陽の花に溺れる

(著者)ramune

 四月の中旬頃、桜は散り始め、太陽がたくさん顔を出す時期。

 雲一つ無い快晴の日、菜の花を見に行った。
 『福島潟』という場所は、一面に菜の花が咲き誇っていた。
 一つ一つが「私を見て」と主張するように上を見上げている。
 疲れ切って根本から折れている花に、私はそっと手を伸ばす。
 近くに居た警備員らしき人に「この花、持っていっても良いですか」と話し掛ける。
 許可を得てから、私は幼い赤子を抱えるように、その花を両手で抱えた。
 その人は、最後まで不思議そうな顔をしていた。
 周りから見たら変なのかもしれない。
 でも、私は他人の目を気にせずに、菜の花畑の真ん中へと走った。

 本当ならば立ち入り禁止。
 警備員の止める声も聞かず、私は真ん中へ走る。
 でも決して、菜の花は折らないよう。

 陽葵、と大好きな親友の名をそっと呟くように呼んだ。

 茶髪の、雰囲気の落ち着いている陽葵は私を見ると微笑んだ。
 やっぱりあの時と変わってない。

「来てくれたんだね、ありがとう」

 何だかこちらまで眠くなってきそうな声に、少し目眩がした。
 無言で陽葵に折れた菜の花を差し出す。
 驚いたように目を見開いた陽葵は、その後すぐに笑って受け取ってくれた。
 追い掛けてきた警備員は立ち止まっていた。
 みんな、みんな私達を見ている。
 まるで二人の空間にだけ、見えない仕切りがあるみたいだ。
 折れてボロボロになった陽の花を大事そうに抱えた陽葵は、ゆっくり私に背を向けた。

 どこ行くの、と不安になって呼び掛ける。

「どこ行くと思う?」

 いたずらっ子のような笑みを浮かべて、あの時と変わらない姿で言った。
 陽葵はしゃがんだ。
 私からはもう見えなくなってしまう。

 陽葵?、ともう一度呼び掛ける。
 それでも返事は返ってこなくて、涼しい風が吹いていった。
 その風が花を揺らした。
 その花が心を揺らした。

「昔、君とここで遊んだ」

 しゃがんでしまった陽葵は、私には見えない。
 けれど、姿だけがそこにあるように言葉だけが聞こえる。

「みんなに話し掛けても、誰も返事なんてしてくれなかった」

 …どういう事、何を言ってるの、言葉は出ずに頭の中を暴れ回る。

「でも君は、君だけは私に話し掛けてくれた」

 しゃんっ

 鈴みたいな音がして、背中に温もりを感じる。
 陽葵が居る、振り向かなくても分かる事だった。

「振り返らないでね、絶対に」

 しゃん しゃん しゃん

「………陽葵、」

 声が震えた。
 怖くなんかない、陽葵は私の友達だ。

「ありがとう、あの時声を掛けてくれて」

 そっと、私の頬に陽葵の手が触れる。
 腕に折れた菜の花が当たってくすぐったい。

「…ねぇ、変な事聞いても良いかな?」

 嫌だ、聞くのが怖い。
 耳を塞いでここから逃げたい、助けて、助けて……

 陽葵……。

「君の名前、何て言うんだっけ?」

『ねぇ、ねぇってば!』

 ハッとした。
 目の前には心配そうな表情をしている陽葵が立っている。

「っ、」

 さっきの出来事を思い出して、思わず後退りする。

「…大丈夫?」

「…………ぁ」

 まともな言葉なんて、私は考えている余裕すら無かった。
 周りを見渡せば、警備員や他の人はその場から居なくなっていた。
 そして、やっと気付いてしまった。

「ここ…どこ?」

 絞り出した一言は、目覚めた途端知らない場所に居た人が発するものだった。
 陽葵は、目をぱちぱちと何回か瞬きした後、乾いた笑い声を響かせた。

「何言ってるの、ここは…」

 一面には、折れた菜の花が咲き誇っていた。
 何が何だか分からない、今の陽葵は誰なのかも、

 私は誰なのかも、ここがどこなのかも、全部、全部____。

「陽の花の花言葉は、快活、明るさ」

 その花が折れている、どういう意味なのか分かった。
 そして、全部理解した。
 今の陽葵は本物だ、さっきの陽葵は私の想っている陽葵だ。
 明るい陽葵は、知らない。
 そうだ、ずっと友達だと、親友だと思っていた陽葵は裏の君だった。

 じゃあきっと、ここの私も陽葵の想っている私だ。

 ここは現実、さっきまで居た所は私の脳内の中の平和なはずの世界だった。
 ぐにゃりと視界が歪んでいく。
 …ああ、きっと私もこの花達の仲間入りだ。
 最期に、私の前に現れたのは、

 折れ曲がった陽の花を持って微笑んでいる、大好きなはずの陽葵だった。