シンボル

(著者)山村麻紀

「いい人生らった」と言い残し、じいさんが死んだ。隣のばあさんが畑仕事をする中、おんぼろの家で、安らかに息を引き取った。
 じいさんは、孤児の私を引き取り、四十五のくたびれた中年になる今まで面倒をみてくれた。じいさんの命が長くないと知ったとき、頭に浮かんだのが、じいさんのワイフだった。
「俺のワイフは良い女だったっけのう」
 仏壇には、水玉のワンピースを着たソバージュとえくぼがよく似合う美人が飾られている。じいさんのワイフは結婚して三年後、交通事故で亡くなった。二十五歳だった。じいさんは再婚せず、同居していた両親が他界して間もなく、私を養子として受け入れた。
 私はじいさんのワイフを見つけるため、結婚相談所に向かった。相談所に行くと、痩せたスーツの男が私を迎えた。プロフィールシートには、「二十五歳希望」と書き、男に「こんな女性と出会いたい」とじいさんのワイフの写真を見せた。
「今どき二十歳差なんて当たり前です。大丈夫ですよ。必ず素敵な女性を紹介します」
 三日後、男から紹介の電話が掛かってきた。
「いいお嬢さんがいましたよ。二十五歳で美人さんです。早速デートのお手配をしますね」
 ワイフ候補との待ち合わせは、万代のバスセンターだった。きょろきょろする私に、白いコットンワンピースを着た女性が話しかけてきた。
「山田さんですよね?初めまして」
 顔を見て驚いた。女性は、じいさんのワイフと瓜二つの顔をしていたのだ。慌てて会釈した後、近くの喫茶店に入った。
「もうすぐなくなるんですよね。レインボータワー。残念です」
 着席するなり、女は言った。
「シンボルがなくなるって、悲しいですよね」
 彼女は、遠くの何かを見つめて呟いた。
「私は、おととい結婚相談所に登録しました。理由は、寂しいからです。男手一人で育ててくれた父が、先月急性白血病で亡くなったんです。私には兄弟もなく、父しかいませんでした。だから、だから」
 大粒の涙が女の目から落ちた。私は慌てて言葉を挟んだ。
「正直に言います。私は誰とも結婚したいと思っていません。私が探しているのは、育ての父であるじいさんの、亡くなったワイフです。あなたのお父さんと同じく、私の父はもうすぐ天国に逝ってしまう。その前に、嘘でもいいから会わせてやりたいんです」
 私が言うと、女は大きく頷いた。
「とてもいいアイディアだわ。私がおじいさまのワイフになりましょう」
 翌週の日曜、ソバージュヘアになった女が家にやって来た。
「ただいまぁ」
「あぁ、おかえりなさい」
 私が言うと、女が手を振る。じいさんを横目で見ると、何度も目をこすっている。
「あら、あなたどうしたのよ。花粉症?」
 じいさんは、首を激しく左右に動かした。
「おかえりやぁ、マイワイフ」
 その日から、私とじいさんと偽ワイフとの生活が始まった。
「おぉ、ワイフの作った里芋の煮っころがしは最高だ。うまいうまい。なぁ?」
「あぁ、うん」
 生返事する私の横で、女が頬を緩める。思わずうっとりと見惚れるほどの美しさだった。
「あなたは、昔っからこれ好きだものね」
 女は、私が渡したワイフ情報をすべて記憶していた。所作も完璧に再現している。
「ワイフや、茶をくれ」
 ワイフを呼ぶじいさんは、誰よりも幸せに見えた。日ごとに食は細くなっていったものの、血色は良く、表情はまぶしかった。
「あなたは、おじいさんが亡くなってから、どうするつもりなの?」
 近所のファミレスで、女が私に問いかけた。
「何も考えていないよ。今はじいさんに最高の最期を贈ってあげること以外考えられない」
 女は、苦笑してうつむいた。
「おじいさんの本当の幸せって、何なのかしらね」

