旅行ガイドブック 

(著者)せとやまゆう

「えっ、彼氏いるの?」
 僕はフォークとナイフの動きを止めた。同時に、走り出していた恋心にも、急ブレーキがかかった。やっぱり、そうだよな。こんなにかわいいんだもん。透き通るような白い肌、キラキラした笑顔。でも、連絡先を交換してくれて、食事の誘いもオッケーで。きっと、今だけ彼氏いないのかなと思っていた。ランチの料理は、どれもおいしい。知りたかった佐渡島の観光スポットについても、詳しく教えてもらえた。大佐渡スカイライン、金山遺跡、ドンデン山、たらい舟体験、竜王洞・・・。どれも魅力的なスポット。話が弾んで、冗談を言い合った。楽しいひととき。余計なこと、聞かなきゃよかったな。

「付き合って、どれくらい?」
「半年くらいです」
「僕の知ってる人じゃ、ないよね?」
 彼女は黙り込んだ。うわあ、知ってる人なんだ。ということは、職場の人か。
「えっ、誰?」
「それは言えないんです。まだ、秘密にしているから」
「気になるなあ。最後まで教えてよ」
「本当に言えないんです。ごめんなさい・・・」
「じゃあ、教えてくれるまで帰さないよ」
 ムキになって、意地悪なことを言ってしまった。彼女は困った顔をした。完全に嫌われたな。もともと、好かれていたわけでもないか・・・。結局、相手が誰なのか教えてもらえなかった。明日から、どう接したらいいのだろう。どこかに、僕の行動に目を光らせている人がいるのだ。とりあえず、気のないフリをしなければ・・・。

 それから、長い年月が経過した。今となっては、感謝の気持ちしかない。ありがとう。この一言に尽きる。忙しい中、わざわざ来てくれたのだから。旅行ガイドブックを持って・・・。

きょうりきょり

(著者)コバルトブルー

 まるで、みたらし団子のタレの中に、沈んでいるようだ。
 実家という場所に漂う空気は、あの砂糖醤油の葛餡そのものだ。甘くてしょっぱくて、全体的になんか茶色くて、ねっとりと絡みつく。
 みんなそれを振り切れる距離まで行き、人生を続けているのに、俺はまだ実家で、餡にまみれて浅い呼吸で生きている。

 元同級生達のSNSを飛び回って、プロフィールページの『地元の地名→現在の生活拠点』の表記を見るのが最近の癖。その二つの地名が離れていればいる程、心臓を下から棒で突き上げられたような、不快感が胸に広がる。

 ガラッと店の引き戸が開く音がして、慌ててスマホをレジの下に隠した。「いらっしゃいませ」と言おうとしたが、客の顔を見て言葉に詰まる。涼だ。
「えっ、純。お前継いだの?」
 最悪。同級生だった奴が来るかもしれないって思ったから、やりたくなかったのに。
「別に継いでない。婆ちゃんが足捻挫して、しばらく安静にしなきゃ行けないから、代わりに店番してるだけ」
 何買いに来たの。と聞くと、ちょっと寄ってみたくて。と言いながら店の棚を物色しだした。祖母がやってるだけの小さな商店に、成人男性が欲しいものなどあるのか。ぼんやり眺めていると、不意に涼が言った。
「俺いま、仕事で上越に住んでるんだよね。つってもかなり端っこなんだけど」
 言われた地名は新潟県上越の最西端の市。胸にあの不快感が広がる。
 もう話したくない。

 地元を、いつか出ると思っていた。明確に行きたい場所があったわけじゃない。強いて言えば東京だったけど、それに『東京だから』以外の理由はなかった。きっとそのうち、目的が出来て地元を離れると思ってた。それまでは、と思いながらとりあえず地元の高校に行った。大学もとりあえず実家から通えるところに進学した。
「わざわざとおげとこ行がねでも、ここで暮らすのが一番だからの」
 進路で迷った時、祖母はいつもそう言った。その度、甘く滑らかなみたらし団子の餡が、脳の大事な決断を下す部分にしみ込んで、「まあとりあえずいいか」と思わせた。
 けれど四年経っても、地元を出る必要のある『目的』なんて出来なかった。就職で地元を離れようと考えたが、20年間徐々に餡に絡められてきた自分のメンタルは、県境を越えるということを億劫に感じるようになった。
(とりあえず地元で就職して、そして…)
そして、どうなるんだろう。多分、どうにもならない。それに気づいた瞬間、俺は果てしなく濃い餡の中にどぷんっと落ちた。
 それからずっとそのままだ。

