フッと彷徨った街の向こうから

ベッカム隊長(著者)

 背筋を伸ばして優先シートに座った。
 鍼灸院からの帰り、小田急線はまだ午後3時を過ぎたあたりだから空いていた。
 高架になった車窓に広がる風景を見るともなしに観ていると眠くなって来た。
「・・・」
 そろそろまた長い地下へ入って行くんだな、そんなことを思いながら目を閉じた。
『代々木上原ァ~代々木上原ァ~・・・』
 なんだ下北沢を過ぎてしまったのか・・・。
 降りなくてもいいのに、なんとなくホームに出て、そのまま改札に向かった。
 Suicaをかざして高架下に出て、左に曲がり、幸福書房に入ってみた。
 店主の姿が見える。兄弟で経営しているのかよく似た二人がレジにいる。グルッと狭い店内を回って表の雑誌コーナーへ行き、何気なくぴあの最新号を手にした。
 その時、
「ぴあ・・・!?」
と思った。
 ぴあは休刊しているんじゃなかったっけ!?
 奧付けを見た。マジか・・・。
 1988年にオレはいる。
 そう言えば、幸福書房が閉店した、というトピックス記事をwebニュースでつい最近読んで、感慨に耽ったことが蘇って来た。
 ぼくは高架の下を潜って、反対側に行き、三菱銀行の前を丸正方面にまっすぐ歩いた。東京三菱UFJではなかった。丸正の入り口周辺には所狭しと商品が並べられている。懐かしい光景だ。そうして小径に入って、かつて住んでいたアパートの方に行く。築40年の佇まい。ちゃんと建っていることにうれしくなる。入り口の扉を開けてすぐの階段を上がり、左から2番目の部屋の前に立った。中に人の気配がする。
「燐ちゃん」
とぼくはあたり前のように呼び掛けた。
 鍵が外れる音がすると扉がそっと開いて、そこから女の子が顔を出した。
「買ってきたよ」
 ぼくは笑顔で、部屋に入った。
 テレクラで知り合った女性だった。
 昨日、新潟からやって来たのだ。
 ここでしばらく一緒に暮らすことになったのだ。そうして3ヶ月、ぼくと燐子は四畳半の部屋で一緒に生活した。
「必ず戻って来るから」
 ぼくは、上野駅まで彼女を送った。
 地下の新幹線のホームに立ち、ドアが閉まる前に手を握った冷たさが、すごく印象に残った。
 上野駅の地上に出て、何気なくそのまま上野東京ラインのホームに出た。
 上野東京ライン・・・!?スマホを取り出し、妻からのLineを確認する。
〝鍼、効いた!?〟とある。
 いつの間にか〝今〟の世界に戻っていた。
 宇都宮線に揺られながら、ぼんやりと暗い車窓を眺めていると遠い記憶がいくつか蘇えって来て、ぼくの気持ちがザワついた。
 彼女と上野で別れてから5年目くらいだった頃、ぼくはまた電話をかけ、今こんなことをやっているのだけど・・・というような話をして、エロビデオの出演交渉をしてみた。
いいよ、別に顔写ったってどうってことないよ・・・と言ってくれ、関山駅で待ち合わせることになった。
 燕温泉というところで夕刻から撮影した。鄙びた温泉宿でランデブーをする女性・・・。
 そんな設定で、いかがわしいことを繰り広げて行くのだ。なかなか堂に入った感じで撮影は進んだ。黄金の湯で寛ぐ燐子。その向こうに見える惣滝。その勢いに唆されるように、滝への道を浴衣姿で向かう燐子。滝壺に入って行くと、そこにとんだ男が現れて・・・。
 とんだ男をぼくが演じた。作品はヒットしてビデオもかなり売り上げた。
 あれから30年余りが過ぎた。
・・・・・・
 ぼくは今、旧街道歩きに凝っていて、北国街道を北に向かって、その日は新井宿に到着した。
 関山を通過するあたりから、燐子のことが脳裏に甦っていた。
 アドレス帳はずっと同じのを持ち歩いている。なんとなくダイヤルしてみた。
「あのう、燐子ちゃん!?」
「ハイ・・・」
 声が不審そうに響いた。ぼくは名乗り、いきさつを話した。電話はガチャリと切られてしまった。すぐリダイヤルしてみた。
「お客様がおかけになった電話番号は、現在使われておりません・・・」
という無機質な声が流れてきた。
 してはいけないひとり遊びをしてしまったような気がして、滅入った。
 翌日、高田まで歩き、かつて彼女が勤めていたという大和デパートの跡地を見上げながらベンチに座って、もう一度かけてみた。
 コール音が響いた。
「!」
 気が付くと、惣滝の滝壺に浮かんで激しくぼくに手を振っている燐子の眩しい笑顔がレンズの中で弾けていた。彼女と一緒にこの街で暮らしていけたら!?・・・ここからまた人生をリプレイするように生き直してみたら・・・!?そんなことを真剣に考えながら必死にカメラを廻したしたかつてのビデオ撮影のことを思い浮かべていた。
 コール音が途切れた。
「お客様がおかけになった電話番号は・・・」
 もうどこにも誰にも繋がらなくなってしまっているのだな・・・。
 かつての気まぐれで出鱈目な日々も、あの夕立のような瞬間も、もうシャボン玉みたいに消えてしまっているのだな・・・。
 ぼくはベンチに佇んだまま、ぼんやりと風に吹かれていた。適当な番号を押してみたら、コール音が響き出した。
「もしもし!?」
「!」
 燐子であるわけでもないのに、
「燐子!?」
と訊ねていた。
 すると、
「久しぶり!」
 まさか・・・。
 屈託のない笑いがぼくの耳元に響いた。
 溢れる思いが身体の底から込み上げて来た。
「ねぇ、聴こえてる??あたしあれからねぇ」
 ぼくはその声に耳をすました。

母校

如月芳美(著者)

