コリウスの恋

(著者)つちだなごみ


「ガーデニングなんて、淋しい女がすることよ」
 園芸店の店先で、キャリアウーマンだった母は吐き捨てるようにそう嘲笑った。なんてバカバカしい偏見なんだろう。母の心のフィルターは間違いなく曇っている。中学生だった私は、花を美しいと思えない母を哀れんだ。

***

 今日は朝から日差しが強い。連日の夏日で庭の花たちが水を欲している。外水栓の蛇口をひねる。シャワーノズルを握ると水が噴き出し、小さな虹ができた。シャワーを浴びた花たちはキラキラ笑っている。
 決まった時間に私は庭に出て花に水をやる。朝は8時、夕方は6時。夏の強い日差しを避けるため。というのは口実で、あなたが私の家の前を通る時間だったから。
 真っ白いYシャツ姿のあなたが、自転車を立ちこぎしネクタイをなびかせながら、風のように通りを駆け抜けて行く。寝坊したのかしら。そんなふうにあなたの姿を追うと、その瞬間にこちらを振り返り照れくさそうに笑った。

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「子どもは私が育てたい」
「わかったよ。おふくろにはそう伝えておく」
 長女が1歳の誕生日を迎えるころ、近所に住む義母が「子守をしてあげるから」と私に働きに出るよう話を持ち掛けてきた。都合のいい時だけ我が家に上がり込み、娘の生活リズムを引っかき回して帰る義母に子守ができるわけがない。

「そろそろ働きに出たいわ」
「君の好きにすればいいよ」
 次女が小学校に上がり、私は時間を持て余すようになってしまった。社会に取り残されているような焦燥感に襲われていた。

「最近体調が良くないの」
「家でゆっくりしたら? 無理に働きに出なくても、僕の稼ぎで充分やっていけるのだから」
 どんなわがままを言っても、夫は私を受け入れてくれる。こうして私はパートを辞めて家に入った。日がな一日ぼんやりと過ごす私を見て「庭に花でも植えてみたらどう?」と夫が提案してきた。
 なんの色もない庭だった。女一人で手入れができる手狭さがちょうどよかった。
 夫は私を自由にさせてくれる。文句も言わなければ関心も持ってくれない。季節に移ろう庭の花々の変化に気づくこともない。私はそれを責め立てることもなく、淋しさを埋めるように花を植えた。

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「花壇のチューリップがきれいに咲きましたね」
 日が長くなり始めた4月末の夕暮れだった。庭仕事をしていた私に、スーツ姿の男性が声をかけてきた。それがあなたと私の初めてだった。
「今年は春が早かったから咲くのも早かったみたいです」
「新潟は良い所ですね。街の至る所に花が咲いている」
「県外からお越しなんですか?」
「ええ、三年前にここに越してきました。新潟は酒と米ばかりと思っていましたが、チューリップ畑はまるでオランダのようで見事だ」
 無防備なあなたのえくぼが私の目をのぞいた。
「こちらの庭を眺めて通るのも、毎日の楽しみなんですよ」
 色気のないカーキー色のガーデニングエプロンが急に恥ずかしくなった。土で汚れた指先でエプロンのすそを握りしめた。
「花はお好きですか?」
「ええ、花と女性を『きれいだ』と思えなくなったら男はおしまいですよ」
 あなたがそう笑うと、ミモザの葉が風にそよいだ。

***

 私は夢中になって園芸店に通い、季節のポットを買い込んで庭に植えた。
 私は「淋しい女」なんかではない。毎日が輝きだした生活に淋しさのかけらもない。もっと私を見て欲しかった。
 夏の照りつく夕日が、通りを赤く染めた。仕事帰りのあなたが、私を見つけて自転車の速度をゆるめて止まった。
「葉色と模様がきれいですね。なんという花ですか?」
「コリウスです」
「花は咲かないんですか?」
「咲きますよ。でも、花は摘み取るの」
「どうして? もったいないな」
「色あせちゃうんです、葉っぱが」
 自転車を降りて、フェンスに手をかけ不思議そうにコリウスを覗き込んだ。その左手薬指にある指輪は鈍い光を放っていた。
「花の犠牲があるから葉がこんなに美しいの」
 マニキュアを塗り整えた自身の爪を見て、あなたに視線を移した。
「コリウスの花言葉も素敵ですから調べてみてください」
 私を見つめたあなたの頬が、夕日に染まっている。思わず口にした言葉に慌てて目をそらし、シャワーノズルを握った。
 気まぐれな風が一吹きすると、シャワーのしぶきが私のワンピースを濡らした。