 涼はレジにスナック菓子を置きながら、「純は今どうしてんの?」と聞いてきた。
 プツンっと何かが切れた。
「卒業して就職しないでバイトしてたけど、最近辞めたから実家暮らしのニート。特にやりたいこともなし。やる気なし。地元出たこともなし」
 だからもう聞いてくんな。そういってレジを乱暴に打った。
 途端に鼻の奥が痺れた。やってしまった。地元を離れて自立してる涼に嫉妬して、思わず八つ当たりしてしまった自分が、あまりに情けなくて泣きそうだった。
 涼は驚いたのか少し黙ったが、変わらない調子で会話を続けてきた。
 「地元、出たいの?」
 「出たいけど、東京とか県外は無理。県境越えんの怠い」
 「じゃあ、新発田市とか新潟市とか?」
 「その辺は別に遠くないし。ふらっと帰れない距離じゃないと、地元出たって思えないし思ってもらえない」
 もう本音が駄々洩れだった。今すぐ帰ってほしい。じゃなきゃ俺が飛び出すか。
 「地元は出たいけど、県境を越えるのは面倒だから県外は無理。でもみんなが見たら、一目で遠いって分かる場所に行きたいってことか」
 相変わらずだね、お前。
 涼の言葉が心臓を抓った。

 何の取柄もないのに、プライドは高かった。そういう子供だった。だから、「いつか地元を出る」なんて周りに言いながら、結局一度も実家を出なかったことを、同級生達に知られたくなかった。逆に同級生達の現在地を知ると、窒息しそうなほどの劣等感に襲われた。早く自分も遠くに行きたい。みたらしの餡が剥がれ落ちる距離まで。でも、自分からは行動を起こせないくらい怠惰で、肝心なところで臆病だ。
 脳天から、どろりとした感触に包まれる。俺は何度劣等感に苛まれても、どうせ『これ』にまみれて生きていくんだろう。

 俺はダサいと思われているに違いない。
 涼が口を開く。きっと、馬鹿にされる。
「じゃあ、俺と住む?」
 どぷん。耳のすぐそばで、空気が混ぜっ返された音がした。

「ここ、下越の中でも一番北の市でしょ。俺がいま住んでる街と同じ県って考えるの、もう無理があるレベルじゃん。誰が見ても遠いところに行きたいけど、県外は無理っていう純の条件にピッタリじゃない?」
 日本で5番目に大きい県に住んでて良かったね。と涼は笑う。
「ちょっと待って。話ついていけないんだけど」
 軽くパニックになりながら言うと、涼は会計が済んだお菓子を開けながら言った。
「あっちで働くことになった時、付き合ってた彼女と同棲始めたんだけど、最近別れて出てっちゃったんだよね。でも部屋は気に入ってるし、一人だとつまんないし、代わりの家賃折半人探そうと思って」
 ルームメイトって言えよ。というと、涼は開けたお菓子の袋をこちらに向けた。中のスナックにしぶしぶ手を伸ばしながら、「なんで俺なの」と聞く。
「純、SNSによく写真上げてたのに、家の中とか住んでる場所とかの情報は、全然ないじゃん。だからまだ地元にいて、きっとそれがコンプレックスなんだろうなって。それにさ、アカウントのプロフィール欄のとこ、『新潟→』のあと空白にしてそのままじゃん。そこ埋めたいのかなって思ったし。だったら、こっちで一緒に住んでくれるかなって思ってさ」
 図星過ぎて、ムカつく気持ちすら湧かなかった。
「県民ならここの市の名前と、あっちの市の名前だけで、遠いってわかるっしょ。純にも遠いふるさとができるよ」
「てか、涼は俺と住んでいいわけ」
そう聞くと、涼はニヤッとして言った。
「俺ら性格的にも、結構合うと思うんだよね。お前のそのプライドさえなかったら、俺は全然いいし」
 うっざ。と言いながら、ふと思う。涼は俺のしょうもないプライドを、崩してくれていたのかもしれない。それも、砂の城を撫でるみたいに、優しくぽろぽろと。
 涼と住めば、無理矢理見栄を張る必要もない。
 「新しい場所に住んで、コンプレックスも落ち着いたら、やりたいことも見つかるんじゃない?」
 その一言ですべてのプレゼンを終えたのか、涼は静かになった。その顔を見ると、さっきまで明るい声で喋ってたとは思えないくらい、真剣な目をしていた。
 その視線に、体を覆っていたねっとりとした空気が裂かれ、顔の皮膚の上をずるずると落ちていくのを感じた。呼吸のしやすくなった鼻で、深く息を吸う。
「行く。と思う」
涼の体が少し緩んだ。
「てか、とりあえず内見したい」
「じゃあ乗せて帰るよ」
 涼の言葉を聞きながら、スマホで二つの地名を打ち込む。すると、地図に青い線で記されたルートが現れた。
 それは新潟県の背骨のようだった。