 東京に来て何年経つだろうか。娘の結婚式があったばかりだから、かれこれ四半世紀になるか。
 ここにも今シーズン初の雪が降った。雪と言ったって積もるほどではない。道路に落ちた雪もあっという間に融けてなくなってしまう。結晶を見るのはほぼ不可能だ。
 子供の頃は雪がたくさん降り、雪だるまはもちろんのこと、かまくらや謎の雪像を作って遊んだ。
 小学校へはスキーを履いて行った。田んぼの真ん中を斜めに突っ切って行くと早いのだ。夏には絶対にできない芸当だが、冬場はみんなそうやって登校していたので、スキー板の轍ができていてその跡に添って進むのも楽しかった。
 そして必ずと言っていいほど誰かが新雪の中に倒れ込んで自分の形を残した跡があり、途中で小便をしたらしい黄色い穴があった。
 当然だが、休み時間は全校生徒が校庭に出る。誰一人教室になんか残っちゃいない。山の中の分校で、全校でも四十五人くらいしかいないのだ。全員が全校生徒の名前を知っている。
 みんなでやるのは雪合戦だ。一年生から六年生までいるのだから、当然ルールは必要になる。五、六年生は低学年を狙ってはならない。雪玉の中に石や氷柱の破片を入れてはならない。顔や頭を狙ってはならない。広範囲の学年で遊ぶには必要なルールだったし、それはずっと先輩たちの代から受け継がれていたルールだったので誰も疑問に思わなかった。
 毎日やっているとだんだん要領がよくなってくる。二手に分かれたチームの中で、雪玉を作る係と投げる係に分かれるのだ。そのうちに『要塞』と名付けられた雪の壁を作るようになり、雪玉を作る係はその要塞の影でせっせと雪を丸めて弾を作り始める。攻撃部隊は決められたラインから出ないようにしてひたすら相手の攻撃部隊に雪を投げる。
 こんな感じでやるものだから、攻撃部隊でコントロールのいいやつはヒーローになる。当然人気者だ。
 俺はいつも攻撃部隊には居たが、コントロールが悪すぎて上手いヤツの引き立て役にしかならなかった。
 そんな俺ももうすぐ還暦だ。もう雪玉も投げられないだろう。

 と、ぼんやり考えていたのが先週だ。今日は新潟の実家に帰っている。無性に「積もった雪」が見たくなったのだ。
 上越新幹線も埼玉辺りまでは東京とさほど変わらない。それがどうだ、少し経つと一面の雪景色。長岡に着く頃には川端康成の気分だった。
 実家に帰ると母が得意の『のっぺ』を作ってくれていた。これはのっぺい汁とは違う。新潟の『のっぺ』は煮物であって汁物ではないのだ。俺は母の作る『のっぺ』が大好物だった。
 コタツに潜ってさっぱりわからない新潟のニュースを見ていると、母がボソリと言った。
「あんたの学校、なくなったよ」
 小学校のことだった。町中の学校に併合されて廃校になったとのことだった。
 仕方のないことだ。こんな山奥に住むのは、今では昔から住んでいる年寄りだけだ。若い人はみんな町の方に住みたがる。こんな不便なところでは買い物さえままならないし、雪が積もれば家から出られなくなる。俺が子供の頃は、雪が積もって玄関が開かない時は二階から出入りしたものだが。
 俺は少し懐かしくなって、母校を見に行くことにした。辿り着けるかどうかわからないが、とにかく覚えている限り通学路を進んでみる。
 あの頃砂利道だった道路は舗装されたらしいが、こう雪が積もっていれば舗装されていようがいまいが関係ない。できる事なら田んぼを斜めに突っ切って行きたいところだが、スキーの板も履いていないし家が建っていたり小さな駐車場ができていたりコイン精米機が置いてあったりするのでそうもいかない。仕方なく夏のルートで歩いてみたが、驚くほど記憶が明確で、あっさりと学校に辿り着いた。
 こんなに小さな学校だっただろうか。あの頃は俺も小さかったから、学校が大きく見えていたのかもしれない。
 校庭のブランコの上に小さな雪だるまが置いてある。近所の子供が置いたのだろう。器用に鉄棒や雲梯のわずか数センチの幅に十センチも積もっている。体育館の屋根から氷柱が下がっているのを見て、俺は一瞬で子供に戻った。
 雪をぎゅっと握りしめて雪玉を作り氷柱めがけて投げる。子供の頃はこうやって氷柱を落として遊んだのだ。みんなで一斉にやっていたら体育館のドーム状の屋根から氷柱ごと雪がどさーっと落ちて来て驚いたことがある。だが、それも含めてみんな氷柱落としが好きだったのだ。
 今はなんと氷柱に雪玉が届かない。投げても投げても掠る程度だ。あの頃どうやって投げていたのだろう。
 しばらく投げて諦めた。新雪の中に仰向けで寝ころんだ。子供の頃に戻った気分だった。
 後ろ頭が冷たくなってきて起き上がった。明日は会社だ、夕方には新幹線に乗らなければならない。俺は後ろ髪を引かれる思いで学校を後にした。

 春になった。母から校舎が取り壊されたと電話があった。あの時行っておいて良かった。翌日筋肉痛で仕事にはならなかったが。

流れのままに在った日々

(著者)レバンタール

 その人が新潟と聞いてまず思い浮かべるのは、「長岡まつり大花火大会」でもなければ「マリンピア日本海」でもなく、方々を畑に囲まれた一軒の家だ。その人は、その家の正確な住所もアクセス方法も知らない。身を委ね、運ばれて、長く短い期間をそこで過ごしたことがある。身を委ね、運ばれて?一体どんな体験だ、と思う人も多いだろう。しかしざっくばらんにいうとその表現が正しく、当の本人は何が起きているかわからないまま、夢の中にいたような日々の記憶なのだ。

