会えますチケット

(著者)せとやまゆう

 夕方の長岡駅。レストランフロアから、いい香りが漂ってくる。和食、洋食、中華・・・。何でも揃っている。改札の前では、たくさんの人が行き交う。若いカップルは、立ち止まったまま見つめ合っている。なかなか、つないだ手を離せない。そこへ、タキシード姿の男が声をかけた。
「どうぞ、これをお使いください」
「何ですか?それは」
「特別なチケット、二人分です。枕元に置いて寝れば、夢の中で会えますよ」
「でも、高いのでしょう?」
「いいえ、無料で差しあげます。その代わり、感想を聞かせてください。明日も、ここに来ますから」

 タキシード男はチケットを渡すと、足早に消えていった。その夜、二人はそれを使ってみた。すると、本当に夢の中で会えるのだった。しかし、会話することもなく、同じ空間に存在しているだけだった。

 次の日、若い男は言った。
「夢で会えたけど、全く楽しくなかったです。話すことさえ、できなかった」
「それなら、このチケットはいかがでしょう。夢の中でも、思い通りに行動できますよ。ただし、これは有料となりますが・・・」

二年後に気づく

(著者)せとやまゆう

 急に、男は気づいた。その女のことが好きだと・・・。まるで魔法にかかったかのような、不思議な感覚。彼女とは、会えなくなって二年たつ。以前勤めていた、会社の同僚だった。たまたま、同じタイミングで転職。それぞれ、違う町に移住し、再出発した。別に、仲が良かったわけではない。言葉を交わすことはあまりなかったし、連絡先も知らなかった。しかし、男にとっては気になる存在。まず、気持ちの良いあいさつをする人だった。そして、どんなに仕事が忙しくても、笑顔を絶やさない姿。とても輝いて見えた。

 それにしても、なぜ今なのだろう。離れたからこそ、気づく恋心。それなら、会えなくなってすぐのタイミングでも、いいはずだが・・・。これまで、新しい環境に慣れるのに精一杯だったのかもしれない。あるいは、二年という時間のなかで、脳が彼女のイメージを美化し続けていたのかもしれない。まあ、一時的なものだろう。そう思って、男はあまり気にしなかった。

 しかし、気持ちが消えることはなかった。一週間たっても、一ヵ月たっても、三ヵ月たっても・・・。むしろ、気持ちは高まるばかり。連絡先を知らないから、連絡をとることができない。住んでいる町の名は聞いていたが、土地勘がない。そもそも、探して訪ねて行ったところで、迷惑がられるだけだろう。どうすることもできない。彼女とつながる手段が、一つもないのだ。
「俺のことなんて、どうせ覚えていないだろうな。興味なさそうだったし」
 恋人がいて、楽しく過ごしていることだろう。
「俺も彼女つくるか。まず、好きな人を見つけないと・・・」
 