脈ありハートマーク

(著者)せとやまゆう

「あの子の気持ちが、読めたらなあ」
 僕はつぶやいた。
「ついに完成したぞ!努力したかいがあった」
 博士は振り向いた。
「何が完成したのですか?」
「君にぴったりのものだよ。相手の好意がわかる薬、脈あり判定薬だ。これを飲むと、その人が見ている相手への恋心が見える。好意があれば完全なハートマーク、好意がなければひび割れたハートマークというように・・・」

 次の日、廊下の向こうから、好きな女の子が歩いて来る。僕は急いで薬を飲んだ。すると、彼女の頭上に完全なハートマークが浮かんだ。放課後、僕は告白した。しかし、返事はノー。
 
 博士に泣きついて、文句を言った。博士は首をかしげながらも、気の毒そうな顔をした。僕は親友の家にも行った。彼はしっかり話を聞き、なぐさめてくれた。二人で笹団子を食べて、心が少し落ち着いた。やはり、持つべきものは親友だ。帰り道、日本海に沈む夕日を見ながら、そう思った。

 いつも、われわれは一緒にいる。トイレに行くときも、移動教室のときも。そういえば、あの女の子とすれ違うときも、一緒にいたっけ・・・。

希望のヒニチ

(著者)マシュマロウ

 私は、不登校だ。五年生になり、新しい環境に不安になって学校を休み始めた。そんなある日、長岡の悠久山公園に行った。相変わらず、仲良くしてくれる親友と、その親友のお母さんが、誘ってくれた。「遠いとこだから、知り合いがいなくていいんじゃない?」って。私は、車酔いが激しいから、やっとの思いで、ここ、悠久山公園に来た。
でも…!車から体を出したとたん、めまいがした。でも、外へ出た。自分に、負けたくないから。みんなに追いつきたいから!近くのコンビニで、棒つきアイスを買ってきてもらうと、気分がおちついてきた。今は…夏だったんだ。もう、逃げない。力を振り絞って最初の一歩を踏み出した。悠久山公園…広い広場の真ん中で、ココまで来たことに、自信が持てた。
「夢じゃないんだ。」
おもわず、呟いた。親友たちは、笑顔で見守ってくれている。それを見て、私自身も安心した。私はただ、黙って動物園の方へ向かった。最近は動物を見る時間がなかったから。その中でも、うさぎに圧倒された。
「か~わ~いぃ~」
その様子を見て、ほっとした親友がいた。
うさぎを見続けて一時間、頭をおさえてうずくまる自分。水分をとらなかったからだ。自分で歩いて車へ向かう。車の中で水を少しずつ飲みながら家に帰った。親は心配していた。だけど私は、「最悪だ。」とは思わなかった。むしろ思えなかった。だって、
「自分を見つけられた、最高の日だから…」
それからというと、自分に立ち向かう姿を見た親は、前は悲しげだった親の姿も、前を向いている姿勢になった。世間を知りたくなくて、閉ざしたテレビにも、目を通すようになった。
それから、大人になって…。孤独と感じる人の助けになれる、カウンセラーの仕事についた。私はアノとき、親友に助けられた。でも今は、そんな、親友みたいな人になりたいと思っている。毎週、悠久山公園に行っている。希望が見えるから。だから、その日を、「希望のヒニチ」とよんでいる。あの日のことは、今でも忘れない。

大きい公園にて

(著者)せとやまゆう

 新潟の原風景、福島潟。涼しい風が、花の香りを運んでくる。一面に広がる菜の花畑。ベンチに座って、のんびり。ゆっくり時間が流れる。正面には大きな潟湖。カルガモたちが、水に浮かんで遊んでいる。カイツブリは水中に潜って、しばらく上がってこない。葦原のあたりでは、ダイサギが静かに歩いている。そのずっと向こうには、五頭連山が見える。
「いい景色だ」
 右にはキャンプ場。これからのシーズン、にぎわうことだろう。左には鳥獣保護区管理棟。たくさんの渡り鳥がやってきて、越冬するらしい。オオハクチョウ、コハクチョウ、天然記念物のオオヒシクイ。
「見てみたいなあ・・・。また、来ようっと」