 その人はその年、東日本大震災を福島の仕事場で迎えた。新卒入社2年目で、ようやく仕事場の環境に身体も心も慣れた頃だった。まさかそのまま、職場とも自宅ともお別れになるとは想像もし得ないうちに、翌日職場の上司の的確な判断と指示のもと、相乗りして避難をした。トランクルームに荷物のように座るのは、あれが最初で最後になるだろう。グループ会社のある新潟で、普段住まいしていない持ち家を提供してくれた人がいて、希望者はそちらで仮住まいさせてもらえることになった。19歳から60代までの15人ほどでの突然のシェアハウス生活。

 その人は、ただ、そこに居た。地域の人が野菜やお米、お下がりで良かったらと衣類も提供してくれた。恰幅の良い同僚のおじさんがそこから選んだのは、たぶん中学生サイズのトレーナーで、ピタッとさせて着こなしていた。その人は心の中でクスクスと笑えていた。お料理上手な同僚の奥さんが、その人の自炊ではお目にかかれない、バランスのとれた食事を毎食作ってくれ、お腹一杯食べた。白米があまりに美味しかったので、魚沼産のコシヒカリだったのかもしれない。胃がギュウギュウになった後は、2部屋分に敷き詰められた布団の一つで眠った。時に大勢でいることのストレスを感じ、時に大勢でいることの楽しさを知りながら、生かされていた日々だった。

 あれほどまでに、何をせずとも与えてもらえるのはまるで赤ん坊のようで、だからその人は、あの時、生まれ変わったのかもしれないと今になって思う。そして、どんどん歳を重ね出来ることが増えるうち、自分で生きているつもりになっているけれど、口にするもの手にするもの、全て誰かや何かを介して届けられている。与えられ、生かされていることには変わりないのだ、とも気づくのだった。

 そして驚くことに、その人があの生活中に1番嬉しかった差し入れは、何度思い返しても「化粧水」だった。こういう物も欲しいかなと思って、と持参してくれた女性に、抱きつきたいほど心が動いた。衣食住、生きるための必需品が満たされると、それ以外が欲しくなっていった。プライベートな空間、美容品、自由に出歩けること。こうした欲求をもてることは、土台に安心して生きられる環境があってこそ。そして、欲求がありそれを満たそうとすることが人間を人間らしくしているのかもしれないと、その人は思った。その人の欲求が、その人の人間性を創っている、と。

 突然のシェアハウス生活を終えて後、その人は北海道のグループ会社へ出向となり、そのままその地で生活している。出向先には、3月11日生まれの同僚がいて、仕事を教わるうちに仲良くなった。彼女は毎年その日を迎えると、その人を気遣ってくれた。心中は複雑だっただろう。大きな悲しみを背負ったその日は、彼女や誰かにとっては喜びの日でもあるのだった。

 その人は毎年彼女に、心を込めて「おめでとう」を伝えている。

旅立ちの娘

(著者)四季彩々

「私、東京の大学を受験するから」
 
 娘からそう言われて、動揺する私。
 昔と違って一緒に外食する機会も減ってしまった。久々に二人だけで外食をしたいと言われて連れてきたのだが……。
「私立の大学じゃないよ、国立だから」
 言葉が出ない私は、娘の顔を暫くジッと見つめた。
 日頃から娘に、パパの給料じゃあ私立は無理だと、国立である新潟大学への進学を促してきた。給料が少ないのは事実だが、その発言は本意ではない。実家から通学してくれるのであれば、どこの学校でも良かったのだが……。
「仕送り厳しければ、自分でバイトして稼ぐよ」と言う彼女に、「お金の問題じゃない」と返す。
「ママは知ってるのか?」
「知ってるよ」
「なんて言ってる?」
「勉強頑張りなさいって」
 馬鹿な、と口には出さなかったが、私の顔は曇る。
 新潟市にある「ホテルイタリア軒」。日本で初めてイタリア人が開いたと言われる西洋料理レストラン。それからホテルへと生まれ変わり、その伝統の味は今も受け継がれている。そんなお店を選択する辺り、娘への見栄が少しあった。
 彼女は食後のパフェを口に運ぶ。
 その間、彼女は私に顔を向けることはなかった。

 東京であれがしたい、これもしたいと、パフェに向かいながら、半年後の自分の理想を淡々と私に報告する。
 新潟から東京まで、上越新幹線で約2時間。嫁ぐわけでもあるまいし、と言われればそれまでなのだが、寂しいものは寂しい。私は自分の半身が引き剥がされそうな想いで、彼女の報告を聞いていた。
 無性にワインが飲みたくなったが、ぐっとこらえる。娘は妻と一緒で、お酒を飲む私をあまり好きではなかった。
 この店を出たら一人で飲みに行くか……。

          *

 私は一人寂しく、近くの新潟古町商店街を歩いていた。
 静かなものだ。
 昔は日夜、商店街のモール内路上で、ギターを片手に愛を叫んでいる若者たちが多かった。
 ふと、路上脇で段ボールに座る青年の姿が目に止まった。
 立て札の横で青年は、色紙とペンを握りしめている。

 立て札には、こう書かれていた。
《心のモヤモヤ/言葉のキャッチボール。五百円》

 少し高い気もするが、私は興味本位で彼に近付きお金を渡す。
すると青年はボソボソと「今の気持ちを色紙に一言、二言」とつぶやき、色紙とペンを私に手渡す。受け取った私は少し考えて、
《娘が上京。寂しい。》と色紙の上部に横書きで記載した。
 色紙とペンを青年に返すと、青年は私の書いた文字の下に、すぐさまペンを走らせる。

《微笑ましい想い出。笑顔の種は今日も蒔かれている。》

 ………。
 お世辞にもセンスのある文章とは言えないが、私の胸を何かが打つ。娘が小さかった頃の記憶が脳裏をよぎる。
 オバケ嫌いの娘が夜中に突然怖くなったのか、私の布団に飛び込んできた。
「パパあっち行って」と言いながらも、本当に遠くへ行こうとすると、娘は不安になって駆け寄り、私にギュッとしてきた。
 当時の些細な記憶が、目頭を少し熱くさせた。
 私はペンを受け取り、
《これからの自分。やはり寂しい。》と先ほどの色紙に記載する。
 続けて青年がペンを走らせる。

