沁みる夕日

(著者)石原おこ


『もうムリ。別れましょう』
と彼女からメッセージが送られてきて、自分でも「まぁそうかなぁ…」と思うところもあったけど、実際『別れましょう』という文字を見たときには、なんだかやるせない気持ちになった。

新潟の大学で出会って、つき合い始めて、僕が先に社会人になって、
「そろそろつき合い始めて4年が経つね」
と言っていたのが2か月前。そう言った時、彼女の表情もどこか浮かないところがあったような気もするし、その時会ってからの2か月も、時々メッセージのやり取りをするぐらいで、実際に会ったり、電話でしゃべったりすることもなかった。
仕事が忙しいというのも理由だし、お互いの生活している環境が違ってきたことも、すれ違いの原因になっていたと思う。
「結婚しよう!」
とでも言えばよかったのか?
でもまだ、なんとなくそんなタイミングじゃないし、結婚なんてイメージわかないし。お互いにスケジュールを合わせてデートするというのも、億劫になっていた。

だからと言って彼女のことが嫌いになったわけではない。
4年間、彼女と過ごした時間は楽しかったし幸せだった。
一緒に酒を飲みに行ったり、旅行に出かけたり、デートの時間が楽しみで、仕事を早く切り上げて駅へ急いだこともあった。
「一緒に花火が見たい!」
彼女がそう言うものだから、長岡の花火大会にも出かけた。
熱風と人いきれ。次々に夜空に開く大輪の花。爆音と煙のにおい。浴衣姿の彼女。
ここ最近、彼女との思い出なんか思い出すこともなかったのに、『別れましょう』の言葉で、急にあの頃の日々が浮かんでくる。

『メッセージだけで関係が終わるってのは切ないよ。一度、会って話さない?』
そう返事を返した。
もう関係を修復することは難しいのかもしれないけれども、別れるのであっても、ちゃんと会って“けじめ”をつけたい。
もちろん、別れたくないという気持ちがある。顔を見れば思い直してくれるかもしれないという期待もある。
「別れましょう」
「はい。そうしましょう」
なんて、返事ができるほど、物わかりのいい僕じゃない。
未練がましいのもわかっているけれども、最後に一度、会って話をしたい。
『わかった』
彼女は短い返事を返してきた。

待ち合わせの場所は、百貨店の中にある喫茶室だった。
土曜日の夕方。これまでだったら『一緒にご飯でも食べながら軽く一杯でも』となるそんな時間帯。
メッセージのやり取りからも、一緒にご飯を食べるという雰囲気でもなかった。
コーヒー一杯の時間が、僕たちに残された最後の時間だった。

僕が先に喫茶室に入っていた。約束の時間の20分も前に来てしまった。
彼女が姿を現すまでの時間、何を言おうか、どう言おうか、いろいろ考えていたけれども、結局言いたいことはまとまらず、タイムオーバーとなってしまった。

向かいの席に座った彼女は髪の毛をバッサリ切っていた。肩まであった髪の毛はショートカットになっていて、色も少し茶色に染まっていた。着ていた白いワンピースも、これまで会っていた時には着てきたことのなかったものだった。
「雰囲気変わったね」
「うん」
「最初入ってきたとき、誰だか分からなかったよ」
重苦しい空気が漂う。「こんなにも会話って弾まなかったっけ?」と思うくらい、僕と彼女との間には深く大きな溝があるような感じだった。
「あなたと付き合っている間にいろいろあって……このあいだ会ってからもいろいろあって、それで、私新潟を離れることにしたの」
深い沈黙が続いたあと、彼女がぽつりとつぶやくようにそう言った。
———いろいろあって?何があったの?新潟を離れる?どこへ行くの?ほかの男といっしょに行くの?どういうこと?
頭の中には彼女に言いたいこと、聞きたいことが浮かんでくるけれども、それらの言葉がミキサーのなかでごちゃごちゃにかき回されて、なんだかドロッとした得体のしれないものになるだけで、結局口をついて出たのは、
「あ、そうなんだ」
のひと言だった。
「もう一度考え直してくれないか?」なんて言えなかったし、
「元気でやれよ」なんて捨てゼリフも出てこなかった。

「ああ、なんだかな…フラれるのはやっぱりキツイな…」
車のシートに体を沈めて、ため息をついた。
心にぽっかり穴が開いてしまって、今になって『好きだ』という気持ちがわいてくる。一緒にいたときの笑顔が思い出されたり、他愛もない会話の内容、花火大会の日、彼女が着ていた浴衣にアサガオが描かれていたことなんかも思い出した。
「ビールでも買って帰るか」
そう言って僕は車を動かした。

海沿いの道を走ることにした。このまままっすぐ帰っても、きっとみじめな気分になっているばかりだろうし、車を運転することで少し気がまぎれるかもしれない。
松林を抜けたところで、海が開けた。
ちょうど太陽の沈む時間だった。
日本海に沈む夕日は赤く眩しい。頭上のサンバイザーを倒しても、光が目に飛び込んでくる。
「なんだか、夕日が痛い」
日本海に沈む夕日を見ると、きっと今日のことを思い出すのだろう。
そう思うと、ぽっかり空いた心の穴に、夕日の光が沁みて痛かった。