 じいさんが死んで一週間が経った頃、家のちゃぶ台に封筒が上がっていた。
 封筒には付箋があり、何か書かれている。
「結婚相談所に来た、おじいさんから預かったものです。黙っていてごめんなさい。」
 封筒の中には、メモの切れ端と、私が結婚相談所に払った十倍以上の金が入っていた。
「息子を頼みます。あの子の幸せが、私の一番の幸せなんです」
 震えていたが、間違いなくじいさんの字だった。私はメモを握り、ひたすら走った。しかし、どこまで行っても、シンボルは見つからない気がした。あるいは、はじめから存在しなかったのかもしれない。
 戻らぬ時間だけが、宙にぷかぷかと浮かんだ。

なめらかな、愛

(著者)山村麻紀

 私の部屋の本棚から、日に日に本が消えてゆく。本にかじられた様子がないことから、屋根裏のねずみの犯行ではないと悟る。
『ねぇ、私の本知らないよね?』
 寝そべって尻を掻き、テレビを見ているタツヤのだらしない背中に問う。
『あぁ、食べたよ。君の本棚にある本、美味しいからさ』
 やはりと思った。出会った半年前と比べて、タツヤは倍くらいの大きさになっている。本でも食べなければ、こんなに短期間で太ることはないはずだ。先日タツヤとデートで行ったマリンピア日本海で、そっくりな生き物を見た。あれはイルカじゃなくて、ペンギンじゃなくて、アザラシでもなくて、何だっただろう。
『ねぇ、どうして私の作った料理はちっとも食べないのに、本を食べるのよ?』 
 強い調子で言ったにもかかわらず、タツヤは振り返りもせずに答える。
『料理なんてファミレスでも居酒屋でも食べられるよ』 
 返答の意味がわからず、頭にきた私は、タツヤの背中に思いきり蹴りを入れた。
『この本泥棒!このトドまがい!本を返しなさいよ!』 
 タツヤは驚いて、なめらかに身体をスライドさせた。
『君ほど美味しい本をくれる人はいなかった。でも、その魅力に気付けなかった君とはさよならだ』 
 タツヤの手足はヒレに変化し、手を振ってそのまま部屋から消えてしまった。ふと本棚に目をやると、消えた本がすべて元に戻っていた。ただ、全ページがしわしわになっていて、潮の香りがした。
 使い物にならないので、全部水に流すつもりだ。

スペシャルなイルカショー 

(著者)せとやまゆう

 新潟にある水族館。今はイルカショーの時間。たくさんの観客で賑わっている。僕の隣には、好きな女の子。イルカがジャンプする。ザッパーン。水しぶきが上がって、涼しい。
「手つながなくて、いいの?」
 ジャンプしながら、イルカが話しかけてくる。1人だけに、聞こえる周波数で・・・。黙ったまま、僕は首を縦に振る。
「まだ、付き合ってないパターンか。告白は?」
「今日、しようと思ってる」
 僕は、小声で答える。
「今しちゃえば?これから、大回転を決めるから」
 高く飛んで、クルクルクルクルクルー。五回転して、ザッパーン。大きな水しぶきが上がる。
「きゃー、すごいね!」
 キラキラした女の子の笑顔。せっかく、イルカが背中を押してくれたんだ。僕も男を見せないと・・・。
「好きです。付き合ってください」
 真剣な顔で、僕は言った。驚いた表情の女の子。ついに、言ってしまった。僕の鼓動は速くなった。

「はい、お疲れ様でした。ゴーグルを回収しますね」
 スタッフの声とともに、周囲の観客が姿を消した。隣に座っていたはずの、女の子も。水槽の中では、イルカが静かに泳いでいる。
「かわいかったでしょう。たくさん話せましたか?」
「はい、ありがとうございました!」
 ああ、ドキドキした。ドキドキしたら、お腹が空いてきた。レストランに移動し、僕はわっぱ飯を食べた。薄い塩味のご飯の上に、鮭といくらがたっぷり。追加で、メギスの唐揚げをオーダー。心もお腹も満たされた。

 帰りながら、僕はチケットの半券を取り出す。
《開館前 貸し切りイルカショー!》
 どうして、こんなチケットを持っていたかというと・・・。幸運なことに、抽選で当たったからだ。余韻に浸っていて、気付いた。半券に書いてある文章。
《もう一度、ご利用いただけます。ぜひ、ペアでお越しください!》
 なんて、太っ腹なんだろう・・・。嬉しい、嬉し過ぎる。振り返って、僕はお辞儀をした。また、必ず来ます。
「よしっ!」
 勇気を出して、あの子を誘うぞ。