 おにぎりを食べて、お茶を飲む。幸せなひととき。犬を連れた、中年男性が通り過ぎる。僕は思いっきり、伸びをした。
「ワンちゃん、かわいい~」
 リラックスしすぎて、大きな声が出てしまった。すると、犬が引き返して、僕のところへ駆け寄って来た。つられて飼い主も。
「おはようございます」
 挨拶から始まり、飼い主は色々なことを教えてくれた。シーズー、女の子、人懐っこい性格。つぶらな瞳で、見つめてくる。かわいい。上目遣いって、こんなに破壊力あるんだ・・・。僕のそばで、犬はくつろぎ始めた。
「すみません、男の人には目がないんですよ」
 申し訳なさそうに、飼い主は言った。これまで、僕は恋愛とは無縁の生活を送ってきた。つまり、モテ期をすべて残している。これから、モテる《第二の人生》が始まったりして・・・。
「よかったら、触ってあげてください」
「えっ、いいんですか?」
「もちろんです。この子も喜びますよ」
 僕は優しく頭を撫でた。フワフワしていて、心地よい感触。このまま、しばらくいてもいいよ。一緒に遊べるから、僕も嬉しい。心の中で、そう思った。

 キュッ、キュッ、キュッ。ポケットの中で、飼い主が音を鳴らした。すると、犬はその方向へ駆けていった。
「どうも、おじゃましました」
「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」
 飼い主に抱っこされて、犬は行ってしまった。音が鳴るおもちゃか。手強いライバルだな・・・。

残りもの

(著者)せとやまゆう

 寝ぼけまなこで、大きく伸びをする。目覚ましをかけずに、たっぷり睡眠をとった。
「まだ、間に合うかな・・・。とりあえず、行ってみよう」
 
 顔を洗って、服を着替えて、僕は車に乗り込んだ。しばらく進むと、広い道路へ。窓を開けて、越後平野の風を受ける。空気がおいしい。一面に広がる水田が、青空を映している。目的地は、道の駅にあるおにぎり屋さん。商品が売り切れ次第、閉店してしまう人気店らしい。

 この町に来て、約1年が経過した。初めは、新しい環境に慣れるのに精一杯だった。最近は少し余裕が出てきて、色々な場所に行っている。特に、この町のおいしい物を食べる。それが楽しみ。そんなことを考えていたら、道の駅に到着。平日だから、駐車場が空いている。フードコートに入り、僕は胸を撫で下ろした。
「よかった。まだ開いているようだ」
 
 店頭のメニュー表を見ながら、ワクワク。使われているのは新潟県産のお米。具材の種類も豊富。塩、鮭の焼漬け、辛子明太子、いくら、天然ブリカツ、ねぎチャーシュー、高菜マヨ・・・。
「どれにしようかな」

 そこへ、ロボットの店員がやって来た。
「さっき、売り切れになったんだ。ごめんね」
「あー、やっぱり人気なんだね・・・」
「うん、おかげさまで」
 ロボットは、照れ笑いした。
「いやー、でも食べたかったなあ」
 僕は肩を落とした。
「うーん・・・。ちょっと、待っててね」
 ロボットは厨房に向かい、何やら確認している。しばらくして、戻ってきた。
「あのう、ミニサイズのおにぎりなら、何とか作れそうだよ」
「えっ、そうなの?ぜひ、食べてみたい」
 
 3分ほどで、おにぎりが完成した。
「お待たせ。少しずつ残っていた具材を、全部入れたんだ。海苔も巻いたよ」
「わー、やったー!おいくらですか?」
「お金はいらないよ。試食サイズだからね」
 ロボットは微笑んだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて。作ってくれて、ありがとう」
「今日は来てくれて、ありがとう。また、待ってるね」
 
 木の温もりを感じる、テーブル席に座る。おにぎりを一口。お米の香り、甘みを感じる。そして、口に運ぶたびに違う味。具材の緻密な配列。
「すごい!試食のレベルを超えている」
 おにぎりのおいしさ、ロボットの優しさが心にしみた。嬉しさのあまり振り返ったが、店はもう閉まっていた。
「今度は、もっと早い時間に来ようっと」
 僕は目を閉じて、しばらく余韻に浸っていた。

