鬼太鼓

(著者)トシツグ


鬼が舞う。春が狂い咲く。

遠く、春雷が鳴り響き、目を覚ます。
あぁ、今年も人々は超えたのだ。
長く厳しい冬の間。
幾人の島民が命を落とし、
悲しみに暮れたことだろう。
ならば、打たねばならぬ。舞わねばならぬ。
呼ばねばなるまい。春の音を。

注連縄(しめなわ)が渡されている現世(うつしよ)とは一線を画した私の祠。
三百年、変わらず私は此処に居る。
祠の奥、神棚の下の長持。
蓋を開ければ、樟脳の香りが辺りを包む。
鱗柄の着物と艶やかな羽織。そして、面。

汚れを落とし、繕い、風を通す。
面は…。古いものの方が私は好きだ。
何度も修繕を考えてはいるのだが、どうも、な。
剝げた塗料も、細かな傷も、愛おしい。
このままで、いたいのだ。
あと幾日もすれば島が開く。
その日を私は待っている。

卯月の中の頃。
今年は月が出ない夜だ。私には、丁度いい。
衣装を纏い、神棚の前に座る。
髪を結い、紅を差す。
面をつければ見えぬのだけど。
一つ一つを、大切にしたいのだ。
願掛けとは、そういうものだろう。
丸く小さな鏡に向かい、
私は面を手に取った。

私は、鬼になる。

ドン、ド、ドン、ドン。
お囃子がすぐ傍で鳴り響く。
目を開けば、私は神社の境内にいた。
鬼の面を通さなければ見えない、『今』の世界。
私が居た頃とは随分違った人々の顔。
ドン、ド、ドン、ドン。
重苦しいのに、軽快に打ち鳴らされる鼓(つづみ)の音は、自然、
胸を高鳴らせる。
私のお役目。大丈夫。きちんと果たしてみせるよ。
ドン、ド、ドン、ドン。
今年、面をつけたのは誰だろう。
初めて舞う、若い衆。
きっとこの日、私を降ろすために、
幾日も幾日も、人知れず汗を流してきたことだろう。
手の返しも足の運びも型通りに美しい。
大丈夫。今日は私(おに)が付いている。

そら打て、そら打て。
掛け声に合わせ、右三つ巴が勇ましい。
揺れる篝火に長い髪をなびかせ。
そら打て、そら打て。
桜の花吹雪に、鬼が舞う。
五穀豊穣、破邪祈祷。
きっと良い年にしてみせましょうと。

これはこの島の、美しき春の風物詩。


(著者)トシツグ