(著者)烏目浩輔
あのとき俺が山道に歩を進めていると、母はのんびりとした口調で言った。
「真梨(まり)さんは本当の娘みたいにかわいいわ。愛梨(あいり)ちゃんはあんたが子供だった頃よりかわいい」
真梨は俺の妻であり、愛梨は五歳になる娘だ。
標高六百三十四メートルの弥彦山(やひこやま)。俺がその山に登ったのはあのときが二度目だった。はじめて登ったのはそのずっと前で、俺は確か小学二年生になったばかりだった。子供の頃の記憶は色褪せて曖昧になっているものも多いが、母とそこに訪れたことだけは不思議と鮮明に覚えている。
当時の俺はとにかく身体が弱かった。発熱するのは日常茶飯事で、なにより基礎体力がなかった。五分も歩けば膝が震えだし、立っていられなくなるのだ。原因を見つけるために病院で精密検査も受けたが、最終的にくだされた診断は原因不明の疲労だった。
原因が見つからずじまいでも、薬はやたらとたくさん処方された。俺はそれをわりと真面目に飲み続けたが、弱々しい身体はいっこうに好転しなかった。そんなときに母が突然言いだしたのだった。
「弥彦山に登ってみようか」
それから三日後の日曜日、母は本当に俺を連れて弥彦山に登った。
弥彦山は比較的手軽に登れる山であるものの、当時の俺はそんな山ですら登るのが困難だった。だから、母は俺を背負って山に登った。
俺の家庭は母子家庭で父親がいなかった。母はよく父親の役目も担っていたが、子供を背負っての登山は相当きつかったはずだ。
弥彦山には山頂付近まで通されたロープウェイがあった。それを利用すればいいものの、母は徒歩での登山を選択した。弥彦山の麓にある弥彦神社から出発する表参道コース。通常は九十分ほどで山頂に到着するのだが、俺を背負った母は二時間半近くかかった。季節は確か秋だったが、母の背中は汗だくになっていた。
母がそこまでして弥彦山に登ったのは神頼みするためだった。弥彦山山頂にある弥彦神社奥宮は、新潟県最大のパワースポットとして有名だ。その場所で俺の身体のことを願うために弥彦山に登った。
山頂から望む青い日本海と、広大な越後平野はまさに絶景だった。母はさっそく俺を連れて弥彦神社奥宮に参拝した。腰を九十度に曲げて熱心に祈っていたのを覚えている。それから行きと同じくらいの時間をかけて弥彦山をおりた。
神社参拝後しばらくして不思議なことが起こりはじめた。俺の身体がぐんぐん頑丈になっていったのだ。めったに発熱しなくなり、誰よりも元気に外で遊び、スポーツならなんでも好きになった。高校ではラグビー部に入り、一年生からレギュラーを務めた。
母が俺を背負って弥彦山に登ってから約二十年が経ったあのとき、今度は俺が母を背負って同じコースで弥彦山に登ったのだ。少し前を歩く俺の妻と幼い娘に目をやって、母はのんびりとした口調で言った。
「真梨さんは本当の娘みたいにかわいいわ。愛梨ちゃんはあんたが子供だった頃よりかわいい」
母のすい臓癌が見つかったのはその一ヶ月ほど前だった。医師の話によると末期であるため手術をしても無駄だという。それを聞いた俺はショックを受けながらも、なにかできることはないかと模索した。ふと思い至ったのが弥彦山の山頂にあるあの神社だった。
弥彦神社奥宮に参拝すれば、俺の弱かった身体を治してくれたように、母の病気もよくなるのではないか。俺はその一心で母を連れて弥彦山を登ったのだ。ようやく母がかつてロープウェイを利用しなかったわけを理解した。自分の足で登らなければ神頼みの効果が薄れるような気がした。
母は病気のせいでずいぶん細くなっていた。しかし、大人ひとりを背負っての登山はなかなかの重労働だ。山頂に着くまで二時間近くを費やした。
俺が弥彦神社奥宮で母のことを祈っていると、妻と娘も隣にやってきて腰を九十度に曲げた。
「おばあちゃんが元気になりますように」
娘の呟く声がぶつぶつと聞こえてきた。
きっと母は元気になる。神社で参拝したあとはそんないい予感ばかりがしていた。ところが、母はそれから三ヶ月ほどしてこの世を去った。娘のようにかわいい俺の妻と、俺よりかわいい孫にみとられて。新潟県一と称される弥彦神社のパワーでも、末期癌には太刀打ちできなかったらしい。
あのときから数十年も経った今になって思うと、母は自分の死期を悟っていたのかもしれない。末期癌の告知はしていなかったのだが、亡くなる少し前にこんなことを言っていた。
「またおやひこさんに参拝できてよかったわ」
弥彦神社は地元では、おやひこさん、と呼ばれて親しまれている。
「あんたたちのことをちゃんとお願いしといたからね」
母は詳しく語らなかったが、あんたたちというのは、おそらく俺の家族のことだ。俺と妻と娘の三人。母はあのとき参拝した弥彦神社奥宮で、俺たち三人の幸福を祈ってくれたに違いない。
そのおかげかもしれない。母が死んだときはまだ幼かった娘が、もうすぐ結婚して家を出ていく。娘がいなくなるのは寂しくもあるが、親としては子供の成長ほど嬉しいものはない。こんな幸福なときが訪れたのは、きっと母が弥彦神社で祈ってくれたからだろう。