桜並木の情景に想いを馳せる

(著者)上野 龍一

 鳥屋野潟の桜並木。
 通勤の車内、コンビニで買ったコーヒーを飲みながら少し想いに浸る。
 そんな何気ない朝のひと時が私の一番お気に入りの時間である。

 春は頭上を覆うように咲き乱れた桜のトンネルを潜るだけで心が弾む。
 夏は緑の葉と葉が混じり合い、そこから漏れる木漏れ日はキラキラと輝きながら降り注ぎ、秋は桜紅葉の色合いが、まるで水彩絵の具を混ぜたような、茜色を紡ぎ出す。
 冬は枝に積もった雪が白い花を咲かせ、花弁のように風に乗って舞う雪は寒さで凍てつく心を少し和らげる。

「桜の下には死体が埋まっている」
 という都市伝説が時折語られることもあるが、桜が短く咲き誇り、散っていく美しさと儚さからくる話なのかもしれない。
 四季折々美しい情景を見せ、生き生きとした生命を感じさせる桜に人は自然と「死」という神秘を重ねてしまうのであろう。

 桜の下に死体など埋まってはいない。
 なぜなら私が死体を埋めたのは、
 あのクスノキの下なのだから。

逆さ竹

(著者)上野 龍一

 小学校からの腐れ縁である
 和之と飲むことになった。
 なんでも、少し相談事があるらしい。

 居酒屋で和之と合流し席に着くと
 彼は神妙な顔で語り始めた。

「小学校の自由研究で越後の七不思議を調べたことを覚えているか?」
「あぁ、親鸞聖人が起した昔話だろ? 懐かしいな。どうした急に?」
「俺、あの時から思っていることがあって」
「なんだよ急に。それで思っていることって?」
「あの七不思議にさ、逆さ竹の話があるだろ?」
「あったね。鳥屋野だっけ?それがどうした?」
「いや本当、大した話じゃないんだ。うん。すごく、くだらない話。だけど、そのことで悩んでいるって言うか」
「だから何だよ。さっさと言えよ」

 普段、物事をはっきり言う和之が珍しく言葉を濁す。
 煮え切らないその態度にイライラし始めた時、和之はボソボソと呟くように口を開いた。

「俺さ、逆さ竹のタケノコを食べて見たいんだ」

 唐突な告白に、時間が止まる。

「はぁ?」
「だよな。そういう反応になるよな」

和之はビールを一気に飲み干すと、一つため息をつき話し始めた。

「自由研究で逆さ竹を調べていた時、お前が冗談で「逆さ竹のタケノコって食べられるのかなぁ?」って言ったんだよ。その時からさ、その冗談が耳に残って。まるで脳ミソからタケノコが生えたみたいに、逆さ竹のタケノコの
ことが頭の中から離れないんだ」

「冗談だろ?」

鼻で笑う私に和之は首を振ると少し声を荒げながら答えた。

「自分でも分かっているんだよ! くだらないって! でもダメなんだよ! 最近は逆さ竹のタケノコの事ばかり考えて夜も寝られないんだ! しかも、ただタケノコを取って食べるってだけじゃダメなんだ」

「まだ何かあるのかよ」
 呆れ気味に和之に尋ねた。

「昔「美味しんぼ」ってマンガがあっただろ? あれで「タケノコの大地焼き」って話があって。生えたタケノコをそのまま焼いて食べるってやつ。あの食べ方で食べたいんだ。あの食べ方じゃないとダメなんだ」

「お前。。。」
 和之の突拍子もない告白に絶句した。

 「逆さ竹」といえば国の天然記念物だ。
 和之はそれを「窃盗」するだけでなく「放火」まで考えている。

「おい、いいかげんにしろよ? 無理なのはお前も分かっているだろ? 40過ぎたおじさんなんだぞ? 物事の分別は付くよな? そんなくだらないことで社会的地位も家族も失う気じゃないだろうな?」

「分かっているよ。だから悩んでいるんだろう? だけど無理なんだよ。もう、この気持ちを抑えることはできないんだよ」

 和之はうつむきながら目に涙をいっぱいに貯めている。
 もはや冗談や笑い話ではない。

 世の中で毎日のように起こる事件。
 結果だけ見たら凄惨に見えることも、動機は本当にくだらないことなのかもしれない。

 この男のように。

「もう、本当に止めることはできないんだな?」
 和之に確認を取る。

「うん」

 涙をボロボロ流しながら和之は小さくうなずく。
 それもそうだ。四十過ぎたおじさんがタケノコをその場で焼いて食べたい。
 ただ、それだけの欲望のために全てを捨てようというのだ。

