世阿弥と大工見習い

門歩 鸞(著者)

 この佐渡の島での暮らしにもようやく慣れ、大工の見習い仕事も一区切りがついたある日のこと。若狭からこの島までの道中をともにしたあの老人が私のもとを訪ねてきた。
 翁は都で世阿弥という名で能楽をしていたこともあり、この島の住民たちを相手に、能を演じたり教えたりしているようだった。
 そんな彼がこの私に、能楽堂を建ててほしいと相談してきたのだ。
 早速棟梁にそのことを伝えると、あっさりと断られる始末。そもそも能楽堂なる建物がどんなものか見たことがないという。
 翁にそのことを伝えると、紙に能楽堂の図面のようなものを書き始めた。
 よくよく話を聞いてみると、この島の領主が能楽堂建立の資金を全て出してくれるという。
 この世阿弥と名乗る翁はいったい何者なのか。ただの能楽師とも思えなかった。
 棟梁のほうは、領主の屋敷を建てる仕事はもう終わったからと、妻子の待つ故郷に向けて島を出ていってしまった。
 私は大工としての野心もあって、この島に残ることにした。
 この能楽堂建立の仕事を無事やり遂げれば、夢にまで見た宮大工に近づけるかもしれない……そう思ったからだ。
    *
 材料と資金がそろい、いざ仕事を始めてみると、工事は難航を極めた。その原因はもっぱら大工としての経験が未熟なこの私に責任があったが、一番の問題は、詳細な設計図が翁の頭の中にしかなかったということだった。
 それでも二年近い年月をかけてようやく能舞台は、完成の運びとなった。
 翁は新しい能楽堂で本格的に能を教え始めた。
 能を学んだ地元民の中には、彼のもとへ弟子入りしたり、その教えを広めるため、自ら教える立場になる者も出てきた。
 佐渡領主の庇護のもと、能楽は島全体に広がっていった。
    *
 それから二年後。突如として領主が交代した。
 新しい領主は、多くの島民が能楽に親しんでいることが気に入らなかった。農作業や仕事の妨げになるものと思ったからだ。
 領主は、島内に能楽禁止令を出した。
 能楽を指導する立場である翁には謹慎命令を出した。
 将軍を怒らせたこの人物が、島内で人望を集めているのも面白くなかった。
 島内に増えつつあった能楽堂もすべて取り壊されることとなった。
 もちろん、この私がはじめて棟梁として建てたあの能楽堂もこの災禍から免れることはできなかった。
 それでもなお能楽を教え続ける翁を牢屋に幽閉するにいたって、島民たちの怒りがとうとう爆発。多くの島民が領主のもとへ押しかける事態となった。
 領主とはいえ、屋敷には二十人ほどの護衛兵が控えているだけ。押しかけた島民たちの数は百人以上に及んだ。
 身の危険を感じた領主は、その場でしぶしぶ能楽禁止令を撤回した。
 幽閉中に体調を崩していた翁は、家に戻るとそのまま帰らぬ人となった。
    *
 しばらくすると、私のもとに一通の書状が届いた。以前お世話になったあの棟梁からだ。読むと、都で宮大工が不足しているから急ぎ帰ってこいとのことであった。戻ったあかつきには、将軍家御用達の宮大工見習いに推薦してもいいという。
 夢にまで見た宮大工。私は大いに迷った。
 この島での生活にも慣れ、愛着もある。
 だが、翁はもうこの世におらず、手塩にかけてつくった能楽堂も今はもうない。
 私は都へ戻ることに決めた。
    *
 島を去る前日の夜。
 真夜中に目を覚ますと、枕元に一人の老人が立っていることに気づく。
 なぜか怖くはなかった。それどころか、懐かしささえ覚えるその輪郭……
 翁だ。世阿弥翁だった。
 翁は懐から巻物のようなものを取り出し、床に置いた。
『これを弟子に預けてあるので、皆の役に立たせてほしい』
 翁はそう言うと、その姿は足下から薄くなって全身が消え始めていく。
 同時に、床に置かれた巻物も消え失せてしまった。
 夢か……いや、幻か。それとも亡霊か。
 翁の霊はまだ成仏できていないのかもしれない……
    *
 翌朝、船着き場へ向かう途中、翁の自宅へ立ち寄った。
 彼の弟子の一人が中から出てきた。
 彼は私の顔を見るなり、一本の巻物を差し出した。
「これは『花伝書』というもので、世阿弥様が残した大変貴重なものです。あなたに預けるよう言付かっております」
 翁は亡くなる寸前まで、能の極意をこの巻物に書き記していたそうだ。
「一介の大工見習いに過ぎないこの私が、このような大切なものを預かってどうすればいいのですか?」
「島の人間であるこの私がこのまま持っていても仕方がありません。あなたが都へ戻られたあかつきには、世阿弥様ゆかりのお弟子さんや、その流儀を引き継ぐ方たちにこれを渡してほしいのです」
    *
 ようやく船着き場に来ると、船頭が退屈そうに客待ちしている姿が目に入る。
「ひとっ走り頼むよ、若狭まで」と声をかけると、「そんな遠くまで行くもんかい」と、乗り気のない返事。
「船賃ははずむよ」と言って、銅貨がぎっしり詰まった袋を彼に投げつけた。
 それを見た船頭は「よっしゃ!」と叫ぶやいなや、岸につないだ舫(もや)いを離し始める。
 それから、船頭も私も後ろを振り向くことはなかった。