旅行ガイドブック 

(著者)せとやまゆう

「えっ、彼氏いるの?」
 僕はフォークとナイフの動きを止めた。同時に、走り出していた恋心にも、急ブレーキがかかった。やっぱり、そうだよな。こんなにかわいいんだもん。透き通るような白い肌、キラキラした笑顔。でも、連絡先を交換してくれて、食事の誘いもオッケーで。きっと、今だけ彼氏いないのかなと思っていた。ランチの料理は、どれもおいしい。知りたかった佐渡島の観光スポットについても、詳しく教えてもらえた。大佐渡スカイライン、金山遺跡、ドンデン山、たらい舟体験、竜王洞・・・。どれも魅力的なスポット。話が弾んで、冗談を言い合った。楽しいひととき。余計なこと、聞かなきゃよかったな。

「付き合って、どれくらい?」
「半年くらいです」
「僕の知ってる人じゃ、ないよね?」
 彼女は黙り込んだ。うわあ、知ってる人なんだ。ということは、職場の人か。
「えっ、誰?」
「それは言えないんです。まだ、秘密にしているから」
「気になるなあ。最後まで教えてよ」
「本当に言えないんです。ごめんなさい・・・」
「じゃあ、教えてくれるまで帰さないよ」
 ムキになって、意地悪なことを言ってしまった。彼女は困った顔をした。完全に嫌われたな。もともと、好かれていたわけでもないか・・・。結局、相手が誰なのか教えてもらえなかった。明日から、どう接したらいいのだろう。どこかに、僕の行動に目を光らせている人がいるのだ。とりあえず、気のないフリをしなければ・・・。

 それから、長い年月が経過した。今となっては、感謝の気持ちしかない。ありがとう。この一言に尽きる。忙しい中、わざわざ来てくれたのだから。旅行ガイドブックを持って・・・。

脈ありハートマーク

(著者)せとやまゆう

「あの子の気持ちが、読めたらなあ」
 僕はつぶやいた。
「ついに完成したぞ!努力したかいがあった」
 博士は振り向いた。
「何が完成したのですか?」
「君にぴったりのものだよ。相手の好意がわかる薬、脈あり判定薬だ。これを飲むと、その人が見ている相手への恋心が見える。好意があれば完全なハートマーク、好意がなければひび割れたハートマークというように・・・」

 次の日、廊下の向こうから、好きな女の子が歩いて来る。僕は急いで薬を飲んだ。すると、彼女の頭上に完全なハートマークが浮かんだ。放課後、僕は告白した。しかし、返事はノー。
 
 博士に泣きついて、文句を言った。博士は首をかしげながらも、気の毒そうな顔をした。僕は親友の家にも行った。彼はしっかり話を聞き、なぐさめてくれた。二人で笹団子を食べて、心が少し落ち着いた。やはり、持つべきものは親友だ。帰り道、日本海に沈む夕日を見ながら、そう思った。

 いつも、われわれは一緒にいる。トイレに行くときも、移動教室のときも。そういえば、あの女の子とすれ違うときも、一緒にいたっけ・・・。

ヤキモチ焼き

(著者)せとやまゆう

 駅前にある、大判焼き屋さん。黒あん、白あん、カスタード、抹茶クリーム、タレカツ、イタリアン・・・。色々な味が楽しめる。生地には、新潟県産の米粉が練り込まれていて、モチモチ。もちろん、全部おいしい。でも、今日はどれも注文しない。この店には、裏メニューがある。

「いつもの、ひとつ」
 私は小声でささやく。
「180円」
 店主のおばちゃんは、真剣な目をして言う。私は100円玉を2枚、トレーの上に。
「20円のおつりね。さあ、準備はいい?」
 そう言いながら、おばちゃんはピンク色の焼き器を用意した。
「はい、お願いします」
「それじゃあ、思い浮かべてみて」
 
 私は目を閉じて、今日の出来事を思い返した。好きな人が、他の子と話している場面。とても、楽しそう。デレデレしちゃって、最低。見たくないけど、気になっちゃう。気になっちゃうけど、見たくない。クシャクシャになって、乱れる心。必死に、興味がないフリをしてた。あー、思い出したらイライラしてきた。頭が熱くなっているのがわかる。