 ちょうど、その頃。その女が乗った電車が、越後湯沢駅に到着した。唎き酒マシーンの前には、今日もたくさんの人が集まっている。

シンボル

(著者)山村麻紀

「いい人生らった」と言い残し、じいさんが死んだ。隣のばあさんが畑仕事をする中、おんぼろの家で、安らかに息を引き取った。
 じいさんは、孤児の私を引き取り、四十五のくたびれた中年になる今まで面倒をみてくれた。じいさんの命が長くないと知ったとき、頭に浮かんだのが、じいさんのワイフだった。
「俺のワイフは良い女だったっけのう」
 仏壇には、水玉のワンピースを着たソバージュとえくぼがよく似合う美人が飾られている。じいさんのワイフは結婚して三年後、交通事故で亡くなった。二十五歳だった。じいさんは再婚せず、同居していた両親が他界して間もなく、私を養子として受け入れた。
 私はじいさんのワイフを見つけるため、結婚相談所に向かった。相談所に行くと、痩せたスーツの男が私を迎えた。プロフィールシートには、「二十五歳希望」と書き、男に「こんな女性と出会いたい」とじいさんのワイフの写真を見せた。
「今どき二十歳差なんて当たり前です。大丈夫ですよ。必ず素敵な女性を紹介します」
 三日後、男から紹介の電話が掛かってきた。
「いいお嬢さんがいましたよ。二十五歳で美人さんです。早速デートのお手配をしますね」
 ワイフ候補との待ち合わせは、万代のバスセンターだった。きょろきょろする私に、白いコットンワンピースを着た女性が話しかけてきた。
「山田さんですよね?初めまして」
 顔を見て驚いた。女性は、じいさんのワイフと瓜二つの顔をしていたのだ。慌てて会釈した後、近くの喫茶店に入った。
「もうすぐなくなるんですよね。レインボータワー。残念です」
 着席するなり、女は言った。
「シンボルがなくなるって、悲しいですよね」
 彼女は、遠くの何かを見つめて呟いた。
「私は、おととい結婚相談所に登録しました。理由は、寂しいからです。男手一人で育ててくれた父が、先月急性白血病で亡くなったんです。私には兄弟もなく、父しかいませんでした。だから、だから」
 大粒の涙が女の目から落ちた。私は慌てて言葉を挟んだ。
「正直に言います。私は誰とも結婚したいと思っていません。私が探しているのは、育ての父であるじいさんの、亡くなったワイフです。あなたのお父さんと同じく、私の父はもうすぐ天国に逝ってしまう。その前に、嘘でもいいから会わせてやりたいんです」
 私が言うと、女は大きく頷いた。
「とてもいいアイディアだわ。私がおじいさまのワイフになりましょう」
 翌週の日曜、ソバージュヘアになった女が家にやって来た。
「ただいまぁ」
「あぁ、おかえりなさい」
 私が言うと、女が手を振る。じいさんを横目で見ると、何度も目をこすっている。
「あら、あなたどうしたのよ。花粉症?」
 じいさんは、首を激しく左右に動かした。
「おかえりやぁ、マイワイフ」
 その日から、私とじいさんと偽ワイフとの生活が始まった。
「おぉ、ワイフの作った里芋の煮っころがしは最高だ。うまいうまい。なぁ?」
「あぁ、うん」
 生返事する私の横で、女が頬を緩める。思わずうっとりと見惚れるほどの美しさだった。
「あなたは、昔っからこれ好きだものね」
 女は、私が渡したワイフ情報をすべて記憶していた。所作も完璧に再現している。
「ワイフや、茶をくれ」
 ワイフを呼ぶじいさんは、誰よりも幸せに見えた。日ごとに食は細くなっていったものの、血色は良く、表情はまぶしかった。
「あなたは、おじいさんが亡くなってから、どうするつもりなの?」
 近所のファミレスで、女が私に問いかけた。
「何も考えていないよ。今はじいさんに最高の最期を贈ってあげること以外考えられない」
 女は、苦笑してうつむいた。
「おじいさんの本当の幸せって、何なのかしらね」

 じいさんが死んで一週間が経った頃、家のちゃぶ台に封筒が上がっていた。
 封筒には付箋があり、何か書かれている。
「結婚相談所に来た、おじいさんから預かったものです。黙っていてごめんなさい。」
 封筒の中には、メモの切れ端と、私が結婚相談所に払った十倍以上の金が入っていた。
「息子を頼みます。あの子の幸せが、私の一番の幸せなんです」
 震えていたが、間違いなくじいさんの字だった。私はメモを握り、ひたすら走った。しかし、どこまで行っても、シンボルは見つからない気がした。あるいは、はじめから存在しなかったのかもしれない。
 戻らぬ時間だけが、宙にぷかぷかと浮かんだ。

なめらかな、愛

(著者)山村麻紀

 私の部屋の本棚から、日に日に本が消えてゆく。本にかじられた様子がないことから、屋根裏のねずみの犯行ではないと悟る。
『ねぇ、私の本知らないよね?』
 寝そべって尻を掻き、テレビを見ているタツヤのだらしない背中に問う。
『あぁ、食べたよ。君の本棚にある本、美味しいからさ』
 やはりと思った。出会った半年前と比べて、タツヤは倍くらいの大きさになっている。本でも食べなければ、こんなに短期間で太ることはないはずだ。先日タツヤとデートで行ったマリンピア日本海で、そっくりな生き物を見た。あれはイルカじゃなくて、ペンギンじゃなくて、アザラシでもなくて、何だっただろう。
『ねぇ、どうして私の作った料理はちっとも食べないのに、本を食べるのよ?』 
 強い調子で言ったにもかかわらず、タツヤは振り返りもせずに答える。
『料理なんてファミレスでも居酒屋でも食べられるよ』 
 返答の意味がわからず、頭にきた私は、タツヤの背中に思いきり蹴りを入れた。
『この本泥棒!このトドまがい!本を返しなさいよ!』 
 タツヤは驚いて、なめらかに身体をスライドさせた。
『君ほど美味しい本をくれる人はいなかった。でも、その魅力に気付けなかった君とはさよならだ』 
 タツヤの手足はヒレに変化し、手を振ってそのまま部屋から消えてしまった。ふと本棚に目をやると、消えた本がすべて元に戻っていた。ただ、全ページがしわしわになっていて、潮の香りがした。
 使い物にならないので、全部水に流すつもりだ。