万歳。

(著者)圭琴子

 あたしは、駆け出しの歴女(れきじょ)だった。きっかけは、アプリゲームだ。ゲームの時代背景を調べている内に歴史のドラマチックさにのめり込み、休日には各地に遠征をするようになっていた。
 今日は、新潟県の春日山城跡。お目当ては、上杉謙信やその家臣の扮装をした、『上杉おもてなし武将隊』だった。
 刀を抜いての、イケてるオジさんたちの物語演舞は思った以上に完成度が高く、まるでミュージカルを観てるみたいだ。
 しかも写真撮影は、『実質無料』という概念ではなく本当に無料で、お話も出来て凄く楽しかった。
 ……あのひとが、直江兼続(なおえかねつぐ)だな。
 あたしは記念撮影とは別に、兜の前立て(まえだて)に『愛』の一文字が目立つ、彼ひとりをこっそりと撮影する。
 側室を持つことが当たり前だった時代に、正室のお船の方(おせんのかた)ひとりを愛し通した戦国の武将。その一途さが好きだった。
 普通は新潟と言えば上杉謙信だったけど、あたしはだんぜん、家臣の直江兼続派なのだった。
 そして余韻もそこそこに、駐車場に走ってマイカーに飛び乗る。上越市から小千谷市まで、二時間弱の長旅だ。
 次のお目当ては、木造愛染明王坐像(もくぞうあいぜんみょうおうざぞう)のある、妙高寺だった。御開帳(ごかいちょう)は十七時までだから、あたしは昼食も摂らずに出発する。
 どうしてもお腹が空いた時の為に、あらかじめコンビニでお握りを二個買ってあったけど、慣れない道だから運転に集中する。
 その甲斐あって、ギリギリ十六時四十五分に到着した。あたしは駐車場からまた走る。
 兼続が熱心に信仰して、その頭文字を前立てに選んだという、愛染明王が観たかった。
「綺麗……」
 観られたのは五分弱だったけど、あたしは何だか感動しちゃって、息を弾ませながら涙を拭う。
 三眼六臂(さんがんろっぴ)――眼が三つ、腕が六本の猛々しい姿と、背景に描かれた炎のコントラストが美しかった。
 扉が閉められてからは、境内で真っ赤に色づいた紅葉狩りをする。奥行きのある場所で、黄色のイチョウと赤いモミジが重なるポイントを見つけてスマホをかざしたら、不意に画面に『愛』の一文字が入り込んできた。
「あれ?」
 さっき観た、鎧に陣羽織姿の兼続が立っていた。妙高寺でも、パフォーマンスをしているのかな?
「おい。女」
「は、はい」
「春日山城に居たはずが、奇妙なことに妙高寺だ。間もなく戦(いくさ)が始まる。早馬を用意してはくれんか」
 ……ん~? あたしの頭の上には、クエスチョンマークがたくさん瞬く。
 よく見ると、さっきの兼続よりはずいぶん若く、背も低い。鎧はところどころが錆びていて、赤黒く変色していた。
 人間、信じられない出来事に遭遇すると、現実逃避するんだな。あたしは昔観た漫画やドラマを思い出して、こういう時どうしたらいいか、ぼんやりと考えていた。
「おい」
「あっ、ハイ。早馬はいないけど、鉄のかごなら」
「鉄? それでは、かごの者が難儀だろう」
 ああ。兼続はやっぱり、かごを運ぶような下々(しもじも)にまで、優しいんだ。あたしは何となく、嬉しくなった。
 駐車場まで案内して、マイカーに乗せる。軽自動車だったから、兜は脱いで貰った。
 彼はキョロキョロと、車の中と、凄いスピードで飛び去って行く外の景色を眺めていたけど、特に質問はしなかった。自分の無知を、恥じていたのかもしれない。
「……すまん、腹が減った。何か食すものはないか」
「あ、あります。お握り」
「握り飯か。馳走になる」
 そう言って、透明のビニールごと食べようとする彼を止めて、信号待ちの間に?がしてあげた。
「うむ。美味じゃな。はて、だがこの具は何じゃろう」
「ツナマヨです」
 あたしはコンビニのお握りは、ツナマヨしか食べないマヨラーだった。
「して、その『つなまよ』とやらは、どうやって作るのじゃ?」
「え~っと……」
 真のマヨラーのあたしは、マヨネーズを自作することもあったから、答えられた。
「ツナは、マグロです。マヨは、卵黄と油と塩と酢を混ぜて作ります」
「ほほう。今度、賄い方(まかないかた)に作らせてみよう」
 ペロリと二個のお握りを完食した兼続は、今度はカーオーディオに興味を持ったようだった。
「歌謡(かよう)は、誰が何処で歌っておるのじゃ?」
「ええと……歌ったものを記録して、その記録を流しています」
「この男は、先ほどからばんざいばんざいと叫んでおるが、『ばんざい』とは何じゃ?」
「愛するひとに出逢えた運命を、『万歳』という言葉で寿(ことほ)いでいるんです」
「なるほど。『はっぴー』とは?」
「とっても幸せって意味です」
「いい歌謡じゃな」
 それからしばらく、沈黙が続いた。兼続は、曲に聴き入っているらしい。
 そうしてふと隣を見たら、兼続は居なくなっていた。
 良かった。帰ったんだな。不思議と、そう確信出来た。
 後日、兼続の文献を読んでみたら、『綱真世(つなまよ)』お握りのレシピと、祝言で歌謡と舞を披露したエピソードが載っていた。
『万歳。そなたと出逢えて重畳(ちょうじょう)。これより生涯、没すまで、至上の幸福』
 そんなに気に入ったんだ。あたしはくすくすと笑って、本を閉じた。胸の辺りが、じんわりといつまでも暖かかった。