「それっ!」
 私の頭上で、おばちゃんが焼き器を振り回した。
「オッケー、つかまえた。焼いちゃうね」
 ジューッ・・・。いい音がする。

 ゆっくり目を開けると、心が穏やかになった。
「また、いつでもおいで」
 おばちゃんは、微笑んだ。
「ありがとうございました!」
 そう言って、私は店を出る。おかげで、あの人の前で素直になれる。変な意地を張らずにね・・・。

陽の花に溺れる

(著者)ramune

 四月の中旬頃、桜は散り始め、太陽がたくさん顔を出す時期。

 雲一つ無い快晴の日、菜の花を見に行った。
 『福島潟』という場所は、一面に菜の花が咲き誇っていた。
 一つ一つが「私を見て」と主張するように上を見上げている。
 疲れ切って根本から折れている花に、私はそっと手を伸ばす。
 近くに居た警備員らしき人に「この花、持っていっても良いですか」と話し掛ける。
 許可を得てから、私は幼い赤子を抱えるように、その花を両手で抱えた。
 その人は、最後まで不思議そうな顔をしていた。
 周りから見たら変なのかもしれない。
 でも、私は他人の目を気にせずに、菜の花畑の真ん中へと走った。

 本当ならば立ち入り禁止。
 警備員の止める声も聞かず、私は真ん中へ走る。
 でも決して、菜の花は折らないよう。

 陽葵、と大好きな親友の名をそっと呟くように呼んだ。

 茶髪の、雰囲気の落ち着いている陽葵は私を見ると微笑んだ。
 やっぱりあの時と変わってない。

「来てくれたんだね、ありがとう」

 何だかこちらまで眠くなってきそうな声に、少し目眩がした。
 無言で陽葵に折れた菜の花を差し出す。
 驚いたように目を見開いた陽葵は、その後すぐに笑って受け取ってくれた。
 追い掛けてきた警備員は立ち止まっていた。
 みんな、みんな私達を見ている。
 まるで二人の空間にだけ、見えない仕切りがあるみたいだ。
 折れてボロボロになった陽の花を大事そうに抱えた陽葵は、ゆっくり私に背を向けた。