スペシャルなイルカショー 

(著者)せとやまゆう

 新潟にある水族館。今はイルカショーの時間。たくさんの観客で賑わっている。僕の隣には、好きな女の子。イルカがジャンプする。ザッパーン。水しぶきが上がって、涼しい。
「手つながなくて、いいの?」
 ジャンプしながら、イルカが話しかけてくる。1人だけに、聞こえる周波数で・・・。黙ったまま、僕は首を縦に振る。
「まだ、付き合ってないパターンか。告白は?」
「今日、しようと思ってる」
 僕は、小声で答える。
「今しちゃえば?これから、大回転を決めるから」
 高く飛んで、クルクルクルクルクルー。五回転して、ザッパーン。大きな水しぶきが上がる。
「きゃー、すごいね!」
 キラキラした女の子の笑顔。せっかく、イルカが背中を押してくれたんだ。僕も男を見せないと・・・。
「好きです。付き合ってください」
 真剣な顔で、僕は言った。驚いた表情の女の子。ついに、言ってしまった。僕の鼓動は速くなった。

「はい、お疲れ様でした。ゴーグルを回収しますね」
 スタッフの声とともに、周囲の観客が姿を消した。隣に座っていたはずの、女の子も。水槽の中では、イルカが静かに泳いでいる。
「かわいかったでしょう。たくさん話せましたか?」
「はい、ありがとうございました!」
 ああ、ドキドキした。ドキドキしたら、お腹が空いてきた。レストランに移動し、僕はわっぱ飯を食べた。薄い塩味のご飯の上に、鮭といくらがたっぷり。追加で、メギスの唐揚げをオーダー。心もお腹も満たされた。

 帰りながら、僕はチケットの半券を取り出す。
《開館前 貸し切りイルカショー!》
 どうして、こんなチケットを持っていたかというと・・・。幸運なことに、抽選で当たったからだ。余韻に浸っていて、気付いた。半券に書いてある文章。
《もう一度、ご利用いただけます。ぜひ、ペアでお越しください!》
 なんて、太っ腹なんだろう・・・。嬉しい、嬉し過ぎる。振り返って、僕はお辞儀をした。また、必ず来ます。
「よしっ!」
 勇気を出して、あの子を誘うぞ。

旅行ガイドブック 

(著者)せとやまゆう

「えっ、彼氏いるの?」
 僕はフォークとナイフの動きを止めた。同時に、走り出していた恋心にも、急ブレーキがかかった。やっぱり、そうだよな。こんなにかわいいんだもん。透き通るような白い肌、キラキラした笑顔。でも、連絡先を交換してくれて、食事の誘いもオッケーで。きっと、今だけ彼氏いないのかなと思っていた。ランチの料理は、どれもおいしい。知りたかった佐渡島の観光スポットについても、詳しく教えてもらえた。大佐渡スカイライン、金山遺跡、ドンデン山、たらい舟体験、竜王洞・・・。どれも魅力的なスポット。話が弾んで、冗談を言い合った。楽しいひととき。余計なこと、聞かなきゃよかったな。

「付き合って、どれくらい?」
「半年くらいです」
「僕の知ってる人じゃ、ないよね?」
 彼女は黙り込んだ。うわあ、知ってる人なんだ。ということは、職場の人か。
「えっ、誰?」
「それは言えないんです。まだ、秘密にしているから」
「気になるなあ。最後まで教えてよ」
「本当に言えないんです。ごめんなさい・・・」
「じゃあ、教えてくれるまで帰さないよ」
 ムキになって、意地悪なことを言ってしまった。彼女は困った顔をした。完全に嫌われたな。もともと、好かれていたわけでもないか・・・。結局、相手が誰なのか教えてもらえなかった。明日から、どう接したらいいのだろう。どこかに、僕の行動に目を光らせている人がいるのだ。とりあえず、気のないフリをしなければ・・・。

 それから、長い年月が経過した。今となっては、感謝の気持ちしかない。ありがとう。この一言に尽きる。忙しい中、わざわざ来てくれたのだから。旅行ガイドブックを持って・・・。

