逆さ竹

(著者)上野 龍一

 小学校からの腐れ縁である
 和之と飲むことになった。
 なんでも、少し相談事があるらしい。

 居酒屋で和之と合流し席に着くと
 彼は神妙な顔で語り始めた。

「小学校の自由研究で越後の七不思議を調べたことを覚えているか?」
「あぁ、親鸞聖人が起した昔話だろ? 懐かしいな。どうした急に?」
「俺、あの時から思っていることがあって」
「なんだよ急に。それで思っていることって?」
「あの七不思議にさ、逆さ竹の話があるだろ?」
「あったね。鳥屋野だっけ?それがどうした?」
「いや本当、大した話じゃないんだ。うん。すごく、くだらない話。だけど、そのことで悩んでいるって言うか」
「だから何だよ。さっさと言えよ」

 普段、物事をはっきり言う和之が珍しく言葉を濁す。
 煮え切らないその態度にイライラし始めた時、和之はボソボソと呟くように口を開いた。

「俺さ、逆さ竹のタケノコを食べて見たいんだ」

 唐突な告白に、時間が止まる。

「はぁ?」
「だよな。そういう反応になるよな」

和之はビールを一気に飲み干すと、一つため息をつき話し始めた。

「自由研究で逆さ竹を調べていた時、お前が冗談で「逆さ竹のタケノコって食べられるのかなぁ?」って言ったんだよ。その時からさ、その冗談が耳に残って。まるで脳ミソからタケノコが生えたみたいに、逆さ竹のタケノコの
ことが頭の中から離れないんだ」

「冗談だろ?」

鼻で笑う私に和之は首を振ると少し声を荒げながら答えた。

「自分でも分かっているんだよ! くだらないって! でもダメなんだよ! 最近は逆さ竹のタケノコの事ばかり考えて夜も寝られないんだ! しかも、ただタケノコを取って食べるってだけじゃダメなんだ」

「まだ何かあるのかよ」
 呆れ気味に和之に尋ねた。

「昔「美味しんぼ」ってマンガがあっただろ? あれで「タケノコの大地焼き」って話があって。生えたタケノコをそのまま焼いて食べるってやつ。あの食べ方で食べたいんだ。あの食べ方じゃないとダメなんだ」

「お前。。。」
 和之の突拍子もない告白に絶句した。

 「逆さ竹」といえば国の天然記念物だ。
 和之はそれを「窃盗」するだけでなく「放火」まで考えている。

「おい、いいかげんにしろよ? 無理なのはお前も分かっているだろ? 40過ぎたおじさんなんだぞ? 物事の分別は付くよな? そんなくだらないことで社会的地位も家族も失う気じゃないだろうな?」

「分かっているよ。だから悩んでいるんだろう? だけど無理なんだよ。もう、この気持ちを抑えることはできないんだよ」

 和之はうつむきながら目に涙をいっぱいに貯めている。
 もはや冗談や笑い話ではない。

 世の中で毎日のように起こる事件。
 結果だけ見たら凄惨に見えることも、動機は本当にくだらないことなのかもしれない。

 この男のように。

「もう、本当に止めることはできないんだな?」
 和之に確認を取る。

「うん」

 涙をボロボロ流しながら和之は小さくうなずく。
 それもそうだ。四十過ぎたおじさんがタケノコをその場で焼いて食べたい。
 ただ、それだけの欲望のために全てを捨てようというのだ。

「わかったよ。もう止めないよ。でも俺はお前と一緒に罪を犯すことはできない。逆さ竹のタケノコではないけど、せめて今日は二人で、この店のタケコノを食べよう」

 和之は泣いている。
 私も涙が止まらない。
 けど、今日は笑って和之を見送ろう。

 私は「タケノコの筑前煮」を注文した。

 本来であれば、和之がこれから起こす「くだらない犯罪」を全力で止めなければならない。しかし、彼とは長い付き合いだからこそ解る。
 和之の悩みや苦みを理解できるのはきっと私だけなのであろう。
 ならば私だけでも最後まで和之の味方でいよう。
 そう心に決めた。

「これからも俺たちは友達だ」

 和之にそう告げ、タケノコの筑前煮を口に運ぶ。
 今日食べたタケノコの味を私は一生忘れることはないだろう。和之も泣きながらタケノコを口に運ぶ。

「うっ!」
 和之が急に嘔吐き始めた。
「どうした?大丈夫か?」
 嘔吐くほど精神的に参ってしまったのか?
 私は和之が心配になり身を乗り出した。

「不味っ!」
 そう言うと和之は口に入れたタケノコを吐き出す。

「俺、タケノコ食べられないや」
 和之は口を濯ぐようにビールを飲み干した。

「タケノコって何か、硬いし苦いよね!」
 そう言いながら和之はケタケタと笑っている。

 私は呆気に取られた。
 懐古。心配。嘆き。悲しみ。そして絶望。
 今までの感情は何だったのか。
 憑物が取れた様にスッキリした表情の和之とは反対に私の中にドス黒い感情が渦巻く。

「あぁ、なんかもう、どうでもよくなったわ! 今日はトコトン飲もうぜ! 付き合えよ!」

 和之は悪びれる様子もなく、ケタケタ笑うと追加のビールを注文している。

 その瞬間、私の中にある「何か」が音を立てて崩れた。

 もう、このドス黒い感情を抑えることができない。
 とっさに私は、そばにあるビール瓶を片手に握りしめた。

 私はこれから本当にくだらない理由で罪を犯す。