《想い出は一つじゃない。大切な人も一人じゃない。》

 ………。
 ふと、妻と出会った頃のことを思い出した。
 結婚してからも娘が産まれるまでは、よく二人で外食をしていたし、旅行も頻繁に行っていた気がする。特に当時語り合った内容は覚えていないが、共有した食事や風景は、今思い返しても尊い記憶である。
 ここ何年も二人きりで街を歩いた覚えがない。

《大切な人も一人じゃない。》
 私は、青年にお礼を言い、過去を振り返りながら、ゆっくりと家路に向かった。

           *

 その夜、寝室にて。
 布団に入る私の横で、パタパタと化粧液を付けている妻。
 特にキッカケもなく、「なあ」と呼びかけると「ん」と返事が返ってきた。
「あいつの進学の話、聞いてる?」
「聞いてるよ」と、パタパタする手を止めることなく答える。
「どうかなあ?」
「どうって?」
「受かるかなあ?」
「受かるでしょ、まじめだもん」
「そうか」と私は呟き、少し間を空ける。
 やると決めたらやるのが、うちの娘だ。彼女は自分の夢に向かって、しっかりと歩き続けていくだろう。親元を離れてどこまでも。

 ………。
「あいつの東京行き、笑って見送ってやるか」私は、ぼそりと口にする。
 続けて妻に聞こえないほど小声で「久々に二人で温泉旅行にでも行こうか」と口にする。すると、

「私も東京についていくよ」

 妻からそう言われて、動揺する私。
 彼女は私に顔を向けることはなかった。

桜並木の情景に想いを馳せる

(著者)上野 龍一

 鳥屋野潟の桜並木。
 通勤の車内、コンビニで買ったコーヒーを飲みながら少し想いに浸る。
 そんな何気ない朝のひと時が私の一番お気に入りの時間である。

 春は頭上を覆うように咲き乱れた桜のトンネルを潜るだけで心が弾む。
 夏は緑の葉と葉が混じり合い、そこから漏れる木漏れ日はキラキラと輝きながら降り注ぎ、秋は桜紅葉の色合いが、まるで水彩絵の具を混ぜたような、茜色を紡ぎ出す。
 冬は枝に積もった雪が白い花を咲かせ、花弁のように風に乗って舞う雪は寒さで凍てつく心を少し和らげる。

「桜の下には死体が埋まっている」
 という都市伝説が時折語られることもあるが、桜が短く咲き誇り、散っていく美しさと儚さからくる話なのかもしれない。
 四季折々美しい情景を見せ、生き生きとした生命を感じさせる桜に人は自然と「死」という神秘を重ねてしまうのであろう。

 桜の下に死体など埋まってはいない。
 なぜなら私が死体を埋めたのは、
 あのクスノキの下なのだから。

逆さ竹

(著者)上野 龍一

 小学校からの腐れ縁である
 和之と飲むことになった。
 なんでも、少し相談事があるらしい。

 居酒屋で和之と合流し席に着くと
 彼は神妙な顔で語り始めた。

「小学校の自由研究で越後の七不思議を調べたことを覚えているか?」
「あぁ、親鸞聖人が起した昔話だろ? 懐かしいな。どうした急に?」
「俺、あの時から思っていることがあって」
「なんだよ急に。それで思っていることって?」
「あの七不思議にさ、逆さ竹の話があるだろ?」
「あったね。鳥屋野だっけ?それがどうした?」
「いや本当、大した話じゃないんだ。うん。すごく、くだらない話。だけど、そのことで悩んでいるって言うか」
「だから何だよ。さっさと言えよ」

 普段、物事をはっきり言う和之が珍しく言葉を濁す。
 煮え切らないその態度にイライラし始めた時、和之はボソボソと呟くように口を開いた。

「俺さ、逆さ竹のタケノコを食べて見たいんだ」

 唐突な告白に、時間が止まる。

「はぁ?」
「だよな。そういう反応になるよな」

和之はビールを一気に飲み干すと、一つため息をつき話し始めた。

「自由研究で逆さ竹を調べていた時、お前が冗談で「逆さ竹のタケノコって食べられるのかなぁ?」って言ったんだよ。その時からさ、その冗談が耳に残って。まるで脳ミソからタケノコが生えたみたいに、逆さ竹のタケノコの
ことが頭の中から離れないんだ」

「冗談だろ?」

鼻で笑う私に和之は首を振ると少し声を荒げながら答えた。

「自分でも分かっているんだよ! くだらないって! でもダメなんだよ! 最近は逆さ竹のタケノコの事ばかり考えて夜も寝られないんだ! しかも、ただタケノコを取って食べるってだけじゃダメなんだ」

「まだ何かあるのかよ」
 呆れ気味に和之に尋ねた。

「昔「美味しんぼ」ってマンガがあっただろ? あれで「タケノコの大地焼き」って話があって。生えたタケノコをそのまま焼いて食べるってやつ。あの食べ方で食べたいんだ。あの食べ方じゃないとダメなんだ」

「お前。。。」
 和之の突拍子もない告白に絶句した。

 「逆さ竹」といえば国の天然記念物だ。
 和之はそれを「窃盗」するだけでなく「放火」まで考えている。

「おい、いいかげんにしろよ? 無理なのはお前も分かっているだろ? 40過ぎたおじさんなんだぞ? 物事の分別は付くよな? そんなくだらないことで社会的地位も家族も失う気じゃないだろうな?」

「分かっているよ。だから悩んでいるんだろう? だけど無理なんだよ。もう、この気持ちを抑えることはできないんだよ」

 和之はうつむきながら目に涙をいっぱいに貯めている。
 もはや冗談や笑い話ではない。

 世の中で毎日のように起こる事件。
 結果だけ見たら凄惨に見えることも、動機は本当にくだらないことなのかもしれない。

 この男のように。

「もう、本当に止めることはできないんだな?」
 和之に確認を取る。

「うん」

 涙をボロボロ流しながら和之は小さくうなずく。
 それもそうだ。四十過ぎたおじさんがタケノコをその場で焼いて食べたい。
 ただ、それだけの欲望のために全てを捨てようというのだ。