脈ありハートマーク

(著者)せとやまゆう

「あの子の気持ちが、読めたらなあ」
 僕はつぶやいた。
「ついに完成したぞ!努力したかいがあった」
 博士は振り向いた。
「何が完成したのですか?」
「君にぴったりのものだよ。相手の好意がわかる薬、脈あり判定薬だ。これを飲むと、その人が見ている相手への恋心が見える。好意があれば完全なハートマーク、好意がなければひび割れたハートマークというように・・・」

 次の日、廊下の向こうから、好きな女の子が歩いて来る。僕は急いで薬を飲んだ。すると、彼女の頭上に完全なハートマークが浮かんだ。放課後、僕は告白した。しかし、返事はノー。
 
 博士に泣きついて、文句を言った。博士は首をかしげながらも、気の毒そうな顔をした。僕は親友の家にも行った。彼はしっかり話を聞き、なぐさめてくれた。二人で笹団子を食べて、心が少し落ち着いた。やはり、持つべきものは親友だ。帰り道、日本海に沈む夕日を見ながら、そう思った。

 いつも、われわれは一緒にいる。トイレに行くときも、移動教室のときも。そういえば、あの女の子とすれ違うときも、一緒にいたっけ・・・。

ヤキモチ焼き

(著者)せとやまゆう

 駅前にある、大判焼き屋さん。黒あん、白あん、カスタード、抹茶クリーム、タレカツ、イタリアン・・・。色々な味が楽しめる。生地には、新潟県産の米粉が練り込まれていて、モチモチ。もちろん、全部おいしい。でも、今日はどれも注文しない。この店には、裏メニューがある。

「いつもの、ひとつ」
 私は小声でささやく。
「180円」
 店主のおばちゃんは、真剣な目をして言う。私は100円玉を2枚、トレーの上に。
「20円のおつりね。さあ、準備はいい?」
 そう言いながら、おばちゃんはピンク色の焼き器を用意した。
「はい、お願いします」
「それじゃあ、思い浮かべてみて」
 
 私は目を閉じて、今日の出来事を思い返した。好きな人が、他の子と話している場面。とても、楽しそう。デレデレしちゃって、最低。見たくないけど、気になっちゃう。気になっちゃうけど、見たくない。クシャクシャになって、乱れる心。必死に、興味がないフリをしてた。あー、思い出したらイライラしてきた。頭が熱くなっているのがわかる。

「それっ!」
 私の頭上で、おばちゃんが焼き器を振り回した。
「オッケー、つかまえた。焼いちゃうね」
 ジューッ・・・。いい音がする。

 ゆっくり目を開けると、心が穏やかになった。
「また、いつでもおいで」
 おばちゃんは、微笑んだ。
「ありがとうございました!」
 そう言って、私は店を出る。おかげで、あの人の前で素直になれる。変な意地を張らずにね・・・。

陽の花に溺れる

(著者)ramune

 四月の中旬頃、桜は散り始め、太陽がたくさん顔を出す時期。

 雲一つ無い快晴の日、菜の花を見に行った。
 『福島潟』という場所は、一面に菜の花が咲き誇っていた。
 一つ一つが「私を見て」と主張するように上を見上げている。
 疲れ切って根本から折れている花に、私はそっと手を伸ばす。
 近くに居た警備員らしき人に「この花、持っていっても良いですか」と話し掛ける。
 許可を得てから、私は幼い赤子を抱えるように、その花を両手で抱えた。
 その人は、最後まで不思議そうな顔をしていた。
 周りから見たら変なのかもしれない。
 でも、私は他人の目を気にせずに、菜の花畑の真ん中へと走った。

 本当ならば立ち入り禁止。
 警備員の止める声も聞かず、私は真ん中へ走る。
 でも決して、菜の花は折らないよう。

 陽葵、と大好きな親友の名をそっと呟くように呼んだ。

 茶髪の、雰囲気の落ち着いている陽葵は私を見ると微笑んだ。
 やっぱりあの時と変わってない。

「来てくれたんだね、ありがとう」

 何だかこちらまで眠くなってきそうな声に、少し目眩がした。
 無言で陽葵に折れた菜の花を差し出す。
 驚いたように目を見開いた陽葵は、その後すぐに笑って受け取ってくれた。
 追い掛けてきた警備員は立ち止まっていた。
 みんな、みんな私達を見ている。
 まるで二人の空間にだけ、見えない仕切りがあるみたいだ。
 折れてボロボロになった陽の花を大事そうに抱えた陽葵は、ゆっくり私に背を向けた。

