ひとり旅

(著者)烏目浩輔


 僕は最後の旅行の地として新潟を選んだ。同行者のいない二泊三日の旅だった。
 観光タクシーを予約したのは旅行二日目の午前九時。時間ちょうどに黒光りするタクシーがホテルの前までやってきた。僕はそのタクシーに乗りこみながら、運転手と簡単な挨拶を交わした。
 タクシーが動きだしてまもなくだった。
「ひとり旅は気ままでよろしいですね」
 運転手が雑談の流れでそう口にした。決して気ままな旅ではないのだが、詳しい事情を話す必要はないだろう。僕は後部座席で適当に応じる。
「まあ、そうですね」
 運転手は僕より三十歳ほど年上とおぼしき男性で、見た目どおりだとすれば六十がらみと思われる。どこか人懐っこい印象があり、髪のおおよそが白くなっている。
「新潟ははじめてですか?」
 運転手の質問に僕は頷く。
「今まで新潟にくる機会がなかったので」
「そうですか。では、気合を入れないといけませんね。新潟を好きになってもらえるよう、しっかりご案内させていただきますよ」
 最初に案内されたのは弥彦公園(やひここうえん)だった。タクシーを予約したさいに、いってみたい名所をいくつか伝えた。約四万坪の広さを誇る弥彦公園もそのひとつだ。色とりどりのもみじが萌えあがり、敷地内のあちこちに鮮烈な光景をなしていた。
 次にタクシーは弥彦公園からほど近い千眼堂吊橋(せんがんどうつりばし)に向かった。国上山(くがみやま)中腹の谷に架かる赤い吊り橋だ。長さは百二十四メートル、高さは三十五メートル。吊り橋のわりには揺れが少なく、ここでももみじが鮮やかだった。
 昼を過ぎて腹がそろそろ減ってきた頃、運転手は古びた蕎麦屋を紹介してくれた。地元の人間しか知らないというこじんまりとした店だ。
「ひとりで食べるのもなんですし、運転手さんも一緒にどうですか?」
 運転手は僕の誘いを快諾して、天ざる蕎麦がおすすめだと教えてくれた。
 彼の気さくな性格のおかげで、僕たちはすっかり打ち解けていた。天ざる蕎麦をすすりながらの楽しい会話は途切れない。そういえば、こんなに誰かと話をするのは久しぶりだ。あんなことがあってから、僕はほとんど会話をしていない。
 昼食後は福島潟(ふくしまがた)に案内された。福島潟は約七十九万坪の湖沼で、野鳥や植物の宝庫といえた。秋といういい季節だけあって、遊歩道にたくさんの人が見て取れる。
 僕はここでも運転手を誘った。
「せっかくですし、一緒に散策しませんか?」
 だだっ広いところをひとりで歩くのは寂しいものだ。同行者がいてくれたほうがいい。
 遊歩道を進みつつ、運転手がふと言った。
「実は私、明日から無職です」
 三十年近く勤めて明日で定年を迎えるのだという。
「新潟で運転手を続けることができて幸いでした。本当にいいところですからね」
 そう口にする運転手の顔はどこか満足げだった。
「運転手さんはやっぱり新潟が地元なんですか?」
 僕は当然そうだろうと思って尋ねた。だが、運転手の首は意外にも横に振られた。
「いえ、地元は九州です。新潟で運転手をしようと思ったのは妻の影響です。ずっと前に亡くなった妻が、なぜか新潟が好きでしてね……」
 聞けば、奥さんが亡くなったのは三十年以上も前とのことだ。不慮の交通事故による死だった。その奥さんの写真を胸ポケットに忍ばせて、今まであちこちにタクシーを走らせてきたという。
「そうすればあいつが好きだった新潟を、もっと見せてやれるような気がしましてね。ようするに自己満足で運転手を続けてきたわけです」
 僕は偶然の一致に驚きつつも、苦笑いする運転手に尋ねてみた。
「奥さんが亡くなったときは、やっぱりお辛かったでしょうね……」
「ええ、辛かったですね。生きる意味を見失って自殺を考えたこともありました。でも、永遠に続く悲しみなんてないものです。今は気楽にひとりで楽しくやらせてもらってます。たぶん妻もそれを喜んでいるじゃないでしょうか。私がいつまでも落ち込んでいると、妻だって安心して成仏できませんよ」
 僕は運転手の言葉を頭の中で繰り返した。
 永遠に続く悲しみはない。
 僕の妻が死んだのは半年前だった。幼なじみで子供の頃からずっとそばにいた妻が、交通事故によって突然いなくなってしまった。僕は途方に暮れて、深い絶望に襲われた。
 生前の妻はなぜか新潟に興味を持っており、いつか旅行にいってみたいとよく口にしていた。だから、僕は最後の旅行の地として新潟を選んだ。あの世にいる妻に土産話を持っていくために。
 この旅行を終えて妻のいない家に帰れば、僕は妻のあとを追って死ぬつもりだった。
 しかし――。
「永遠に続く悲しみはない……」
 僕が口の中だけで呟くと、運転手がこちらを見た。
「なにかおっしゃいました?」
 僕は「いいえ」と答える。
 妻のあとを追っても、妻は決して喜ばない。むしろ悲しむはずだ。わかりきったことだというのに、僕は今の今まですっかり忘れていた。
 目の前に福島潟の雄大な景色がある。この絶景はどんどん移り変わっていき、四季折々の表情をみせるに違いない。きっと同じように人の心も移り変わっていく。
 永遠に続く悲しみはない。
 運転手の言葉を信じてみてもいい気がした。