母校

如月芳美(著者)

 東京に来て何年経つだろうか。娘の結婚式があったばかりだから、かれこれ四半世紀になるか。
 ここにも今シーズン初の雪が降った。雪と言ったって積もるほどではない。道路に落ちた雪もあっという間に融けてなくなってしまう。結晶を見るのはほぼ不可能だ。
 子供の頃は雪がたくさん降り、雪だるまはもちろんのこと、かまくらや謎の雪像を作って遊んだ。
 小学校へはスキーを履いて行った。田んぼの真ん中を斜めに突っ切って行くと早いのだ。夏には絶対にできない芸当だが、冬場はみんなそうやって登校していたので、スキー板の轍ができていてその跡に添って進むのも楽しかった。
 そして必ずと言っていいほど誰かが新雪の中に倒れ込んで自分の形を残した跡があり、途中で小便をしたらしい黄色い穴があった。
 当然だが、休み時間は全校生徒が校庭に出る。誰一人教室になんか残っちゃいない。山の中の分校で、全校でも四十五人くらいしかいないのだ。全員が全校生徒の名前を知っている。
 みんなでやるのは雪合戦だ。一年生から六年生までいるのだから、当然ルールは必要になる。五、六年生は低学年を狙ってはならない。雪玉の中に石や氷柱の破片を入れてはならない。顔や頭を狙ってはならない。広範囲の学年で遊ぶには必要なルールだったし、それはずっと先輩たちの代から受け継がれていたルールだったので誰も疑問に思わなかった。
 毎日やっているとだんだん要領がよくなってくる。二手に分かれたチームの中で、雪玉を作る係と投げる係に分かれるのだ。そのうちに『要塞』と名付けられた雪の壁を作るようになり、雪玉を作る係はその要塞の影でせっせと雪を丸めて弾を作り始める。攻撃部隊は決められたラインから出ないようにしてひたすら相手の攻撃部隊に雪を投げる。
 こんな感じでやるものだから、攻撃部隊でコントロールのいいやつはヒーローになる。当然人気者だ。
 俺はいつも攻撃部隊には居たが、コントロールが悪すぎて上手いヤツの引き立て役にしかならなかった。
 そんな俺ももうすぐ還暦だ。もう雪玉も投げられないだろう。

 と、ぼんやり考えていたのが先週だ。今日は新潟の実家に帰っている。無性に「積もった雪」が見たくなったのだ。
 上越新幹線も埼玉辺りまでは東京とさほど変わらない。それがどうだ、少し経つと一面の雪景色。長岡に着く頃には川端康成の気分だった。
 実家に帰ると母が得意の『のっぺ』を作ってくれていた。これはのっぺい汁とは違う。新潟の『のっぺ』は煮物であって汁物ではないのだ。俺は母の作る『のっぺ』が大好物だった。
 コタツに潜ってさっぱりわからない新潟のニュースを見ていると、母がボソリと言った。
「あんたの学校、なくなったよ」
 小学校のことだった。町中の学校に併合されて廃校になったとのことだった。
 仕方のないことだ。こんな山奥に住むのは、今では昔から住んでいる年寄りだけだ。若い人はみんな町の方に住みたがる。こんな不便なところでは買い物さえままならないし、雪が積もれば家から出られなくなる。俺が子供の頃は、雪が積もって玄関が開かない時は二階から出入りしたものだが。
 俺は少し懐かしくなって、母校を見に行くことにした。辿り着けるかどうかわからないが、とにかく覚えている限り通学路を進んでみる。
 あの頃砂利道だった道路は舗装されたらしいが、こう雪が積もっていれば舗装されていようがいまいが関係ない。できる事なら田んぼを斜めに突っ切って行きたいところだが、スキーの板も履いていないし家が建っていたり小さな駐車場ができていたりコイン精米機が置いてあったりするのでそうもいかない。仕方なく夏のルートで歩いてみたが、驚くほど記憶が明確で、あっさりと学校に辿り着いた。
 こんなに小さな学校だっただろうか。あの頃は俺も小さかったから、学校が大きく見えていたのかもしれない。
 校庭のブランコの上に小さな雪だるまが置いてある。近所の子供が置いたのだろう。器用に鉄棒や雲梯のわずか数センチの幅に十センチも積もっている。体育館の屋根から氷柱が下がっているのを見て、俺は一瞬で子供に戻った。
 雪をぎゅっと握りしめて雪玉を作り氷柱めがけて投げる。子供の頃はこうやって氷柱を落として遊んだのだ。みんなで一斉にやっていたら体育館のドーム状の屋根から氷柱ごと雪がどさーっと落ちて来て驚いたことがある。だが、それも含めてみんな氷柱落としが好きだったのだ。
 今はなんと氷柱に雪玉が届かない。投げても投げても掠る程度だ。あの頃どうやって投げていたのだろう。
 しばらく投げて諦めた。新雪の中に仰向けで寝ころんだ。子供の頃に戻った気分だった。
 後ろ頭が冷たくなってきて起き上がった。明日は会社だ、夕方には新幹線に乗らなければならない。俺は後ろ髪を引かれる思いで学校を後にした。

 春になった。母から校舎が取り壊されたと電話があった。あの時行っておいて良かった。翌日筋肉痛で仕事にはならなかったが。