 どこ行くの、と不安になって呼び掛ける。

「どこ行くと思う?」

 いたずらっ子のような笑みを浮かべて、あの時と変わらない姿で言った。
 陽葵はしゃがんだ。
 私からはもう見えなくなってしまう。

 陽葵?、ともう一度呼び掛ける。
 それでも返事は返ってこなくて、涼しい風が吹いていった。
 その風が花を揺らした。
 その花が心を揺らした。

「昔、君とここで遊んだ」

 しゃがんでしまった陽葵は、私には見えない。
 けれど、姿だけがそこにあるように言葉だけが聞こえる。

「みんなに話し掛けても、誰も返事なんてしてくれなかった」

 …どういう事、何を言ってるの、言葉は出ずに頭の中を暴れ回る。

「でも君は、君だけは私に話し掛けてくれた」

 しゃんっ

 鈴みたいな音がして、背中に温もりを感じる。
 陽葵が居る、振り向かなくても分かる事だった。

「振り返らないでね、絶対に」

 しゃん しゃん しゃん

「………陽葵、」

 声が震えた。
 怖くなんかない、陽葵は私の友達だ。

「ありがとう、あの時声を掛けてくれて」

 そっと、私の頬に陽葵の手が触れる。
 腕に折れた菜の花が当たってくすぐったい。

「…ねぇ、変な事聞いても良いかな?」

 嫌だ、聞くのが怖い。
 耳を塞いでここから逃げたい、助けて、助けて……

 陽葵……。

「君の名前、何て言うんだっけ?」

『ねぇ、ねぇってば!』

 ハッとした。
 目の前には心配そうな表情をしている陽葵が立っている。

「っ、」

 さっきの出来事を思い出して、思わず後退りする。

「…大丈夫?」

「…………ぁ」

 まともな言葉なんて、私は考えている余裕すら無かった。
 周りを見渡せば、警備員や他の人はその場から居なくなっていた。
 そして、やっと気付いてしまった。

「ここ…どこ?」

 絞り出した一言は、目覚めた途端知らない場所に居た人が発するものだった。
 陽葵は、目をぱちぱちと何回か瞬きした後、乾いた笑い声を響かせた。

「何言ってるの、ここは…」

 一面には、折れた菜の花が咲き誇っていた。
 何が何だか分からない、今の陽葵は誰なのかも、

 私は誰なのかも、ここがどこなのかも、全部、全部____。

「陽の花の花言葉は、快活、明るさ」

 その花が折れている、どういう意味なのか分かった。
 そして、全部理解した。
 今の陽葵は本物だ、さっきの陽葵は私の想っている陽葵だ。
 明るい陽葵は、知らない。
 そうだ、ずっと友達だと、親友だと思っていた陽葵は裏の君だった。

 じゃあきっと、ここの私も陽葵の想っている私だ。

 ここは現実、さっきまで居た所は私の脳内の中の平和なはずの世界だった。
 ぐにゃりと視界が歪んでいく。
 …ああ、きっと私もこの花達の仲間入りだ。
 最期に、私の前に現れたのは、

 折れ曲がった陽の花を持って微笑んでいる、大好きなはずの陽葵だった。

予感

(著者) 圭琴子

 SNSの普及で、最近は『顔を知らない』『名前を知らない』『何処に住んでいるのか分からない』友人というものが増えてきた。
 私のフォロワーさんは、三百人弱。ひと言も交わしたことのないひとも居れば、毎日冗談を言い合うひとも居る。
 広告代理店で働く私は、時々SNSでも企画をするのが好きだった。年末のお歳暮の季節、ふと思いついたことがある。思い立ったが吉日。私は、スマホに指を走らせた。
『値段を決めて、お歳暮を贈り合いませんか? 地元の名産品なんかどうでしょう。興味のある方、リプください』
 いいねが、ポツリポツリとつく。でもリプはない。お風呂に入ってから確認したら、DMが一通届いていた。
 差出人は、『ひろりん』さん。たまにいいねをくれるひとで、特に親しいという訳ではなかったから、意外だった。
『今晩は、アビさん。お歳暮企画に興味があってDMしました。二千円くらいならぜひ参加したいと思うのですが、いかがでしょう?』
 うん、ちょうどいい額だな。すぐに賛成の返事をして、盛り上がる。ひろりんさんは、楽しいひとだった。
『ちなみにわたし、群馬です。まさかと思うけど、かぶったら目も当てられませんね笑』
『お! ニアピンですね! 私、新潟です。確認しておいて良かったですね。お隣とはビックリ』
 夜遅かったので、その日はそれくらいで話を終わらせ、就寝した。

 ひとに贈るプレゼントを考えるのは、楽しいものだ。あれこれ調べて、二千円前後の名産品を探す。嫌いなものや嗜好品をお互い確認すると、自然と候補は絞られた。
 ひろりんさんは、甘いものが好きだという。それなら、選択肢はひとつだ。
 新潟銘菓、笹団子。越後の上質米を原料に、ヨモギを加えた餅につぶあんが入った、もっちり美味しいお団子だ。それを香り豊かな笹の葉で包んだ、歴史ある和菓子。
 冬だからクール便じゃなくても良いかな、などと考えていたら、ひろりんさんからDMが届いた。
『アビさん、わたし、出張で新潟に行くことになりました。もしよかったら、直接手渡ししませんか?』
 仕事中にも関わらず、笑ってしまう頬をこらえて返信する。
『良いですね! 私はその日休みなので、狭いんですがうちにご招待しますよ。まだ宿が決まっていなければ、泊まっていってください』
 ひろりんさんは、喜んでその提案を受け入れてくれた。