「わかったよ。もう止めないよ。でも俺はお前と一緒に罪を犯すことはできない。逆さ竹のタケノコではないけど、せめて今日は二人で、この店のタケコノを食べよう」

 和之は泣いている。
 私も涙が止まらない。
 けど、今日は笑って和之を見送ろう。

 私は「タケノコの筑前煮」を注文した。

 本来であれば、和之がこれから起こす「くだらない犯罪」を全力で止めなければならない。しかし、彼とは長い付き合いだからこそ解る。
 和之の悩みや苦みを理解できるのはきっと私だけなのであろう。
 ならば私だけでも最後まで和之の味方でいよう。
 そう心に決めた。

「これからも俺たちは友達だ」

 和之にそう告げ、タケノコの筑前煮を口に運ぶ。
 今日食べたタケノコの味を私は一生忘れることはないだろう。和之も泣きながらタケノコを口に運ぶ。

「うっ!」
 和之が急に嘔吐き始めた。
「どうした?大丈夫か?」
 嘔吐くほど精神的に参ってしまったのか?
 私は和之が心配になり身を乗り出した。

「不味っ!」
 そう言うと和之は口に入れたタケノコを吐き出す。

「俺、タケノコ食べられないや」
 和之は口を濯ぐようにビールを飲み干した。

「タケノコって何か、硬いし苦いよね!」
 そう言いながら和之はケタケタと笑っている。

 私は呆気に取られた。
 懐古。心配。嘆き。悲しみ。そして絶望。
 今までの感情は何だったのか。
 憑物が取れた様にスッキリした表情の和之とは反対に私の中にドス黒い感情が渦巻く。

「あぁ、なんかもう、どうでもよくなったわ! 今日はトコトン飲もうぜ! 付き合えよ!」

 和之は悪びれる様子もなく、ケタケタ笑うと追加のビールを注文している。

 その瞬間、私の中にある「何か」が音を立てて崩れた。

 もう、このドス黒い感情を抑えることができない。
 とっさに私は、そばにあるビール瓶を片手に握りしめた。

 私はこれから本当にくだらない理由で罪を犯す。

アシウスギの森

(著者) 中丸 美り

木々が深呼吸する季節になると、風花は落ち着かなくなる。五月に入り、ホームページで「遊歩道オープン」の文字を見つけ、週末には、この森の入口に立っていた。
 この季節の「森」は特別だ。半年もの間雪に閉ざされていた森が、大きく深呼吸するのがこの季節なのだ。
 風花がこの佐渡の天然杉に会いに来るようになって五年経つ。風花は、勝手にこの森の天然杉たちを同士だと思っている。ともにたくましく生きる同士。

 五年前の五月のあの日も、風花はこの森の入口に立っていた。
 一週間前に会社を辞めたばかりだった。いわゆるブラック企業だった。おまけに、会社を辞めたその日に彼氏にふられた。
 何日か悶々とし、風花は、生まれ変わることにした。何か今までにしたことのない体験をして、体の細胞をすべて新しくするのだ。そこで、思い出したのが、数日前に見た雑誌に載っていたこの森の写真だった。思い立った次の日には、この森の入口に立っていた。
 すぐには森に入る勇気がなく立ち止まっていると、一人の男性が声をかけてきた。
「よかったらガイドしましょうか?まだ見習いなので、ボランティアでご案内しますよ」
失礼だが、見習いとは思えない年齢。どう見ても七十は超えているだろう。ただ当然だが足腰はしっかりしているようだ。悪い人には見えない。風花は甘えることにした。
 森に一歩足を踏み入れたとたん空気が変わった。杉の木が何本も生えているのは分かるが、うっすらと霧に包まれ、視界は限られている。風花は、ふと今の自分の心の中のようだと思った。
 ガイドの男性について木道を歩く。
「あの、私、宮村風花といいます。お名前を伺ってもいいですか?」
「サワタリといいます」
サワタリと名乗った男性は、ときどき後ろを振り返り、風花の歩調に合わせて歩いてくれている。
 霧に包まれた杉の木が、近づくにつれて少しずつ姿を現わしてくるが、どの杉も幹が太いだけでなく、その幹の様相、枝ぶりが特徴的だった。あるものは幹がうねり、あるものは枝が折れ曲がり、あるものは曲がった枝がトンネルを作りと、どの杉も一般的な杉とは姿が異なっていた。
 風花は、無意識のうちに、ある杉の前で立ち止まっていた。羽衣杉という札が立っている。それまで見た杉の中でとりわけ太く、枝が四方へ伸びている。ある枝は地を這い、木道のすぐそばまできていた。風花は、その杉の木から何か特別な力を感じた。けっして威圧的ではない。だが、静かに圧倒的な存在感をもってそこに立っている。風花が、言葉を失って杉を眺めていると、サワタリが声をかけてきた。
「びっくりしましたか?ここの杉はアシウスギという杉です。形が悪くて木材にはできないので、伐採されることなく残った杉たちなんですよ。この森は約半年もの間雪に閉ざされます。多い時で五~六メートルもの雪が降る。だからその半年の間は、ここの杉たちにとって試練の時なんです。本来杉は上へ上へと生長していくものです。でも雪があって上へ伸びることができない。だから形を変えて生長するんです」
「形を変えて?」
「ええ、あるものは枝を横に伸ばします。あるものは枝が折れてしまいます。でもそれで終わりじゃない。折れた枝から根が生えて、そこでまた生長を続けるんです」
「折れた枝から根が生えるんですか?」
「ええ。倒れた木の上に杉の種が落ちて、そこから生長するものもあります。まさに生命力のかたまりです」
 サワタリは、いくつかの巨樹の特徴と、名前の由来を解説しながら、風花と一緒に森を歩いてくれた。サワタリの話は、杉のことはもちろん佐渡島の成り立ちにもおよんだ。
 何本もの杉の木を見て、サワタリの話を聞くうちに、風花は、この森の木々は、人間にも似た、いや人間以上の生への貪欲さや無骨さを持っていることに気づいた。悠遠のときを刻む天然杉。それらを、どこか神聖なもののように思っていた風花だったが、いつの間にかある種の親近感さえ覚えていた。
 生まれ変わらなくてもいい。上へばかり伸びなくてもいい。上に伸びることができなければ、横でも下でもいい。自分なりのやり方で、自分の思う方向へ進んでいけばいい。進めない時は休んで、自分の中に力を蓄えればいい。風花の心の中の霧が晴れていくようだった。
 森を抜けて現実世界に戻ってきた。陽光がまぶしい。
「サワタリさん、記念に写真撮らせていただいていいですか」
スマホを取り出し、顔をあげた。サワタリがいない。今一緒に森から出てきたばかりのはずだ。しかし、辺りを見渡してもサワタリはどこにもいなかった。
 風花は、サワタリの知識が見習いのそれではなかったこと、天然杉を見る目、語る口調が、家族や友人に対するもののように優しく温かかったことに気づいていた。

