くされている。音楽に合わせて手拍子をする人。サイリウムを振る人。うちわを持っている人。中には大声で叫んでいる人もいる。ステージ前だけでなく、2Fと3Fのバルコニーにいる人たちの視線もステージに注がれている。気が付けば、頼人の視線もステージに向いていた。
どうしてだろう?頼人は、心が沸き立つものを感じていた。こんな感情は今までに記憶がない。まるで催眠術にかかったように身体が動き出しそうだ。どうして、こんなに眩しいんだろう?

ひらっ、ひらっ、パタっ。
朱鷺たちの動きが止まった。今度は横一列に並んだかと思うと、ひときわ背の高い朱鷺が前に出た。
あっ!
「皆さんこんにちは!私たち…」
朱鷺……じゃなかった。これは、夢ではない。ということは、今見ているものは現実なのか。都会の中でしかいないと思っていた存在。ここでは、テレビやYouTubeの中でしか見れないと思っていたような存在。それが今、目の前で踊っている。
「それでは引き続き、よろしくお願いします」
挨拶を終えて、彼女たちは先ほど立っていた場所に戻る。柔和な表情から一転、切り裂くような真剣な目つきに変わり、ふたたび舞いはじめた。

ひらっ、ひらっ。
「今日はありがとうございました。ぜひ、劇場に遊びに来てくださいね!」
観客に笑顔で手を振りながら、彼女たちがステージを降りていく。
どうやら、今日の彼女たちのライブは終わったみたいだ。
いなくなったステージは、華やかさがまだふんわりと残っているようにも感じる。
でも……。
どうしてだろう?胸騒ぎがとまらないのは。
どうしてだろう?切なさの香りがするのは。
彼女たちがいなくなるとともに、ステージに視線を向けていた人たちがそれぞれの現実に帰っていく。
すると、
「あっ!」
頼人の視線は、歩いている人たちに紛れている一人の若者を捉えた。
「あいつ、用事ってまさか!」
昂太に向かって一目散に駆けだす。
どうしてだろう?不思議と顔には笑みが浮かんでいる。
なんだよ、用事って!
こんなにワクワクする秘密、隠し持ってんじゃねーよ!

バシッ!
昂太を捕まえる。普段は見せない頼人の前のめりな姿勢に、昂太は驚いた表情を見せる。
「どうしたの?なんでここに…」
どうしてだろう?気が付くと、口が勝手に動いていた。
「あの朱鷺とどうやって会えるか教えてよ!」
「え!?あ、ああ、あそこだな」
指を差しながら、昂太はいつもの柔らかな表情に戻る。
「今度、一緒に行こうぜ」
その指は、バスセンターから見て右斜め上を差している。
万代シテイ、ラブラ2の4F。
白と赤を基調とした看板。
どうやらそこが、彼女たちの活動拠点らしい。
「ところでさ、頼人の推しって誰?」
それは……。
「えっと、それは……、今度劇場に行ったときに決めるよ」
頼人も同じく、白と赤を基調とした看板を指差す。
二人が新たに共有した秘密。

ひらっ、ひらっ。
朱鷺たちの舞を見て、頼人は自分にも羽根が生えたかのように、心が舞っているのを感じていた。

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