 待ち合わせは、新潟駅の新幹線コンコースにある忠犬タマ公像前。
 十九時半。帰宅ラッシュで、たくさんのひとが通り過ぎていった。
 ……ん? 人波も途切れて、ふとさっきから少し離れたところに立っていた長身の青年が気になり始める。チラチラとうかがっていると、バチっと目が合った。まさか。
「あの……失礼ですけど、アビさんですか?」
 先んじられて、自分の思い込みにめまいがする。
「はい。ひろりんさんですか?」
「はい。初めまして。でも……参ったな。アビさん、よく『俺』って言うから、男性だと思ってました」
「私も……ひろりんさんのアイコンが、ピンクの服で猫を抱いてる感じだったから、女性だと思ってました……」
「実家の猫を抱いてる、妹の写真なんですよ」
「はあ」
 兎にも角にも、徒歩十分のマンションに向かい、改めて自己紹介をする。
「鵜飼成恵(うかいなるえ)です」
「佐々木弘樹(ささきひろき)です」
 そして本題、お歳暮交換をした。弘樹さんからは、お酒の肴(さかな)にぴったりな、生ハムタイプの味付きこんにゃくを頂いた。私が、お酒が好きだって言ったから。
「新潟のひとの口に合うか分からないけど、群馬の地酒も持ってきました」
 弘樹さんはコーヒーと笹団子、私は日本酒とこんにゃくの、奇妙な宴が始まった。笹をほどいてひと口頬張り、相好を崩す。
「美味い! 素朴な味わいですね。餅の食感も良い。わたし、甘いものが好きだけど甘過ぎるものは苦手っていう我が儘だから、凄く美味しいです」
「良かった」
 和やかに話が弾んだが、ふと弘樹さんが声を上げる。
「そう言えば……独り暮らしの女性の家に、泊まる訳にはいきませんね。宿を探します」
 手分けして電話をかけたけど、ビジネスホテルに空きはなかった。かといって、シティホテルに泊まるほどの持ち合わせはないという。意を決して私は言った。
「あの……弘樹さんのこと、悪い方だとは思ってません。もしよければ、泊まって頂いても」
「え、良いんですか? わたしは構わないのですが……」
 お風呂をご馳走して、八畳の寝室に布団を並べる。恐いとは思わなかった。電気を消して、暗闇の中ささやき合うのが、何だか修学旅行みたいで楽しかったくらいだ。
 やがてウトウトとまどろむ耳に、弘樹さんの声が木霊する。
「成恵さんは、お付き合いしてる方は、いらっしゃるんですか?」
 駄目だ……眠い。
「成恵さん? ……寝ちゃったかぁ。でもまずは、お友達からじゃないと失礼だよなぁ」
 弘樹さんが、小さく独りごつ。
 不思議だ。初めて会ったのに、こんなに安心感のあるひとは居ない。
「おやすみなさい、成恵さん」
 おやすみなさい、弘樹さん。心の内で呟いて、何かが始まる予感に口角を上げながら、私は心地良く眠りのふちに落ちていった。

スワンソング

(著者) 海人

 久しく思い出していなかったその人を夢に見た。子どものようにころころ笑いながら、懐かしい声で僕を呼ぶ。まだ若者だった頃、凍えるような独り身の時期に求めていた、幸せを感じる瞬間だ。

 やがて水面に浮かぶ無数の白鳥が一斉に飛び立った。バサバサと翼を広げ、冬の澄んだ青空を埋めていく。越冬により三千キロも広大な空を翔ける彼らに、我々人間は憧憬や尊敬という念を抱くべきなのではないか。あの頃にはない考えで遥か彼方へ飛んでいく姿を見守る。やがて景色は色褪せ、名もない夢の形は騒がしく始まる日常に消えていく。

「おとなしくするんだ」
 物騒な台詞とともに、ポケットナイフで誰かが誰かを脅している。そんな光景が僕の故郷でもある阿賀野の瓢湖で繰り広げられていた。

 十二月初旬。軽石を蹴飛ばしながら、初雪を観測した湖のほとりを歩いていた。やがて軽石は雪に埋もれる。将来懸命に生きても同じように埋もれていくのかな、と俯き加減の顔を上げると、さっきの光景が視界に飛び込んできた。ドラマの撮影かと思うが、カメラや撮影クルーは見当たらない。目の前のフィクションのような出来事が本当の事件だと考えつくのに時間はかからなかった。

「ねえ、聞いているの。今日は美花を迎えに行ってね」
 妻に言われハッとする。着替えを済ませ、まだ朝食のテーブルの前に座っていた。悠長にしていては会社に遅れるぞ、と思いつつも上手に焼き目のついた食パンに手を伸ばす。
 美花が生まれて五年が経った。僕には不釣り合いな可愛い娘に、どんな時も支えてくれる妻の存在。先ほど夢に見た幸せとは違うけど、今を生きる僕は確かに幸せを掴んでいた。