 どこ行くの、と不安になって呼び掛ける。

「どこ行くと思う?」

 いたずらっ子のような笑みを浮かべて、あの時と変わらない姿で言った。
 陽葵はしゃがんだ。
 私からはもう見えなくなってしまう。

 陽葵?、ともう一度呼び掛ける。
 それでも返事は返ってこなくて、涼しい風が吹いていった。
 その風が花を揺らした。
 その花が心を揺らした。

「昔、君とここで遊んだ」

 しゃがんでしまった陽葵は、私には見えない。
 けれど、姿だけがそこにあるように言葉だけが聞こえる。

「みんなに話し掛けても、誰も返事なんてしてくれなかった」

 …どういう事、何を言ってるの、言葉は出ずに頭の中を暴れ回る。

「でも君は、君だけは私に話し掛けてくれた」

 しゃんっ

 鈴みたいな音がして、背中に温もりを感じる。
 陽葵が居る、振り向かなくても分かる事だった。

「振り返らないでね、絶対に」

 しゃん しゃん しゃん

「………陽葵、」

 声が震えた。
 怖くなんかない、陽葵は私の友達だ。

「ありがとう、あの時声を掛けてくれて」

 そっと、私の頬に陽葵の手が触れる。
 腕に折れた菜の花が当たってくすぐったい。

「…ねぇ、変な事聞いても良いかな?」

 嫌だ、聞くのが怖い。
 耳を塞いでここから逃げたい、助けて、助けて……

 陽葵……。

「君の名前、何て言うんだっけ?」

『ねぇ、ねぇってば!』

 ハッとした。
 目の前には心配そうな表情をしている陽葵が立っている。

「っ、」

 さっきの出来事を思い出して、思わず後退りする。

「…大丈夫?」

「…………ぁ」

 まともな言葉なんて、私は考えている余裕すら無かった。
 周りを見渡せば、警備員や他の人はその場から居なくなっていた。
 そして、やっと気付いてしまった。

「ここ…どこ?」

 絞り出した一言は、目覚めた途端知らない場所に居た人が発するものだった。
 陽葵は、目をぱちぱちと何回か瞬きした後、乾いた笑い声を響かせた。

「何言ってるの、ここは…」

 一面には、折れた菜の花が咲き誇っていた。
 何が何だか分からない、今の陽葵は誰なのかも、

 私は誰なのかも、ここがどこなのかも、全部、全部____。

「陽の花の花言葉は、快活、明るさ」

 その花が折れている、どういう意味なのか分かった。
 そして、全部理解した。
 今の陽葵は本物だ、さっきの陽葵は私の想っている陽葵だ。
 明るい陽葵は、知らない。
 そうだ、ずっと友達だと、親友だと思っていた陽葵は裏の君だった。

 じゃあきっと、ここの私も陽葵の想っている私だ。

 ここは現実、さっきまで居た所は私の脳内の中の平和なはずの世界だった。
 ぐにゃりと視界が歪んでいく。
 …ああ、きっと私もこの花達の仲間入りだ。
 最期に、私の前に現れたのは、

 折れ曲がった陽の花を持って微笑んでいる、大好きなはずの陽葵だった。

予感

(著者) 圭琴子

 SNSの普及で、最近は『顔を知らない』『名前を知らない』『何処に住んでいるのか分からない』友人というものが増えてきた。
 私のフォロワーさんは、三百人弱。ひと言も交わしたことのないひとも居れば、毎日冗談を言い合うひとも居る。
 広告代理店で働く私は、時々SNSでも企画をするのが好きだった。年末のお歳暮の季節、ふと思いついたことがある。思い立ったが吉日。私は、スマホに指を走らせた。
『値段を決めて、お歳暮を贈り合いませんか? 地元の名産品なんかどうでしょう。興味のある方、リプください』
 いいねが、ポツリポツリとつく。でもリプはない。お風呂に入ってから確認したら、DMが一通届いていた。
 差出人は、『ひろりん』さん。たまにいいねをくれるひとで、特に親しいという訳ではなかったから、意外だった。
『今晩は、アビさん。お歳暮企画に興味があってDMしました。二千円くらいならぜひ参加したいと思うのですが、いかがでしょう?』
 うん、ちょうどいい額だな。すぐに賛成の返事をして、盛り上がる。ひろりんさんは、楽しいひとだった。
『ちなみにわたし、群馬です。まさかと思うけど、かぶったら目も当てられませんね笑』
『お! ニアピンですね! 私、新潟です。確認しておいて良かったですね。お隣とはビックリ』
 夜遅かったので、その日はそれくらいで話を終わらせ、就寝した。