 あれから五年。風花は新しい会社に就職した。佐渡島のアシウスギたちのように、たくましく生きている。今年も同士たちに会いに行こう。風花は、森に一歩足を踏み入れた。

鉛筆

(著者) 若杉圭

 海に面したその町の丘の上に、先生の家はあった。
 二階の書斎からは日本海が一望できる。
 その日も、佐渡へと向かうフェリーがゆっくりと海を渡っていくところだった。

 夕日がね、下からやって来るんだよ。
 いつだったか、先生がそんなことを言っていた。夕日に顔を赤く染めながら。

 先生が死んだということを、私はだいぶ後になってから知った。

「そのままなのよ」
 弔問に来た私を書斎にとおして、洋子さんがそう言った。
「でもよかったわ、由香ちゃんが来てくれるのなら、そのままにしておいて」
 木製の書架を満たしている夥しい数の楽譜を、私はずいぶん久しぶりに見た。

 机の上の楽譜も先生が置いたままなのだろう。
 Pergolesi, Stabat Mater

 開いてみると、無数の書き込みが見える。8分音符ごとに振られた数字、ブレスの追記、6種類に分けられた独特の音色記号、強弱の変更、フレージングの注意事項。
 全然変わっていない。
 団員には伝えられない指揮者用の記号さえ、まったく同じだった。
 それらひとつひとつに込められた意図が、私には今でもはっきりと分かる。
 不意に涙が浮かんで、こぼれそうになった。

「その曲も演奏はできなかったわ」
「そうですか」
 Eja Materが始まったばかりの頁で書き込みは終わっていた。

 机の端には、いまも青い電動式の鉛筆削りが置かれていた。
「いつ買ってきたのかしらね、そんなのがあるって気がつかないでいたのよ」
 私が見つめていたせいだろう、洋子さんがそう言った。
「お葬式の後よ、気がついたのは」
「そうなんですか」
 やっとのことで、私はそれだけを言った。

 先生の書き込みがわからない時がある。
 そう先生に言ったことがあった。
 なんで?
 と、先生は聞いた。
「先生のその丸まった鉛筆のせいですよ」
 私はそう言った。
「そうかなあ、僕のメソッドが理解されていないせいじゃない」
「鉛筆使いのメソッドですね、わからないのは」
 大学で先生の指導を受けていた私は、まだ卒業もしないうちから、先生の合唱団に参加した。アマチュアのその合唱団のなかで、先生の指示を団員に伝えるのがいつの間にか私の役目になった。

「だいたい、鉛筆じゃないとダメなんですか?」
 私がそう言うと
「鉛筆じゃなきゃ・・・」
 先生はそう言ってから、手に持っていた鉛筆を削り始めた。小学生が筆箱のなかに入れてあるような、プラチック製の小さな鉛筆削りだった。それに鉛筆を突っ込んで、面倒そうに回転させているところだった。
「鉛筆削り、そんなのしか無いんですか」
「だって、ほかにどういうのがあるの?」
「鉛筆を入れると、がーって、機械が削ってくれるの、あるじゃないですか」
「へー、そんなのある?」
「知らないんですか」
 私は驚いてそう言った。
(ほんとに、なんにも知らないんだな、先生って。私のことだって)

「気が済んだら、下に来てね、お紅茶あるから」
 そう言うと、洋子さんは書斎から出て行った。

 青いその電動式鉛筆削りは、先生のお誕生日プレゼントとして私が買ったものだった。もうとっくに誕生日は過ぎていたけれど。
 あの日、先生の書斎にあった鉛筆という鉛筆を、全部私が削ってあげた。
「もう当分、鉛筆削りはしなくてもよさそうだね」
「だめですよ、すぐ丸くなっちゃうんですから、ちゃんと削ってくださいよ」
「面倒だなあ」
「じゃあ・・・」
 そこまで言って私は思わず黙ってしまった。
(じゃあ、私がいつも来て、削ってあげますよ)
 そう言おうとしたのだった。
 ん?
 と先生は言ったきりだった。

 鉛筆削りの表面を覆う青い塗料は、ところどころ剥がれ落ちて、金属の地肌をわずかに露出させていた。下の方に、削り屑を入れるプラスチック製の容器が装置されている。半透明のその容器を何気なく引き出して、私は思わず、あっと声を上げた。泡でも吹き出すみたいに、詰め込まれていた削り屑が溢れて机の上に広がったのだ。
木片の生々しい匂いが立ち上がった。

(こんなに、たくさん)
 削った鉛筆で、いったい何冊の楽譜に先生は書き込みをしたのだろう。

 机の上に置かれた楽譜を、私はもう一度開いてみた。2Bの鉛筆で書かれた記号が、つぶれることなく、はっきりとした線で描かれている。間違いなくそれは、削られたばかりの鋭利な鉛筆の先端が描いた線だった。

(鉛筆使いの、メソッド)