「わかったよ。もう止めないよ。でも俺はお前と一緒に罪を犯すことはできない。逆さ竹のタケノコではないけど、せめて今日は二人で、この店のタケコノを食べよう」

 和之は泣いている。
 私も涙が止まらない。
 けど、今日は笑って和之を見送ろう。

 私は「タケノコの筑前煮」を注文した。

 本来であれば、和之がこれから起こす「くだらない犯罪」を全力で止めなければならない。しかし、彼とは長い付き合いだからこそ解る。
 和之の悩みや苦みを理解できるのはきっと私だけなのであろう。
 ならば私だけでも最後まで和之の味方でいよう。
 そう心に決めた。

「これからも俺たちは友達だ」

 和之にそう告げ、タケノコの筑前煮を口に運ぶ。
 今日食べたタケノコの味を私は一生忘れることはないだろう。和之も泣きながらタケノコを口に運ぶ。

「うっ!」
 和之が急に嘔吐き始めた。
「どうした?大丈夫か?」
 嘔吐くほど精神的に参ってしまったのか?
 私は和之が心配になり身を乗り出した。

「不味っ!」
 そう言うと和之は口に入れたタケノコを吐き出す。

「俺、タケノコ食べられないや」
 和之は口を濯ぐようにビールを飲み干した。

「タケノコって何か、硬いし苦いよね!」
 そう言いながら和之はケタケタと笑っている。

 私は呆気に取られた。
 懐古。心配。嘆き。悲しみ。そして絶望。
 今までの感情は何だったのか。
 憑物が取れた様にスッキリした表情の和之とは反対に私の中にドス黒い感情が渦巻く。

「あぁ、なんかもう、どうでもよくなったわ! 今日はトコトン飲もうぜ! 付き合えよ!」

 和之は悪びれる様子もなく、ケタケタ笑うと追加のビールを注文している。

 その瞬間、私の中にある「何か」が音を立てて崩れた。

 もう、このドス黒い感情を抑えることができない。
 とっさに私は、そばにあるビール瓶を片手に握りしめた。

 私はこれから本当にくだらない理由で罪を犯す。

ルイおばさんのふしぎなカフェ

(著者)銀の猫

 そのカフェは美人林の奥深く誰もたどり着けない隠された場所にあります。
 年月を重ねたログハウスで入り口にはかわいらしい看板がたててありました。
「 RUI‘s Cafe(ルイズ カフェ)」。
 ルイおばさんは、毎日林の中でゆっくり本を読んだり動物たちと遊んだりしています。
 イサムおじさんから連絡のあるときだけ店を開けるのです。
 今日、イサムおじさんから連絡がありました。
「本日のお客様は女性一人」
「はい。喜んで」とルイおばさん。さっそく支度に入ります。
 お客様は何をお好みかしら。コーヒー?紅茶?ミルクも必要ね。ジュースも。そうそう、大事な「お水」を用意しないと。
 そう言ってルイおばさんは林の中に入っていきました。
 しばらくして、お客様がお店の前にたたずみ、扉を開けました。
「カラン・コロン」扉を開ける音がします。そうして女性が一人入ってきました。
「美人林に行きなさいと声が響いて、気が付いたらいつの間にかここに…」女性はとても不安そうです。
「いらっしゃいませ。おまちしていました」とルイおばさん。
「どうぞここへ。お飲み物は何になさいますか?」
「コーヒーを下さい」
「かしこまりました」
その女性はどこかに心を置いてきたようにひっそりと座っていました。
「コーヒーをどうぞ。あなたの心にしみますように」そう言ってルイおばさんはコーヒーを出しました。
何も言わずにコーヒーを一口飲んだ女性は…
「私は悲しくて仕方がありません。一年ほど前に愛する子供を二人、事故で亡くしました。私がもう少し気をつけていれば、私が代わりになっていれば、と毎日毎日悔やんでいます」と告白し始めました。
 実はルイおばさんの飲み物には秘密があり、林の中の清らかな水を使って作られていました。この水は飲んだ人に特別な作用が出ます。
 女性の両目から涙があふれ、テーブルの上に落ちたそのとき、
「かちん」と音がしました。涙が真珠になっていたのです。女性は驚きました。
「あら、真珠だわね。真珠の意味は“苦しみから生まれる美”なのよ。きっとお子さんたちはお母さんに悲しい顔をさせてしまっていることが心残りなのかもしれないわね。“私たちのこと忘れない為にも生きて”って真珠から聞こえてくるのだけれど」
 女性は更に涙を流しました。しかし、今度は真珠にはなりませんでした。そのかわり、女性の心が戻ってきたように感じられました。
 ルイおばさんは言います。
「この真珠、一つはお代としてもらいます。もう一つは思い出せるようにあなたが持っていてください」
 女性はうなずくのがやっとでした。そして女性は去っていきました。安心したのと感謝の気持ちとが入り混じった感動の涙を流しながら。
「ありがとうございました」ルイおばさんはほっと一息椅子に座りました。
「カラン・コロン」誰かが入ってきます。
「おや、今日のお客様はお一人のはずだけど」子供が二人。男の子と女の子です。
「僕たちずいぶん前から道に迷っていて気がついたらここいいたの」
ルイおばさんは言いました。
「ココアを作ってあげるからこちらにいらっしゃい」
 ちょこんと座った二人に温かいココアを出しました。二人は温かいココアを一口飲みました。すると...
 二人の体に淡い光がまとわりつきました。ふしぎに思っていると、
「僕たちのママが悲しんでばかりで何もできなくなったから心配で心配で」
 ルイおばさんはつい今しがた手に入れた真珠を男の子と女の子の重ねた手のひらにのせました。ふしぎなことに、真珠から優しい光が輝いて男の子と女の子の体の中に入っていきます。
「おばさん、ありがとう。ママは元気になったんだね」淡い光が強い光へと変わり、まばゆい光の中で男の子が言いました。
「ありがとう。やっと行ける」女の子のバイバイの手を最後に二人の体は優しい光となり美人林のブナの木にまとわりついて上へ。青い空の向こうにすうっと消えていきました。後には真珠だけが残りました。ルイおばさんは真珠を透明の小瓶に入れながらこう言いました。
「イサムおじさんに言っておかないと。たまに予定外のお客様も来るわよって」そういってお店の扉を閉めました。
 ルイおばさんのカフェ。美人林の中にありながら、誰もその場所を知りません。