 ひとに贈るプレゼントを考えるのは、楽しいものだ。あれこれ調べて、二千円前後の名産品を探す。嫌いなものや嗜好品をお互い確認すると、自然と候補は絞られた。
 ひろりんさんは、甘いものが好きだという。それなら、選択肢はひとつだ。
 新潟銘菓、笹団子。越後の上質米を原料に、ヨモギを加えた餅につぶあんが入った、もっちり美味しいお団子だ。それを香り豊かな笹の葉で包んだ、歴史ある和菓子。
 冬だからクール便じゃなくても良いかな、などと考えていたら、ひろりんさんからDMが届いた。
『アビさん、わたし、出張で新潟に行くことになりました。もしよかったら、直接手渡ししませんか?』
 仕事中にも関わらず、笑ってしまう頬をこらえて返信する。
『良いですね! 私はその日休みなので、狭いんですがうちにご招待しますよ。まだ宿が決まっていなければ、泊まっていってください』
 ひろりんさんは、喜んでその提案を受け入れてくれた。

 待ち合わせは、新潟駅の新幹線コンコースにある忠犬タマ公像前。
 十九時半。帰宅ラッシュで、たくさんのひとが通り過ぎていった。
 ……ん? 人波も途切れて、ふとさっきから少し離れたところに立っていた長身の青年が気になり始める。チラチラとうかがっていると、バチっと目が合った。まさか。
「あの……失礼ですけど、アビさんですか?」
 先んじられて、自分の思い込みにめまいがする。
「はい。ひろりんさんですか?」
「はい。初めまして。でも……参ったな。アビさん、よく『俺』って言うから、男性だと思ってました」
「私も……ひろりんさんのアイコンが、ピンクの服で猫を抱いてる感じだったから、女性だと思ってました……」
「実家の猫を抱いてる、妹の写真なんですよ」
「はあ」
 兎にも角にも、徒歩十分のマンションに向かい、改めて自己紹介をする。
「鵜飼成恵(うかいなるえ)です」
「佐々木弘樹(ささきひろき)です」
 そして本題、お歳暮交換をした。弘樹さんからは、お酒の肴(さかな)にぴったりな、生ハムタイプの味付きこんにゃくを頂いた。私が、お酒が好きだって言ったから。
「新潟のひとの口に合うか分からないけど、群馬の地酒も持ってきました」
 弘樹さんはコーヒーと笹団子、私は日本酒とこんにゃくの、奇妙な宴が始まった。笹をほどいてひと口頬張り、相好を崩す。
「美味い! 素朴な味わいですね。餅の食感も良い。わたし、甘いものが好きだけど甘過ぎるものは苦手っていう我が儘だから、凄く美味しいです」
「良かった」
 和やかに話が弾んだが、ふと弘樹さんが声を上げる。
「そう言えば……独り暮らしの女性の家に、泊まる訳にはいきませんね。宿を探します」
 手分けして電話をかけたけど、ビジネスホテルに空きはなかった。かといって、シティホテルに泊まるほどの持ち合わせはないという。意を決して私は言った。
「あの……弘樹さんのこと、悪い方だとは思ってません。もしよければ、泊まって頂いても」
「え、良いんですか? わたしは構わないのですが……」
 お風呂をご馳走して、八畳の寝室に布団を並べる。恐いとは思わなかった。電気を消して、暗闇の中ささやき合うのが、何だか修学旅行みたいで楽しかったくらいだ。
 やがてウトウトとまどろむ耳に、弘樹さんの声が木霊する。
「成恵さんは、お付き合いしてる方は、いらっしゃるんですか?」
 駄目だ……眠い。
「成恵さん? ……寝ちゃったかぁ。でもまずは、お友達からじゃないと失礼だよなぁ」
 弘樹さんが、小さく独りごつ。
 不思議だ。初めて会ったのに、こんなに安心感のあるひとは居ない。
「おやすみなさい、成恵さん」
 おやすみなさい、弘樹さん。心の内で呟いて、何かが始まる予感に口角を上げながら、私は心地良く眠りのふちに落ちていった。