(著者)四季彩々
「私、東京の大学を受験するから」
娘からそう言われて、動揺する私。
昔と違って一緒に外食する機会も減ってしまった。久々に二人だけで外食をしたいと言われて連れてきたのだが……。
「私立の大学じゃないよ、国立だから」
言葉が出ない私は、娘の顔を暫くジッと見つめた。
日頃から娘に、パパの給料じゃあ私立は無理だと、国立である新潟大学への進学を促してきた。給料が少ないのは事実だが、その発言は本意ではない。実家から通学してくれるのであれば、どこの学校でも良かったのだが……。
「仕送り厳しければ、自分でバイトして稼ぐよ」と言う彼女に、「お金の問題じゃない」と返す。
「ママは知ってるのか?」
「知ってるよ」
「なんて言ってる?」
「勉強頑張りなさいって」
馬鹿な、と口には出さなかったが、私の顔は曇る。
新潟市にある「ホテルイタリア軒」。日本で初めてイタリア人が開いたと言われる西洋料理レストラン。それからホテルへと生まれ変わり、その伝統の味は今も受け継がれている。そんなお店を選択する辺り、娘への見栄が少しあった。
彼女は食後のパフェを口に運ぶ。
その間、彼女は私に顔を向けることはなかった。
東京であれがしたい、これもしたいと、パフェに向かいながら、半年後の自分の理想を淡々と私に報告する。
新潟から東京まで、上越新幹線で約2時間。嫁ぐわけでもあるまいし、と言われればそれまでなのだが、寂しいものは寂しい。私は自分の半身が引き剥がされそうな想いで、彼女の報告を聞いていた。
無性にワインが飲みたくなったが、ぐっとこらえる。娘は妻と一緒で、お酒を飲む私をあまり好きではなかった。
この店を出たら一人で飲みに行くか……。
*
私は一人寂しく、近くの新潟古町商店街を歩いていた。
静かなものだ。
昔は日夜、商店街のモール内路上で、ギターを片手に愛を叫んでいる若者たちが多かった。
ふと、路上脇で段ボールに座る青年の姿が目に止まった。
立て札の横で青年は、色紙とペンを握りしめている。
立て札には、こう書かれていた。
《心のモヤモヤ/言葉のキャッチボール。五百円》
少し高い気もするが、私は興味本位で彼に近付きお金を渡す。
すると青年はボソボソと「今の気持ちを色紙に一言、二言」とつぶやき、色紙とペンを私に手渡す。受け取った私は少し考えて、
《娘が上京。寂しい。》と色紙の上部に横書きで記載した。
色紙とペンを青年に返すと、青年は私の書いた文字の下に、すぐさまペンを走らせる。
《微笑ましい想い出。笑顔の種は今日も蒔かれている。》
………。
お世辞にもセンスのある文章とは言えないが、私の胸を何かが打つ。娘が小さかった頃の記憶が脳裏をよぎる。
オバケ嫌いの娘が夜中に突然怖くなったのか、私の布団に飛び込んできた。
「パパあっち行って」と言いながらも、本当に遠くへ行こうとすると、娘は不安になって駆け寄り、私にギュッとしてきた。
当時の些細な記憶が、目頭を少し熱くさせた。
私はペンを受け取り、
《これからの自分。やはり寂しい。》と先ほどの色紙に記載する。
続けて青年がペンを走らせる。
《想い出は一つじゃない。大切な人も一人じゃない。》
………。
ふと、妻と出会った頃のことを思い出した。
結婚してからも娘が産まれるまでは、よく二人で外食をしていたし、旅行も頻繁に行っていた気がする。特に当時語り合った内容は覚えていないが、共有した食事や風景は、今思い返しても尊い記憶である。
ここ何年も二人きりで街を歩いた覚えがない。
《大切な人も一人じゃない。》
私は、青年にお礼を言い、過去を振り返りながら、ゆっくりと家路に向かった。
*
その夜、寝室にて。
布団に入る私の横で、パタパタと化粧液を付けている妻。
特にキッカケもなく、「なあ」と呼びかけると「ん」と返事が返ってきた。
「あいつの進学の話、聞いてる?」
「聞いてるよ」と、パタパタする手を止めることなく答える。
「どうかなあ?」
「どうって?」
「受かるかなあ?」
「受かるでしょ、まじめだもん」
「そうか」と私は呟き、少し間を空ける。
やると決めたらやるのが、うちの娘だ。彼女は自分の夢に向かって、しっかりと歩き続けていくだろう。親元を離れてどこまでも。
………。
「あいつの東京行き、笑って見送ってやるか」私は、ぼそりと口にする。
続けて妻に聞こえないほど小声で「久々に二人で温泉旅行にでも行こうか」と口にする。すると、
「私も東京についていくよ」
妻からそう言われて、動揺する私。
彼女は私に顔を向けることはなかった。