 たちまち涙があふれ、楽譜の文字が滲んでいった。
 その日、私は初めて声をあげて泣いた。

 それからどれぐらいの時間が経ったのだろう。部屋の中が少しだけ暗くなったようだった。太陽が水平線へと沈むところだった。

(もう行かなくちゃ)
 私は削り屑をゴミ箱に入れて書斎を出た。

 書斎に続いている廊下は、西側の小さな窓から射し込む夕日で真っ赤に染められていた。

 階段を上ってきた先生が、ちょうどその窓を背にして、ゆらりと大きな影を、その赤く染めぬかれた廊下に落としたものだった。

 ほらね、夕日が下からやって来るだろう。
 先生の声が聞こえたような気がした。

 赤いその光のなかに、私はいつまでも立ちつくしていた。

利き酒の出来る女

(著者) 圭琴子

「うわっ……」
 思わず、声が出てしまった。
 東京でひとり暮らしの岩飛(いわとび)は、女性週刊誌で誌面半分の小さなコーナーを任されていた。各地の地酒を紹介したり、日本酒を使ったオリジナルのカクテルレシピを考案するのが主な内容だ。
 今日は、コーナー一周年記念の取材に、念願の新潟を訪れていた。日本酒の生産量は全国第三位だが、七〇年代に『幻の酒』として注目され地酒ブームの火付け役となった、越乃寒梅(こしのかんばい)の大ファンだからだ。
 もちろん東京でも?んだことは多々あるが、酒蔵(さかぐら)と契約して出来たてを提供するという日本酒バーでひと口やって、出たのが冒頭の感嘆符だった。
 カウンターを挟んで正面でグラスを磨いていたマスターが、レンズ越しに目を細める。
「どんな褒め言葉より、嬉しい反応ですね」
「あっ、すみません。あんまり美味しくて」
 岩飛は、タブレットに簡潔に感想をメモしながら、開店前に取材に応じてくれたマスター、船村(ふなむら)に質問する。
「東京で?むのより、とてもフルーティな感じがするんですけど……秘密は何ですか?」
「僕が謝る番ですね。すみません、企業秘密なんです」
「なるほど」
 ふたりは顔を見合わせて、朗らかに笑い合う。
 岩飛はこんな商売をやっているが、人見知りで口下手なのが悩みだった。だが趣味の話が思いがけず弾んで転がるように、取材でそのコンプレックスを感じることはない。
 それに。再びグラスに口をつけてから、岩飛はチラリと船村を盗み見る。
 三十代後半とおぼしい面差しには、年相応に小じわが刻まれ柔和だが、フレームレスのスクエア眼鏡が知的な渋みを演出している。
 ――タイプかもしれない。
 岩飛は惚れっぽい方ではないのだが、何だか鼓動が騒ぐのを感じていた。
「本場でやってみたかったんですよね。?み比べ」
「ほう。岩飛さん、お強いんですね」
「トビって呼んでください。あだ名なんです」
「では、トビさんですか。全種類いきます?」
「もちろん!」
 越乃寒梅は、日本酒のランク、精米歩合別に六種類あるのが特徴だった。
 嫌味でない程度のうんちくと共に提供される一杯一杯を味わいながら、船村とのふたりきりの語らいは心地良く岩飛を酔わせるのだった。
    *    *    *
 『越乃寒梅』を本場でテイスティングするのは、私トビの夢でした。
 日本酒バー、その名も『KANBAI』のマスター船村さんの耳心地の良いうんちくと、これも新潟名産こだわりの柿の種が添えられた越乃寒梅は、まだ十五時だというのに深い大人の時間を味わわせてくれました。
 原料米『五百万石』の持つ特性を活かしきり、淡麗辛口の中にもそれぞれ甘みや旨みがしっかりと立って、個性が表現されています。
 新銘柄『純米吟醸 灑』で感じたのは、現代的ですっきりとした味わい。それでも越乃寒梅らしい日本酒本来の旨みはしっかりと感じ取れます。
 昔ながらの味わいを連綿と守りつつも、時代に合わせて進化を遂げている『越乃寒梅』。これからも歴史に名を残す銘酒なのだろうと、確信したテイスティングになりました。
 ――ライター:岩飛亮子
 私信。蛇足になりますが、六番目に出されたお酒が、一番最初にも出された『普通酒 白ラベル』でした。
 私を試してらっしゃるのかしら? 船村さん。うふふ。
    *    *    *
 関係者用に送られてきた発売前の週刊誌の記事を読んで、船村はすぐに岩飛の名刺を取り出した。裏面には、手書きの携帯番号。
 あの取材の日から、SNSで交流を持ってはいたが、電話するのは初めてだった。
『……もしもし?』
 受話器の向こうで、少し戸惑ったような応答がある。
「トビさん、船村です。記事、読ませて頂きました」
『ああ、はい。ありがとうございます。感想かしら? お手柔らかにお願いします』
 笑みを滲ませた岩飛だったが、船村は真剣そのものだった。緊張か興奮か、声は僅かに震えて、要領を得ない言葉が飛び出す。
「トビさん、新潟に来られますか?」
『え? いつですか? 私もお酒が美味しくて楽しかったので、是非また寄らせて頂こうと思ってました』
「ずっとです」
『え?』
「僕も楽しかったです。お酒の話も、それ以外の話も。でも僕の条件には『利き酒が出来る女性』というのがあって、この歳まで独身でした。結婚してください。トビさん」
 ひと息にまくし立ててしまってから、急に沈黙が不安になる。五秒待ち、船村は恥ずかしくなって不明瞭に絞り出した。
「あ、あの」
 その言葉を、明るい笑い声がかき消す。しばらく続いて、やがてクスクスと小さくなった。
『ただ利き酒の出来る女性なら、星の数ほど居ると思いますよ。皆さん分かっても、気を遣って言わなかったんじゃないかしら。私が無遠慮だっただけで』
 船村はホッとひと息ついて、言い募る。
「そんなところも好きなんです。本音で語り合えなきゃ、夫婦なんてやってられないんじゃないでしょうか」
『船村さん、本気ですか?』
「本気です! 新潟に、来てくれませんか?」
 季節は春。奇しくも、恋の季節だった。
 モミジが紅く染まる頃、日本酒バー『KANBAI』では、沢山のオリジナルカクテルがメニューに加わることになったという。

End.