メモリー1:猫の里の発明王

(著者)虹

 弥彦公園のもみじ谷には小さな小さなトンネルがあり、ネコ達はその先にある『猫の里』で毎日楽しく暮らしています。ネコ達は料理が得意だったり、大工仕事が得意だったりと様々です。皆でお互いに得意な事を披露しながら助け合って暮らしています。

「う?んチャンスは明日の夜、一度きりか…失敗はできにゃいな」
と猫の里一番の発明家の楓は、難しい顔をしながら古い書物を見ていました。

 三日前の事です。里一番のおてんばネコの もみじは、いつものように弥彦公園を駆け回ったり、香ばしい玉こんにゃくの香りを吸い込んだり、神社の参拝客を眺めたりと大好きな弥彦公園で遊んでいました。すると
「危ない!」
 車に跳ねられそうな危ない所を、弥彦駅の駅員さんが助けてくれました。
「猫ちゃん怪我はないかい?この辺りは車が多いから気をつけないとね」
 と、頭を撫でながら駅員さんは続けて言いました
「もうすぐ日が暮れる、お腹も空くだろうし夜は冷えるから暖かい駅にしばらくいるといい」
 もみじは猫の里に帰りたかったのですが、優しい駅員さんの所から逃げ出す気にはとてもなれませんでした。それに駅員さんはとても痩せていて駅員さんの方が寒そうだなと、もみじは心の中で思ったのでした。
 駅員さんはもみじの為に食事や毛布を用意してくれた後に、白い紙を取り出しマジックペンをはしらせ、スラスラと何やら書いた紙を壁に貼りました。そこには『里親募集』の文字と、お世辞にも似てるとは言えないもみじの似顔絵。
「大事にしてくれる飼い主が見つかるといいね」
 そう言って駅員さんはもみじの頭を撫でました。

 もみじが帰ってこないのでネコ達は心配しあちこち探し回りようやく弥彦駅にいるもみじを見つけました。
「なんとかしないと!」」
 と騒ぐネコ達に向かって楓は静かに言いました
「オレの家に代々伝わる発明の書には『人間変身薬 』の作り方が記されてあるにゃ、ただ失敗を恐れてオレの父さんも、おじいさんも誰も試さなかった、だから本当に人間に変身できるのかわからない、でもオレはこの薬を作ってもみじを迎えに行こうと思うにゃ」
 そうして楓は古い書物と一緒にしまってあった木箱のホコリを払いながら蓋を開けました。すると眩い七色の光に包まれて『七色のリンゴ』が一つ現れました。古い書物には『 七色のリンゴ一つ 、水一?、砂糖大さじ三これらを合わせ満月の光に照らしながら弱火で一晩休まず混ぜ続けよ』と、まるで料理レシピかのように記されていました。
「こんなので本当に人間変身薬ができるんですか?嘘かもしれませんよ」
 と長いしっぽの白ネコは疑いながら言います。
「それなら俺たちが一斉に駅で大暴れしようぜ!」
 とネコ達は様々な声をあげています。
「オレはご先祖さまの発明を信じたい、そして人間と争うことなくもみじが帰って来れるならそれが一番良いと思うにゃ!」
 と普段は静な楓の大きな声にネコ達は驚き少しの間黙って
「わかりました、一緒に薬を作りましょう」
 と長いしっぽの白ネコは楓の手を取りました。すると
「私もお手伝いします!」
「もみじちゃんの為なら僕もやるぞ!」
 と次々にネコ達は手を挙げました。

