彼女の風

(著者)黒井羊太


「縄文土器ってあるじゃない」
 彼女の言葉はいつも突飛だ。
「うん。うん? うん」
「あのデザインってホント素敵よねぇ」
 うっとりとした顔で言う。恐らく昨日またテレビか何かで見て影響を受けたのだろう。
「あー、あれねー。燃え上がってるみたいなデザイン。ホント綺麗だよねぇ」
 僕は持てる限りの知識を総動員して返事をひねり出す。当然ながら僕は縄文土器に興味を持った事など一度もなく、それに付随する知識など好んで取り入れた事もない。辛うじて見つけだしたのは、記憶の底の方に転がっていた火炎型土器とも称されるあの縄文土器だけであった。
 涼しい顔でさも知っている風に答えた僕だが、しかし彼女は僕が出した回答はお気に召さなかったようだ。むうっと頬を膨らませ、明らかに不機嫌である。
「それは馬高式!」
 馬……なんだって?
「岡本太郎さんが『これぞ縄文土器!』って広げちゃったけど、あれは新潟県中部を中心とした一部でしか出ない土器の種類なの!」
「へ~、そうなんだ」
 全く知らなかった。関心もないけども、相槌だけは打っておく。
「もっと言うと、時代は縄文時代中期。あ、火炎土器と火焔型土器はちょっと違うからそこも気を付けてよね。縄文時代ってそもそも一言で言うけど期間が一万年くらいあって、その中で更に分類が……」
 お察しの通り、彼女は凝り性だ。きっと昨晩テレビを見て、それからずっと調べていたのだろう。僕と違ってなまじ頭が良いからするすると知識が入っていくのだ。それを僕に向けてまるで吹き付けるように話すのが彼女の日常。先日は米の歴史についての講義があった。その前は鉱石についての話だった。てんでばらばらである。
 それを彼氏たる僕が延々と聞き続ける。これが僕らの関係なのだ。
「でね……聞いてる?」
「聞いてるよ、続けて?」
「うん。でね、大木(だいぎ)式ってのがあって、山内清男(やまのうちすがお)が……」
 滔々と話し続ける彼女の熱を持った話しぶりが、勢いのある声が、心に打ち付けてくるリズムが僕は好きなのだ。話の中身なんてどうだっていい。
 この温かで心地良い風が心を吹き抜ける感覚。僕にとってこれが幸せなのだ。

 そうして得た知識は、僕の糧になる。それを会社に持っていって、後輩に聞かせてやるのがいつものパターンだ。
「なぁ、知ってるか」
 ちょっとした休憩時間に、隣の席の後輩に声を掛けるのがいつもの決まりである。
「何ですか?」
 いつもの事ながら、面倒くさがらず聞いてくれるこいつはいいやつだ。
「縄文土器って言うのはな……馬……あれ、何式だっけ」
「土器が馬?」
「え~と、う~んと、馬……鹿式!」
「それじゃバカじゃないですか」
「あれ、違うなぁ」
「縄文土器ってあれですよね、何か燃えてるみたいな感じの」
「そうそれ! でも実は違うんだよ。あれは新潟県特産でね……」
「特産って何ですか。今でも作ってるみたいじゃないですか。新潟の人って土器を今でも使ってるんですか?」
「いや違うよ。新潟県民バカにするなって。そうじゃないんだ、縄文時代のー、あー、中期頃のな?」
「中期って何年前ですか?」
 どんどん脱線していく。
 僕はうろ覚えの知識でもって説明しようとするから、話す程にぼろが出てしまうのだ。後輩はそれをまたおもしろがって、重箱の隅を突いてくるのだ。
 あ~でもない、こ~でもない。ぎゃあぎゃあと騒いでいると、僕らのやりとりを聞いていた上司が一つ咳払いをする。しまった、うるさすぎたかと思い、そちらを見遣ると、上司が口元に笑みを浮かべながらこう呟いた。
「火炎土器、この辺りじゃあ、買えん土器」
 冷たい風が一つ、吹き抜けた。


(著者)黒井羊太