長岡花火

著者) 圭琴子


「はい、出来ましたよ」
 着付けもしてくれる美容院で、ヘアセット、ネイル、メイクと共に浴衣も着せて貰い、鏡の前に導かれた。
「うわぁ……」
 思わず、声が漏れてしまう。感嘆の声だ。鏡の中の自分は、別人みたいに綺麗だった。
(これで髪が黒かったらなあ)
 和音(かのん)は、生まれつき髪が茶色いのがコンプレックスだった。同級生たちには羨ましがられたが、高校のとき『生まれつきの色』と学校に認めて貰うまで、親も巻き込んで三ヶ月かかった。
 ついでに言えば、『和音』という名前もそうだ。もっと日本人らしい、『子』とか『美』が最後に付く名前だったら良かったのに、と思ってしまう。
 和音は更衣室を出て、先に着付けを終えて待っていた浩樹(ひろき)の前に出る。彼も明るく声を上げた。
「うお、和音、すっごく綺麗。かんざしもめちゃ似合ってる」
「ありがと。でもやっぱり髪、黒く染めた方が良かったかなあ?」
 和音のコンプレックスを知っている浩樹は、笑って彼女のセットされた前髪を撫でた。
「大丈夫だよ。和音は、茶髪でも黒髪でも可愛い」
 二人は笑顔を見交わして、信濃川に向かうのだった。
 大学の夏休みに海外に行く友人も多かったが、浩樹と和音は新潟を選んだ。日本一、いや世界一とも言われる長岡花火が観たかったからだ。
 浴衣でカロンカロンと下駄を鳴らし、手を繋いで混雑し始めた道を往く。
 河原には簡素な長椅子が、見渡す限り設置されていた。指定席に並んで座り、屋台で買った林檎飴など舐める。
 浩樹の隣には背の高い男性が座っていて、和音と目が合うと、人懐こく歯を見せた。薄暗い中にも金髪だと分かって、和音は思わず身構える。
「コンバンハ」
「あっ、今晩は」
 浩樹が応えている。
「楽シミデスネ」
「はい。僕ら、初めて観るんです」
「オー! 私ハ、第一回カラ観テイマス」
「へえ~。凄いですね」
 和音は、ホッと胸を撫で下ろした。容姿から、外国人に声をかけられることがたびたびあるのだが、英語は話せないからだ。彼が日本語で話しかけてくることに安堵して、和音も会話に加わった。
「今晩は。お国はどちらですか?」
「英国デスガ、神父トシテ、長ク日本ニ住ンデイマス」
「だから、一回目からなんですね」
「ソウデス。焼キ鳥、食ベマセンカ?」
「良いんですか? あ、じゃあ、僕らお酒買い過ぎたんで、ワンカップと交換で」
「オー、オ酒、久シブリデス! アリガトウゴザイマス」
 浩樹と男性が、和やかに物々交換している。
 やがて、花火大会が始まった。音楽と共に、打ち上げ音が大音響で河原に響く。色鮮やかだったり、とてつもなく巨大だったり、ひとつとして平凡なものはなかった。
 世界一と言われるだけあって、「復興祈願花火フェニックス」とアナウンスされた演目は、開花幅が視界に収まりきらないくらい、圧倒的なスケールのスターマインだった。幅、数キロはあるに違いない。
 夢のような時間が過ぎて、音と光の饗宴が終わると、周囲がざわざわとし始めた。硬いものを折るパキッという音があちこちで響いたかと思ったら、沢山のサイリウムの花が咲く。対岸にも灯り、カラフルな蛍のように美しい。
 隣を見ると、男性も古ぼけた大きな懐中電灯を振っていた。
「それ、何ですか?」
 浩樹が訊くと、男性は対岸に揺れる光を観ながら言った。
「花火師サンニ、アリガトウヲ伝エテイルンデス」
「へえ~! 僕らも持ってくれば良かったな」
「うん。来年は、持ってこよう」
 すると男性が、終了のアナウンスを待たずに、立ち上がった。
「もうお帰りですか? 楽しかったです。あの、これ。良かったら連絡ください」
 浩樹は、オフ会などで渡す、SNSアカウントが書かれた名刺を渡す。男性は微笑んだ。
「アリガトウ。浩樹ト、イウンデスネ。私ハ、ジョーデス」
「ありがとうございました、ジョーさん!」
 と、二人で手を振って別れたのが、さっきのことだ。

 ホテルに帰ってくつろいでいたら、LINEの着信音が鳴った。
『浩樹、楽しかったです。和音をよろしく』
 差出人には、『ジョー=船戸=スミス』の文字。それを見て、和音はあっと息を飲んだ。彼女のコンプレックスは全て、ひいお爺さんの代に婿入りしたという、その名前の男性からきていた。
 再び着信音が鳴る。
『和音、君は美しい。胸を張って生きなさい』
 そのLINEに返信しようと小一時間二人で格闘したが、ついにそれは叶わず、いつの間にかメッセージは消えていた。
 和音が母にその不思議な体験を報告したら、こんな返事が返ってきた。
『お爺ちゃんはね、長岡空襲で亡くなったんだよ。長岡花火はその翌年から、慰霊のために始まったの。だからきっと、和音に会いに来てくれたんだね』

 それから毎年、浩樹と和音は長岡花火に通ったが、二度と再び彼に会うことは出来なかった。
「丈(じょう)、何処に行ってたの? 手を離しちゃ駄目だって言ったでしょ」
「あのね、これもらった」
「えっ、誰に?」
「ぼくと、おんなじなまえなんだって」
 初めて三人で新潟を訪れた夜、そう言って小さな方の『ジョー』は、チョコバナナをかじって花火みたいな笑顔を見せた。