 サスペンスの世界に迷い込んだようなあの日、彼女に出会った。冬の空気に舞う長い髪に不安げな表情。同じ十七歳のように感じて、緊迫した状況には似つかわしくない親近感が湧いてくる。
「何してるんだ」
 そう声をかけると男は振り返り、こちらを睨めつける。ニット帽を被る男は一回りほど上の年齢を思わせた。悠長に考えている暇はないと気づき、目の前の彼女をどうしても救わなければと思った。それに、最近習い始めたキックボクシングの実技にしては緊張感があるが、その成果を見せるほかなかったのだ。

「どうしても人質になりたかった?」
 思わず聞き返していた。僕たちは湖の近くにある小さな喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
「それにしても、さっきの右キックは強烈だったね」
 儚げな第一印象の彼女とは思えないはしゃぎようだった。格闘技が好きなのかはともかく危険な行動はよしてくれと話すと「ごめんなさい」と頭を下げられた。

 彼女はヴァイオリンを持ち歩いていて、湖のほとりでその音色を聴かせてくれることもあった。「今日がスワンソングになるよ」と時折怖いことを言う彼女を僕は何度も笑い飛ばしていたが、その表情は寂しそうで、いつ彼女がいなくなってもおかしくないような、そんな気さえしていた。
「私たち、白鳥みたい」
 何度目かのデートの時、彼女はそう言った。今頃になってその言葉だけが浮かび上がってくる。当時は何も気にしていなかった。今ではどういう意味なのか、直接聞いてみたい。

 高校を卒業し小さな会社で働き始めた頃、地元の地方紙に数々のコンテストで賞を総なめにした少女が亡くなったという記事が掲載された。彼女と出会ってから聞けずにいた、あの日人質になりたがっていた理由をようやく察することができた。

 その記事は会社で支給された名刺よりも小さくて、そんな文量でしか彼女を語れないのなら記事にするなと腹立たしく思った。「病死」だとか「白血病により」という文字が目に入ったが僕はそれを読む気になれず、すぐに新聞を丸めてゴミ箱に捨てた。

 その後しばらくして今の妻に出会った。長い冬を越え、やっと再会した幸せだった。違いは、愛すると決めた相手が彼女から今の妻になったことだけだった。
「パパとママって白鳥さんみたいだね」
 ほのかに春の息吹を感じ始めた日、小さな手と妻の手が繋がっている姿をぼんやり見ていると、湖に浮かぶ白鳥のつがいを指差しながら美花がそんなことを言った。
 この二羽も、まもなく広い空を求めて飛び立っていくのだろう。二羽はすいすいと水面を滑りながら身を寄せ合っていた。

「おとなしくするんだ」
 聞き覚えのある声がし振り向くと、二十年前も同じことをしていたあの男が懲りずに愚かな行為を繰り返していた。手にはやはりポケットナイフが握られており、向かいには顔ははっきり見えないが、若い女性が追い詰められたような表情で後退りしている。僕は妻へ美花と一緒にこの場から離れるよう伝えると、男の前に飛び出した。
「まだこんなことしているのか」そう告げると、男は一瞥し記憶を辿るような顔つきになる。数秒経ってようやく「あの時のお前か」とだけ言った。

「待ってたよ」
 いたいけな彼女の声が後ろから聞こえてきた。そんなことがあり得るのかと逡巡すれば、二十年前と同じサスペンスの世界に紛れ込んでしまったのだと思えば不思議と合点がいった。

 やがて、水面の白鳥達が意を決するように一斉に飛び立った。その光景を見て、やはりあの時と同じ方法しかないと鈍った足首を軽くストレッチする。そして、僕は彼女のスワンソングを口ずさみながら、三千キロの旅路に幸あれと、渾身の右キックを武器にして白鳥のように宙を舞った。

コリウスの恋

(著者)つちだなごみ


「ガーデニングなんて、淋しい女がすることよ」
 園芸店の店先で、キャリアウーマンだった母は吐き捨てるようにそう嘲笑った。なんてバカバカしい偏見なんだろう。母の心のフィルターは間違いなく曇っている。中学生だった私は、花を美しいと思えない母を哀れんだ。