 翌日見事な満月の下、料理が得意なネコは火を焚き、大きな鍋を用意しました。その大きな鍋の前にネコ達は行列を作って混ぜる番を待っています。
「それ!1.2.―10交代!」
 先頭のネコが10回混ぜては最後尾へ回り次のネコと交代。それを一晩中続けます。混ぜているうちにだんだんドロドロした液体になり、さらに混ぜていくとネバネバしてきて、さらに混ぜると小さくまとまってきました。もうどのくらいの時間混ぜ続けたのか分かりません。皆の気力と体力は限界へ近づき、朝日が顔を出しはじめたその時
〈パァァァー〉
 っと鍋から眩い光が溢れた次の瞬間
〈コロン…〉
 ネコ達は一斉に鍋を覗き込み、現れたコロンとした指先程の小さな一粒の固まりを目の前にして、ポカンと口を開けたまま数秒間まるで時が止まったようでした。
「これが人間変身薬?どうやら完成したみたいだにゃ…」
 と楓がボソッと呟くと、時が動き出したように歓喜の声をあげ拍手が巻き起こりました。そんな喜びの中
「それでよぅ、楓、本当にこの薬を飲むのかよぅ、し、死んじまうかもしれねぇぜ」
 と大工仕事が得意なネコは『失敗』の意味を想像して心配そうに言いました。その言葉にネコ達はまた静かになり不安な表情を浮かべています。
「みんなが一生懸命に手伝ってくれたその気持ちを無駄にできない、それにもみじはきっと困ってるにゃ」
 と楓は落ち着いた口調で言葉を放つと同時に
〈ゴクリ!!〉
 楓は勢いよく薬を丸飲みしてしまいました。
「あっ!!!」
 ネコ達は楓の一瞬の行動に驚いて同時に叫びましたが、手品のように楓の姿はもうそこにはありませんでした。

「イテテテ…」
 楓は頭を強くぶたれたような痛みを感じ目を開けると、目の前には彌彦神社のお社が朝の光で美しく輝いていました。
「あ!」
 と自分のやるべき事を思い出したのか大きな声を一つ出すと弥彦駅に向かって走り出しましたが、足がもつれて
〈ステン〉
 と転び、そこでようやく二本の人間の足に気が付き、嬉しさと驚きが同時に表れたような
「うぉー!」
 と叫ぶと少年楓は再び弥彦駅へと向かって猫の時よりも遅い足を一生懸命動かし走りました。
 弥彦駅では肌寒い朝空気の中、駅員さんはもみじに食事を用意している所でした。そこへ勢いよく走ってきた少年は
「あのっ!」
 と少年の声が大きく駅に響きます。こんな朝早くに人が来るとは思いもしなかった駅員さんは痩せっぽちの体をピクッとさせて驚き、声の方へと振り向きました。
「あのっ、すみません…ここにネコがいるって…」
 自分の声の大きさに驚いたのか、声が次第に小さくなっていく少年楓に駅員さんは近寄り優しい口調で言いました。
「こんな朝早くから猫に会いに来てくれたんだね」
 そう言うと、もみじを少年楓の前まで連れてきてくれました。もみじは少年楓を見ると不思議と一瞬で全てをわかったようで
「ニャー」
 と可愛い声で鳴いて少年楓に甘えます。そんなもみじを見た駅員さんは驚いた顔をした後、ぐっと優しい顔になり
「そうか!君のネコだったんだね、それは良かった!そうかそうか」
 と繰り返し頷いてそして
「これからは車に気をつけるんだよ」
 ともみじの頭を一度撫でてそれから
「気をつけて帰りなさい」
 そう少年楓に言いました。楓はペコっとお辞儀をして、もみじは駅員さんに向かって
「ニャー」
 と可愛く鳴いて少年と一緒に歩きだしました。痩せっぽちの優しい駅員さんは、だんだん小さくなっていく二つのしっぽにしばらく手を振っていました。