***

 今日は朝から日差しが強い。連日の夏日で庭の花たちが水を欲している。外水栓の蛇口をひねる。シャワーノズルを握ると水が噴き出し、小さな虹ができた。シャワーを浴びた花たちはキラキラ笑っている。
 決まった時間に私は庭に出て花に水をやる。朝は8時、夕方は6時。夏の強い日差しを避けるため。というのは口実で、あなたが私の家の前を通る時間だったから。
 真っ白いYシャツ姿のあなたが、自転車を立ちこぎしネクタイをなびかせながら、風のように通りを駆け抜けて行く。寝坊したのかしら。そんなふうにあなたの姿を追うと、その瞬間にこちらを振り返り照れくさそうに笑った。

***

「子どもは私が育てたい」
「わかったよ。おふくろにはそう伝えておく」
 長女が1歳の誕生日を迎えるころ、近所に住む義母が「子守をしてあげるから」と私に働きに出るよう話を持ち掛けてきた。都合のいい時だけ我が家に上がり込み、娘の生活リズムを引っかき回して帰る義母に子守ができるわけがない。

「そろそろ働きに出たいわ」
「君の好きにすればいいよ」
 次女が小学校に上がり、私は時間を持て余すようになってしまった。社会に取り残されているような焦燥感に襲われていた。

「最近体調が良くないの」
「家でゆっくりしたら? 無理に働きに出なくても、僕の稼ぎで充分やっていけるのだから」
 どんなわがままを言っても、夫は私を受け入れてくれる。こうして私はパートを辞めて家に入った。日がな一日ぼんやりと過ごす私を見て「庭に花でも植えてみたらどう?」と夫が提案してきた。
 なんの色もない庭だった。女一人で手入れができる手狭さがちょうどよかった。
 夫は私を自由にさせてくれる。文句も言わなければ関心も持ってくれない。季節に移ろう庭の花々の変化に気づくこともない。私はそれを責め立てることもなく、淋しさを埋めるように花を植えた。

***

「花壇のチューリップがきれいに咲きましたね」
 日が長くなり始めた4月末の夕暮れだった。庭仕事をしていた私に、スーツ姿の男性が声をかけてきた。それがあなたと私の初めてだった。
「今年は春が早かったから咲くのも早かったみたいです」
「新潟は良い所ですね。街の至る所に花が咲いている」
「県外からお越しなんですか?」
「ええ、三年前にここに越してきました。新潟は酒と米ばかりと思っていましたが、チューリップ畑はまるでオランダのようで見事だ」
 無防備なあなたのえくぼが私の目をのぞいた。
「こちらの庭を眺めて通るのも、毎日の楽しみなんですよ」
 色気のないカーキー色のガーデニングエプロンが急に恥ずかしくなった。土で汚れた指先でエプロンのすそを握りしめた。
「花はお好きですか?」
「ええ、花と女性を『きれいだ』と思えなくなったら男はおしまいですよ」
 あなたがそう笑うと、ミモザの葉が風にそよいだ。

***

 私は夢中になって園芸店に通い、季節のポットを買い込んで庭に植えた。
 私は「淋しい女」なんかではない。毎日が輝きだした生活に淋しさのかけらもない。もっと私を見て欲しかった。
 夏の照りつく夕日が、通りを赤く染めた。仕事帰りのあなたが、私を見つけて自転車の速度をゆるめて止まった。
「葉色と模様がきれいですね。なんという花ですか?」
「コリウスです」
「花は咲かないんですか?」
「咲きますよ。でも、花は摘み取るの」
「どうして? もったいないな」
「色あせちゃうんです、葉っぱが」
 自転車を降りて、フェンスに手をかけ不思議そうにコリウスを覗き込んだ。その左手薬指にある指輪は鈍い光を放っていた。
「花の犠牲があるから葉がこんなに美しいの」
 マニキュアを塗り整えた自身の爪を見て、あなたに視線を移した。
「コリウスの花言葉も素敵ですから調べてみてください」
 私を見つめたあなたの頬が、夕日に染まっている。思わず口にした言葉に慌てて目をそらし、シャワーノズルを握った。
 気まぐれな風が一吹きすると、シャワーのしぶきが私のワンピースを濡らした。